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そこで暮らす人-永遠のアフリカ-

3月にバンコクに行った際、お世話になった友人が一時帰国したということで、久々に会って食事した。
驚いたのは、3月にはバンコクだったのに、彼女は今、チャドで働いているらしい。

チャドというのは、アフリカの内陸国。
ナイジェリアやスーダンの南あたりだそうだけれど、よく分からない。
とにかくとてつもなく、遠いところだ。
当然日本から直行便はなく、パリまで12時間、そこから6時間でチャドの首都まで、さらに国内線で1時間半。
公用語はフランス語とアラビア語で、宗教は主にイスラム教。
中緯度高圧帯の直下にある、砂漠多き国。

そんなところで働く彼女は、国連のインターナショナルスタッフ。
国連には自国で働くローカルスタッフと、自国外も含めた世界中いたるところで働くインターナショナルスタッフがいる。
後者は必然的に転勤人生で、彼女はバンコク2年の後、チャドに最低1年、その先はまたきっと全然別な国に移り住むことになる。

今の仕事は「難民登録」と言っていたけど、具体的に何をやるのかはよく知らない。
なんだか、人の役に立ちそうなことだ。

彼女に見せてもらった写真には、乾燥地帯に設けられた難民キャンプと、そこでカメラに笑顔を向ける子どもたちの姿が映っていた。
真っ黒な顔に白い歯が眩しいほどの子どもたちは、何がそんなに嬉しいのか、満面の笑みで手のひらをこちらに掲げ、飛び跳ねるような格好をしている。

「肌の色の違う人が珍しいみたい。いっぱい腕とか肩とか触ってくるの」

私たちは、映像や写真で彼らの暮らしを垣間見ることがある。
そのリアルなところは知らないとしても、地球上に、真っ向に自然と触れながら、あるときは恵みを得、あるときは脅威におののく人々の暮らしがあることを知っている。

アフリカには多くの部族がいるし、アジアにも多くの部族がいる。
昔ながらの生活を続ける人たちがいる。

でも、彼らのほうは、私たちのことを知らない。
テレビもないし、ラジオもない。
写真を撮ることも、撮られることも滅多にない。
自分たちの満面の笑みが実際に現像されたものを、見たことはないかもしれない。

「車を見かけただけで一生懸命手を振って追ってきたりするの」
「見たことのないものだと、怖がるものじゃないの?」
「子どもは怖がらないね。でも、逆に大人は人見知りするし、出てこなかったりする」
「そうなんだね。やっぱり」
「うん、そう」

彼らにとってみれば、私たちの生活や習慣はおろか、私たちの顔かたちさえ、なじみのないものだ。
かつての日本人にとって白人が天狗に見えたように、彼らは私たちを人間の亜種のように思うだろう。

どちらを基準にするかで、物事はだいぶ異なって解釈される。

チャドは暑いらしい。
バンコクも暑かったけれど、それとはまた違って、熱い国らしい。
土埃がたって、乾燥しているらしい。
モノも食べ物も、種類が乏しいらしい。

チャドの子どもたちからすれば、日本は恐ろしく寒くて、うるさくて、危険がいっぱいの国だろう。
雨が多くて湿気ているだろう。
夜になっても明るくて、山ほど人がいるだろう。
モノも食べ物も、消費量を大きく超えて溢れているだろう。

チャドのインテリ層は、日本に行ってみたいと言うのだそうだ。
日本に行って、電化製品を買いたいのだそうだ。
友人も、デジカメとイッセイミヤケの香水を同僚に頼まれていると言っていた。
当の本人も、ノートパソコンを買っていたけれど。

バンコクほど気軽に「遊びに行くよ」とは言えないけれど、私も彼らの国に行ってみたい。
アフリカというと、本当に本当に遠い場所のような気がするけれど、確かにそういう人たちがそういう場所でそういう暮らしをしている。

アフリカを舞台にした映画は結構多いのだけれど、私が好きな作品の一つはキム・ベイジンガー主演の「永遠のアフリカ」。
ヴェニスに暮らす上流階級の白人女性が、恋人に誘われてケニアの地で生活を始める。
彼女は、様々なカルチャーショックと脅威に晒されながら、愛と哀しみを生きていく。
罪なほど美しい大地に沈み込んでいく悲劇。

友人が翌日には発つというのを、仰ぐような気持ちで見た。
タフなこともたくさんたくさんある環境だろうけど、元気で、楽しく、あなたがハッピーでありますように。
素敵な経験を、いっぱいいっぱいできますように。

永遠のアフリカ I Dreamed of Africa(2000年・米)
監督:ヒュー・ハドソン
出演:キム・ベイシンガー、ヴァンサン・ペレーズ、エバ・マリー・セイント他

■2005/1/11投稿の記事
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