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最高のおもいつき-ニューヨーク・ストーリー-

「今年もロックフェラーセンターのスケートリンクがオープン」

あるブログの記事を読んで、私は反射的に思ったのだ。
「そうだ、ニューヨークでアイススケートをしよう」

並び立つ星条旗が風にひるがえる摩天楼の狭間、周囲より1階分くりぬいたように窪んだスペースに、小さなスケートリンクがある。
そのリンクを中心に据えてロックフェラーセンターは立ちはだかっていると言ってもいい。
そこは観光地でもあるしオフィスビルでもあり、ショッピングセンターでもあって、多くの人がビジネスミーティングの前後や買物の合間に、四角いリンクを囲むように立ち止まり一休みする、そんな風景を目にすることができる。
クリスマスシーズンには大きな「大統領のクリスマスツリー」が飾られることでも有名だ。

ほんの少し考えるだけで、そこが舞台となる作品は幾つも挙がる。
出発前に観た「ニューヨーク・ストーリー」というオムニバス映画の中でも、コッポラ監督の第2話「ゾイのいない生活」でロックフェラーセンターのスケートリンクが登場していた。
大金持ちだが、音楽家の両親が海外を飛び回っているために高級ホテルで暮らす少女が、母親と久しぶりに買い物にでかけ、その合間にこのリンクを見下ろすシーンがある。

「ホームアローン2」でマコーレー・カルキンが母親と再会した場所でもあるし、「オータムインニューヨーク」でリチャード・ギアとウィノナ・ライダーがデートをした場所でもある。
それから「ライ麦畑でつかまえて」でも、ホールデンがサリーという、とびきり美人だけれどちょっとオツムが弱めの女の子とデートをするのもここ。

そもそもアイススケートをしたいだなんて、どう考えても個人的すぎる趣味だし、そんなアイデアに友人が付き合ってくれるとは最初から期待していなかった。
だから、この件については事後報告。
「日曜の朝8時半にスケート予約したから行ってくる。もし一緒に来たかったら、来てくれてもいいけど・・・」
友人は、ほんの一瞬だけ考えてから言った。
「行かない」
「だと思った」

大事な予定は朝一番に入れる、これは休日を最大活用するための鉄則。
ひんやりとした空気に紛れつつ、ラジオシティの正面を横切ってゆく。
日曜の朝、人通りはまばらだ。

実は、今回の旅で最高の思いつきには重大な問題があった。
私はスケートが滑れないのだ。

最後に滑ったのは小学生のときだったと記憶している。
そのときも見よう見まねで、ようやっと前進するのが精一杯だった。
優雅にスケーティングだなんていうのは、夢のまた夢。
それでも、旅というのはとかく、普段しないことをしてみたくなるもの。

幸いなことに、ロックフェラーセンターのスケートリンクでは、プライベートレッスンというのが用意されていることを知った。
個々人のレベルに合わせた30分のマンツーマンレッスンが有料で受けられるのだ。
この際、ちゃんとしたコーチにきちんとスケートを教えてもらおう、そう思ってわざわざ日本から電話で事前予約までとった。

受付カウンターもロッカールームの中も、あらかじめ想像していたよりずっと小さかった。
予約もいまどきノートにつけてあって、私が名前を告げると係の女性は「はいはい、これね」とページをめくる。

奥でスケート靴を借りて、履き替えた。
タイトに紐を縛る編み上げ靴というのは、不自由さがかえって心地良くもある。
律儀でスリムなシルエットとぴったりフィットする感触が、背筋をまっすぐに伸びさせるのが好き。

リンクの入口まで行くと、私のコーチが紹介された。
本当は別の女性がコーチをしてくれるはずだったが今朝はまだ来ていないからと、代わりに担当してくれることになったのがスーザンで、彼女はいかにも親しみやすい雰囲気のアジア系女性だった。
スーザンに促されて氷の上に歩み出す。
20年ぶりに立つリンクには、安定感のかけらもなかった。

「ほとんど初めてなんだけれど」と打ち明けると、スーザンは大丈夫よと明るく言い、私の手をとってリンクの中央へと導く。
そうして、姿勢のとり方や足の角度やら、そういった基本的なことから指導を受ける。
上体をまっすぐに起こして、顔を上げて、膝をしっかりと曲げて、スケート靴でhalf moonを描く。
バランスを崩しそうになっておぼつかない足元に思わず目をやると、顔を上げてと注意を受ける。

初心者中の初心者の私を、スーザンは丁寧に根気強く見守ってくれて、ほんの小さな上達を「すごいわ」と大げさに褒め、進歩の遅さを「みんなそうなのよ。分かるわ」となぐさめる。
私はとにかくほんの少しでもスケートっぽくなるように、「上体をまっすぐに、顔を上げて、膝を曲げて・・・」とイメージを繰り返しながら真剣になる。
ごく基礎的なことをしているだけなのに、普段は使わないような内腿の筋肉に力をいれるせいか、自然と息が上がってきて、想像した以上にいい運動になる。

レッスンが始まったばかりのときはまばらだった人の数が徐々に増え、中には小さな子どもも綺麗なフォームで滑り抜けていく。
上手な人は片足を上げたり、何度もスピンを決めたりと、優雅にフィギュアスケートを演じている。
リンクを囲む観光客や買い物客の群れも増え、狭いリンクは随分と賑やかになっていた。
映画で観たロックフェラーセンターのスケートリンクそのものの空気。

レッスンは30分のはずなのに、スーザンは「この後に生徒がいないから」と引き続き私の面倒を見てくれて、「ニューヨークは初めてなの?」「どこに泊まっているの?」とおしゃべりをしながらスケートを続けた。
結局、友人との待ち合わせ時間ギリギリまで1時間半近くレッスンを受けることができて、私は最後にスーザンにお礼を言った。
「これから友達とハーレムにゴスペルを聴きに行くのよ」と言うと、スーザンは「あなたはとても勇気があるのね。外国に来てスケートを習ったり、ハーレムにでかけたり、ひとりでなんでもできるわ。私は怖がりだから何もできないのよ」とはにかむ。
私は、なぜだか急に彼女のことが愛おしく感じて、それでもどう伝えていいか分からないので、とにかくこう言った。

"You're really really great"

「また逢えるといいわね」
「そうね」
軽くハグをして、スーザンに別れを告げる。

私にはその日、まだ山ほど予定が残っていた。


ニューヨーク・ストーリー New York Stories(1989年・米)
監督:マーティン・スコセッシ、フランシス・フォード・コッポラ、ウディ・アレン
出演:ニック・ノルティ、へザー・マコブ、ウディ・アレン

■2006/11/19投稿の記事
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