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カンガール【ショートショート】

 インターフォンを押してしばらくすると、扉の向こうから三十代と思われる女性が顔を出した。
 怪訝な表情の女性に、私は顔写真入りの手帳を見せた。

「随分、早いのね。ごめんなさい。まだ、準備できてないの」

 申し訳なさそうに謝る女性に、私は柔らかな笑顔を意識してほほえむ。

「いえ、とんでもないです。規則として、十分前にお伺いすることになっていますので。私は外でお待ちしていますので、ごゆっくり、お忘れ物のないようにご準備下さい」

「そう言ってくれると助かる」

 女性は表情を緩めつつ、私の顔からつま先までを観察している。

「本当に可愛らしいボディーガードさん」

 閉まる扉に向かって、私は深くお辞儀をした。

 扉が閉まると、地下通路の暗さはさらに増した気がした。人影もなく、等間隔に設置された蛍光灯が明滅を繰り返し、羽虫が群がっているだけだ。風もなく、湿っている。所々、通路の壁から細い管が突き出していて、絶えず水が垂れ落ちている。ここへ来る途中、そこを簡易トイレにしてる男性を見かけた。確かに、そのような臭いがこの場所には染みついているようだった。

 私はコンパクトを開いて、身だしなみを再度チェックした。
 髪は後ろで束ねてあるか。自然なメイクかどうか。リボンはきちんと結ばれているかどうか。スカートの丈は膝上五センチ以内かどうか。カンガルーポケットの位置は適正かどうか。

「お待たせして、ごめんなさい。ほら、はじめ、お姉さんに挨拶して」

 母親である女性と一緒に出てきたのは、今日のお客様である男の子だ。データには、四歳とあった。はじめ君は、私と目を合わせようとしなかった。なので、はじめ君の前に両膝をついて、目線を同じ高さに合わせた。

「今日、一日、はじめ君をお守りします。カンガールの美空です。よろしくね」

 はじめ君は黙ったままだ。

「この子、極度の人見知りなの。手を焼かせるかもしれないけどお願いします」

「もちろんです」

 私は携帯電話のマップの画面を開いた。

「目的地の海までは最短のルートで移動します。市街地を抜けさえすれば危険はないです」

「息子、地上は初めてなの」

「この年代のお子さんは、初めての方がほとんどです。目が慣れるまではこちらのゴーグルを着用していただきます」

「全部、あなたにお任せするわ。美空さん」

「お預かりします」

 私は深々とお辞儀をした。

 厳重な警備を何か所も通過して、私たちは高層ビルの地下駐車場へと出た。この地下と地上を繋ぐ出入り口は新しいルートだから、すぐに見つかる心配は少ない。それでも、油断はしてはいけない。大切な子供を、大切な未来を預かっているのだから。
 はじめ君と手を繋いで、注意深く周囲を見ながら、ビルの外へと出た。今のところ、何の気配も感じない。

「そのポッケ、なに?」

 はじめ君が初めて喋りかけてくれた。どうやら、私が制服の上から装着しているカンガルーポケットがずっと気になっていたようだ。

「これ? カンガルーって動物を知っているかな」

「知らない」

「昔、ある大陸にたくさんその動物がいたの。カンガルーはお腹に袋を持っていて、お母さんは子供をそのポケットの中で育てていたの。私たち、カンガールは、カンガルーみたいに危険が迫ったときにはお客様をポケットに入れて、目的地まで運ぶのがお仕事なの」

「危険って何?」

「昔は、みんな地上で暮らしていたんだけどね。自分のことばかりしか考えない大人が増えてしまったの。相手の気持ちを考えない大人たちは、争うようになってしまって、平穏を求める人たちが地下へと移り住んだの」

「へいおん」

 はじめ君は眉間にしわを寄せて、難しい顔をしている。私は、思わず笑ってしまった。
 その時、不審な物音が微かに聞こえた。私は、はじめ君のゴーグルのスイッチを押した。はじめ君は擬似映像を見ているはずだ。外の音も遮断されて、私としか会話できないはずだ。まだ、幼い子供がすべてを知る必要はない。

「はじめ君、ちょっと危ないからポケットに入ってくれるかな」

「僕、重くない?」

「心配ありがとう。でも、大丈夫。このポケットは、はじめ君の体重分の重さだけ力を貸してくれるの。だから、体感としての重さは変動しないんだよ」

「たいかんとしてのおもさはへんどうしない」

 ポケットに入ったはじめ君はさっきよりも難しい顔をしている。

「そうだ、カンガルーはすごいんだよ」

 はじめ君を不安にさせないように、私はカンガルーの話をすることにした。
 その直後、立ち並ぶビル二階のガラスが割れ、上から刀を持った武装兵が降ってきた。

「カンガルーは脚がとても速いの」

 スプリングシューズで地面を思いっきり蹴って、素早くガラスの破片の届かない場所に移動した。
 今度は左から銃を構えている。

「そして、ものすごいジャンプ力」

 私は地面を蹴って、銃弾を回避するために、信号機の上へと飛び乗った。
 下を見ると、道路には隠れていた武装兵やスーツを着た男が何十人も姿を見せた。真下には下りられそうにない。
 近くのビルに向かって、ジャンプする。
 ガラス張りのビルの側面を私は走っていく。
 道路からは私たちを狙って、たくさんの銃弾がとんでくる。
 背後のガラス窓が粉々に吹き飛ぶ。
 武装兵たちと距離をとると、道路へと下りて、私は進行方向へと全力で走った。後ろには引き下がれない。

「脚も速くて、ジャンプ力もあれば、敵から逃げられるね」

 前方に巨体の男が立ちはだかる。私は立ち止った。

「でも、逃げているだけじゃないよ」

 後方からはさっきの集団の怒鳴り声が近づいてくる。
 時間はない。
 私は、タン、タン、とその場で細かくジャンプする。カンガルーが体を大きく見せるためのポンピングだ。
 そして、構えた両手のグローブに力を込める。
 一気に加速して、相手の懐へと飛び込んだ。

「愛する人のために戦うこともあるの」

 溝落ちへパンチを見舞うと、巨体の男はその場に倒れた。


 海へと着くと、ゴーグルを外したはじめ君が目を丸くしていた。

「写真よりもずっとずっと大きい。海って、こんなに広かったんだ。それになんか臭い」

 私も初めて海を見た時、感動したことを思い出した。今日のはじめ君のようにカンガールのお姉さんに連れられてきたことを。

「この海の向こうにもたくさんの人が住んでいるんだよ」

「カンガルーもいるの? 会いにいきたいな」

 私はそれには答えず、はじめ君の手をぎゅっと握った。

 

 はじめ君を無事、送り届けて、私は報告書をまとめて、メールを送信した。
 時計を確認する。待ち合わせの時間まであと少しだ。
 束ねていた髪をほどいて、セットし直す。メイクも念入りにして、スカートの丈も短くする。
 地下都市の中央広場に十分前に着くと、私はコンパクトを開いて、再度チェックする。
 私の背後にあの人が立っているのがわかった。
 彼の両腕のポケットに抱かれた私は、自然な笑顔になれた。

(了)

 読んでいただきありがとうございます。
 そるとばたあ@ことばの遊び人です。普段は400字のショートショートを中心にLIVE形式のnoteを書いています。
 今週末の土日にかけてはそちらをお休みにして、過去に書いた作品や未発表の作品をnoteにupしていきたいと思います。

 今日28日(土)は、DAY1 Moon Stage

 5本の作品をupします。
 このお話は、Moon Stageの2本目。短い時間ですが楽しんでいただけたらなと思います。

(↑Moon Stage①兆候【ショートショート】)
 


文章や物語ならではの、エンターテインメントに挑戦しています! 読んだ方をとにかくワクワクさせる言葉や、表現を探しています!