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クリスタライズド・インテリジェンス-夢を叶える夢を見た-

混雑極まりない新幹線の中、通路を挟んだ二人がけ席に仲睦まじい若いカップルがいた。
私は風邪のひき始め、既に熱っぽくて気だるい。

カップルの男性がNINTENDO DSを取り出してゲームを始める。
あ、あれだ、「大人のDSトレーニング」。

正確には「脳を鍛える大人のDSトレーニング」。
松嶋菜々子がCMをやってる、あれ。
今、かなり流行っているんだろう。

実は、新幹線に乗る直前、友人夫婦の家で私はこのゲームに初チャレンジした。
以前からちょっとやってみたかったのだ。
計算だったり、暗記だったり、音読だったり、じゃんけんだったり、様々な「知能テスト的」ミニゲームが収録されていて、反応速度と正確さを測定していくという、ある意味では単純なゲームなのだが、タッチペンを使って実際に文字を書いたり、答えを発声させたりと、回答方法が従来とは異なる。
なかなか面白いし、なるほど幅広い層が簡単にとっつけてはまりやすそうな、よくできたゲームだ。

私はこういうの、ちょっとやるとめんどくさくって、瞬間的に飽きてしまうタチなんだけど。
ホントに私って「落ち着きがない」。

ただ一つ、このミニゲームのなかで、繰り返してやってみたくなったものがあった。
それは「瞬間記憶」。

20個くらいある単語を3分で覚えて、3分で全部書き出していくという、これまた単純な遊び。
でも私、こういうの、大好き。

ものすごい勢いでモノを暗記して、ものすごい勢いでそれを再現して、ものすごい勢いでそれを忘れるということにおいて、学生時代、私は相当得意だった。

授業ごとの小テストの前に英単語の30個くらいは10分もあれば平気で憶えられた。
黒板やノートに書いてあることを写真のように憶えるという技を編み出したり、歴史のテストの前日に教科書の文章を丸暗記するという荒技に出たこともある。

苦手な数学さえ問題と答えを丸暗記するような有様だったので、受験数学は全くダメだったけれど、英語や古文、歴史、地理、生物といった暗記が礎になるような教科は、「とにかく何かしら憶えればなんとかなる」と固く信じてひたすら暗記にいそしんだ。

よく言われることだが、暗記のコツは、関連づけだ。
全く無関係そうなものとでもいいから、何かとセットで憶えると印象に残りやすい。
特に瞬間記憶に重要なのは、脈絡なんかなくてもストーリーを作るとかリズムに乗せるとか、ゴロに合わせるとかそういう類のことが、笑い事じゃないレベルで役に立つ。
アホらしいかに思えて、実際アホらしいが、それでもそのアホらしいことをアホになってやれば、柔軟な若い頭はなんでもかんでも憶えてくれる。

暗記がからきしだめな弟に「どうやったら憶えられるの?」と何度か訊かれたが、「アホになれ。考えるな。バカバカしいゴロ合わせほど憶えられる」と答えた。

「そんなん無理や。ゴロ合わせなんか浮かばへん」
「いっつもアホなことばっかり言うてるのに、なんで浮かばへんねん。なんでもええねんで」
「その、なんでもええのんが浮かばへんねん」

そういうのが向き、不向きなんだろうか。
うちの弟は、アホなことを言うことにかけては、私的にはドランクドラゴン並に才能のある奴だと思う。
ただシャイで内弁慶なので、知らない人の前ではそれが発揮されないという致命的な欠点があるが、もう少しアクティブならば、彼が芸人になるのを私は止めなかった。
しかし、そんな弟も、それが「勉強」とひとたび構えると、語呂合わせの一つもできないというのだから不思議だ。

そんなわけで、私はこの類の瞬間記憶が大得意・・・のはずだった。

ところが、実際にやるとなると、全然ダメ。
いや、全然ダメってほどでもないが、特に優れているわけでもない。

たぶん何度かやれば、つまり「脳を鍛えるトレーニング」をすれば、馴れてきてうまくやれるようになるのだろうが、以前なら簡単に憶えられる量だったと思うのに、それが全くダメなのだ。
かつてあんなに得意だった「憶えるプロセス」がすんなりとなぞれない。

これが「年をとる」ということだろうか。

確かに、記憶力は劇的に落ちている。

まず人の名前が憶えられない。
知人の名前、芸能人の名前。
映画のタイトルなんかもそうだし、単純なはずの固有名詞が出てこないこともある。

なんというか、こういうときに使うはずの脳のある部分が動いていない、あるいは動いていても鈍いというのが、感覚的に分かる感じがする。

確実に衰えている。
私の記憶力はもう確実に下降線をたどっている。

そういうのは、誰もががっかりすること。
自分が確実に老いて、確実に死んでいくのだと、そういう生き物なのだと思い知る出来事だから。

でも、いい話がある。
ちょうど2年くらい前だったか、東京のはずれで仕事をしていた折、オフィスに戻る車が高速の渋滞にはまり、夕闇迫る新宿のビル群をぼんやりと眺めていた金曜の夕方。
地図を映し出すカーナビの後ろから、テレビ放送の音声が届いていた。

情報バラエティ番組のようだが、人間の記憶力について解説している。

人間の記憶に関わる能力には2種類ある。

一つは新しいことを憶える能力。
これは、大昔の私が得意だった能力。
でも、今はどんどん衰えている能力。
人間は年をとれば新しい情報を受け付けにくくなり、それを無意識に拒絶してしまう。
だから、物覚えも悪くなり、性格も頑固になる。

もう一つは、既に知っていることどうしを結びつけて、新しいことを発想する能力。
「クリスタライズド・インテリジェンス」、「結晶性知能」とも呼ばれている。
これは、知恵、とも言えるかもしれない。

このクリスタライズド・インテリジェンスは、年をとっても衰えない。
それどころか、年をとってからしか発達しない。
イメージ的には25歳に差しかかる頃、前者の記憶力は下降し始め、後者の能力は発達を始める。
70になっても、80になっても、クリスタライズド・インテリジェンスは高まり続けていくと言うのだ。

そしてまた、このクリスタライズド・インテリジェンスがどの程度高まっていくかは、一つにはどれだけの知識や経験のストックがあるか、ということに依存するのだと言う。
だから、若いときの勉強や経験は、本当に大事なのだ。

この話を聞いたとき、私は言い知れぬ興奮をおぼえた。
「これはすごい!」と、希望がわき、人生の素晴らしさを見直したりさえした。

そして、そう思うとますます、衰えかけた瞬間記憶力なんかを本気で磨いてどうするんだ?という気にもなった。
あれは、所詮遊びなのだ。
憶えられなければ、メモをとればいい。
それだけのこと。

もう英単語の小テストなんか受けなくていいんだから。

こんな毒舌を吐くと、どこかで非難されそうだが、でも、大人が本当に鍛えるべきなのは大人にしかできない知恵のひねり方なのだと、私は思う。
瞬間記憶がからきしできなくなった人間の負け惜しみみたいなのだが、たぶんこれは本当のことだ。

最近、友人に紹介されて内館牧子の「夢を叶える夢を見た」という本を読んだ。
夢を叶えるために飛んだ人。飛ばなかった人。
その結果、成功した人。成功しなかった人。
様々な人々を取材して、幸福や人生の意味を問い直すノンフィクションだ。

この本に書いてあったことについては、実は色々と思うところがある。
本質としては少しテーマが違うかもしれないが、文中に「人生のタイムリミット」といった話があった。

夢に向かって飛ぼうとしたとき、何歳までなら人は飛べるのか。飛んでもよいのか。
成功する可能性がまだ残っているのか。
幸せになる可能性がまだ残っているのか。

はっきり言えば、答えはない。

一般的には30代半ばと答える人が多いらしいし、実際に飛んだ人に訊けば45歳という意見が多いようだ。
しかし50代で飛んだ例だってある。

だから何歳とは言えない。
ただ、飛ぶことは年がいくほど怖いものになり、挑戦のハードルは精神的に高くなることは確かだ。
それはルールではなく、自分自身との闘い。

一方、「知恵の活かし方」のようなものさえ知っていれば、知識や経験を多くストックとして持っている年の功は必ず役に立つのだと、そういうメッセージは印象的だった。

私たちは、下手に年をとっているわけじゃない。
ただなんとなく大人になっているわけじゃない。

重ねた分の年齢が、ちゃんと命に積もっている。
年をとったからこそ、スムーズに始めやすいこともたくさんある。

私は今、30歳で、それが若いのか若くないのかよく分からないが、でも、これからこそ伸びていく能力があるのだよと言われれば、ちょっと嬉しいし、ちょっと心強い。


夢を叶える夢を見た
著:内館牧子
出版:幻冬社

■2006/1/8投稿の記事
昔のブログの記事を少しずつお引越ししていきます。

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