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楽屋の食事

むかし初めてヨーロッパにツアーした時、「へえ」と思ったのがバックステージの食事だった。

公演の規模は様々で、個人主宰のイベントもあれば公的なホールでのコンサートもあったが、どこでも本番前の食事が実に楽しかった。

いちばん多かったパターンは、パン、チーズ、ハムやペースト類、フルーツ、そしてワインといった品々が、バックヤードのテーブルに適当に置かれ、各自が好きに取ったり切り分けたりして食べられる方式。

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つまりホテルのビュッフェ朝食みたいなスタイル。これはオーガナイザーもお金がかからず、食べる側も好きに食べられて、合理的ですよね。

小さいハコでは、リハーサルが終わると「それじゃ食事にしようか」という感じで上階とか裏庭に連れていかれ、店のオーナーやその奥さんがふるまう手料理をスタッフや出演者全員で食べる、なんて場面もしばしばあった。

これはこれで、今日一日だけの仕事なんだけど「同じ釜の飯を喰う仲間」的な連帯感が盛り上がって楽しかった。おぼえた現地語や、お互いたどたどしい英語を駆使して、スタッフと馬鹿話したりしてね。(不思議な事に、ちょっとアルコールが入ると馬鹿話など、どの国でも通じるものだ)

どのパターンも、用意する側としては大した出費ではないだろう。けれども出演者にとっては、満足度の高い食事だ。提供する側の「体温」が伝わってくる食事だ。その根底には「食は人生の基本、食を楽しまないでどうすんの?」という彼らの「常識」が、しっかりと感じられたものだ。

だが日本の楽屋はどうだろう。狭い経験から言わせてもらえば、多くの現場で目にするのは、包装されたサンドイッチやおにぎり、チョコレートやのど飴などの包装菓子、ペットボトルのお茶… 要するに「コンビニでサッと買ってきた感」溢れる品々だったりする。(メインとなるお弁当の質は予算や規模次第でピンキリだが)

もちろんコンビニが悪いなんて思わないが、その「サッと買ってきた感」は案外、出演者の士気に影響するのではないかと思う。音楽なんて所詮「気は心」の世界。ミュージシャンなんて単純な生き物だから、主催者の熱意とかお客さんの空気といったちょっとした事で、モチベーションもテンションもガクンと変わる。

お金の問題じゃない。(僕は賄いの予算がなくてパンと自作のシチューを持参した事があるが、幸いにも出演者には逆に喜ばれた)いやむしろコンビニで既製品を買いそろえる方が、出費は大きかったりするのではないだろうか。

要は「愛」なのだ。どう楽しい食を用意するか考える事を放棄して「買ってくれば済む」とする姿勢には、決定的に「愛」がない。オーガナイザー側が、選んだり作ったりする時間(言い換えれば、出演者の事を考える時間)を放棄している気がするのだ。

しかしこれは音楽の、楽屋だけの、食事だけの、話ではないのかもしれない。日本の「お仕事」の場面では、食事に限らず「楽しむ」事に費用や時間をかける習慣が、そもそもないのではないか。

「楽しむ」事で仕事も人生もうまくいくことの有効性が、過小に見積もられている。そんな日本の国民性が、バックステージの飲食物にも表れているのかもしれない。そう思うのであった。


(2013.12.18 ヲノサトル責任編集・渋東ジャーナル 改 より)

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