映画の半分はサウンドである - 『オッペンハイマー』
※ この文章には映画の描写や内容に触れる記述が含まれます
物語や内容に関してはすでに多くの人が書いているので、ここではサウンドトラックに関してのみ評しておきたい。
なにしろオーケストラや電子音の音楽、そして様々な音響を駆使した、サウンドデザイン全体の設計が実に緻密。
オッペンハイマーが事情聴取で責められ、心が折れそうになった時「ドカドカドカ」と荒々しいリズムが聞こえてくる。画面の中で実際に鳴っているわけではなく、あくまでも彼の心理描写としての、サウンドトラックなのだ。
しばらく後の同様な場面でも、このサウンドが聞こえてくる。ただし今度は、椅子に座った群衆が足を踏み鳴らすショットが、サブリミナルのように一瞬インサートされ、この音が「足音」である事が観客に提示される。
観客が再びこの音を聴くのは、原爆実験の成功後に科学者や関係者の前でオッペンハイマーがスピーチする場面だ。実験の成功に熱狂した人々が、登場した彼を讃えてドカドカドカと足を踏み鳴らすのだ。なるほど、この音だったのか、と合点がいく。
しかし、現実に鳴っているはずのその音は、スピーチを始めた彼の脳内で静まりかえっていく。重い口調で、途切れ途切れに、実験の成功を讃えるオッペンハイマー。聞こえない歓声と笑顔のまま、閃光を浴びたかのようにホワイトアウトしていく聴衆。次第にその顔が、放射能を浴びたかのようにただれていく……
そのとき突然、核爆発のように大きな音が鳴る。
爆発音ではない。割れんばかりに響き渡る、聴衆の拍手と足踏みだ。ここで現実の世界に、オッペンハイマーも我々観客も引き戻される。科学への礼賛と、それがもたらし得る悲劇の両面を、理詰めの「説明」ではなく「感覚」そのものとして、サウンドが見事に表現していた。
また、この場面の直前に砂漠で行われた原爆実験のシーンも、音響が大きな役割を果たしている。
メトロノームのようにカウントダウンを刻む電子音。歪んだ不協和音を奏でるオーケストラ。全てのサウンドがどんどん高まっていくのだが、ついに爆発の瞬間 ── 沈黙が訪れる。
閃光。それを見守る科学者たちの顔が次々に映し出されていく。まだ無音のままだ。
そして突然、超重低爆発音が響き渡る。
遠く離れた音が視覚からずいぶん遅れて到達することは、夜空の花火などで誰しも体験したことがあるだろう。この場面での視覚と聴覚の時間差も、かつてない巨大爆弾ゆえに隔てられた爆心地と科学者の長い距離を、誇張ぎみに表現している。だがそれだけではない。
あまりに大きな衝撃を受けた時、ショックで音が何も聞こえなくなる心理現象がある(戦場から帰った兵士の多くが報告している。たとえば映画『プライベート・ライアン』冒頭の戦闘シーンなどでも効果的に表現されている)。それを観客に擬似体験させる演出でもあった。
沈黙の後にやってくる爆発音は、とてつもなく巨大に感じられる。劇場には吹いていない爆風、客席では揺れていない大地の響きを、観客は全身で浴びることになる。沈黙と爆音の組み合わせで、体感に叩きつける圧倒的な表現。計算しつくされた「サウンド」の職人芸と言わざるをえない。
映画の半分はサウンドである
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