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母の家出-アルプスの少女ハイジ-

普段あまり私から電話しないので、着信が家族のものであるときはいつも、一瞬ドキッとする。

嫌な想像がよぎるのだ。
家族に何かあったという知らせだったら、と。

そんなときは自分の親不孝を悔やむ。
そして、いつか、必ず来るその日のことを恐れる。

・・・で、昨日も母から着信。

「なにしとんのん?」
能天気な母の声。
この人は、いつもこう。

「いや、別に。仕事中やけど」
「ふうん。あんなー」

こちらの事情はおかまいなし。
マイペースで話し続けるのがうちの母親。

どうやら、先週末、三朝温泉にカニを食べに行ったらしい。
一通りその報告をする。
うちの両親は、月に一度、夫婦で旅行することが習慣で、母はその前後に必ず私に電話してきて、その自慢話するのだ。

今回のニュースは他にもあった。
先週、母は新車を買ったらしい。

「何やと思う?」
母はこういうとき、決まってもったいぶる。
「マーチやろ?」
私は即座に答える。

ヒントなんてなくても、すぐ分かる。
一言も説明しなくたって、この人が買う車はマーチだ。
なぜなら、前に乗っていたのがマーチだったから。
そして、妙にそれが似合っていたから。

彼女の好みそうなものはたいてい分かる。
去年の母の日に贈ったバッグは、まさにその日、彼女が買物に出て購入するのをためらい、結局買わなかったものだったらしく、帰宅するとそれがちょうど郵送で届いたので、絶妙のタイミングにお互いに驚いた。
店に行く前から、私の頭の中にははっきりと母の好む品物のイメージができていて、迷う余地もなくそれを選んだ。
もしかしたら、母親が似たものをもう自分で買ってしまっているかもしれないな、くらいに思うほどだった。

以心伝心?

まあ、長い付き合いだから。
それに、母は至極単純な人なのだ。

天真爛漫とはまさにこういう人のことを言う。
そんな母が、ある日、家出した。

数年前、早朝におばあちゃんから電話があった。
「お母さん、そっちに行ってないか?」
「来てないよ。なに?どしたん?」
「あんなあ・・・お母さん、家出してどこ行ったか分からへんねん・・・」

心配性で気の小さい祖母(母にとっては姑)は、本当に参った様子だった。
聞くと、昨晩、父と母は夕飯の内容をめぐって口論になり、母が怒って家を飛び出したと言うのだ。
何度車検を通したか分からないほど古い、パールブルーの旧型マーチに乗って。

両親の夕飯をめぐる喧嘩は今に始まったことでなく、毎度のことだった。
私が小さい頃からしょっちゅうだ。
これがほんとにくだらなくて、おかずの品数だとか、味付けだとか、手抜き加減だとか、なんだとか、年がら年中そういうことで喧嘩している。

毎度うるさい父も父だが、それを改善するでもなく、かと言って決して受け流しもしない母も母だ。
よくも何十年も同じレベルの同じ内容で喧嘩ができるものだと思う。
ちっとも進化がないのだから。

それでも母が家出するというのは、私が物心ついて以来、初めてのことだった。
しかも昨晩家を出たきり、朝になっても戻らず、車もどこに行ったか見当たらないと言う。
いつもと同じことなのに、今回は一体、何がまずかったんだろう?

祖母は本気で心配していて、ひとまず親戚の家に電話して、母がやっかいになっていないかと聞いてまわっている。
とりあえず既に母の実家には電話したようだけれど、そちらにも音沙汰はなかった。
祖母の頭の中には既に、霧に包まれた湖の脇にぽつねんと一台止まった小型車のイメージができあがっているらしい。
さすがにそんなことで死のうとするなんて、ないと思うけど・・・。

そして父はどうしたかと言えば、ほうっておけと無視を決め込んでいて、祖母ばかりが細い胸を潰しそうになっていた。
「おばあちゃん、大丈夫やって。すぐ帰ってくるわ」と言いながら、私も少し心配だった。
そして、こんなふうに可哀想な祖母を不安にさせてまで家出する母親の身勝手さに、呆れるような腹が立つような気持ちもした。

といって、どうすることもできないので、その日も私は普通に会社に行った。
そして昼頃、再び祖母から電話があった。
今度は明るい声だった。

「お母さん、おったわ」

ひとまず安堵を祖母と分かち合った。
電話口に出ることもなかったけれど、父親とて同じだったに違いない。

「で、どこ行っとったん?」
「それがな・・・」

なんと、母は家にいた。
わざわざ車を家から離れた場所に止め、夜中にこっそり帰って、今は誰も使っていない2階の私の部屋で寝ていたらしい。
昼前まで寝て、父親が仕事に出た後、何事もなかったように階下に降りてきたというのだから、呆れるというか。笑えるというか。

祖母は、心底驚いただろう。
母は、この優しい姑に感謝すべきだ。

うちの母というのは、そういう人だ。
まるで子どもみたいな、おかしな人だ。

「アルプスの少女ハイジ」を観て母親を思い出すというケースも珍しいだろう。
母性の存在と言うより、うちの母は少女のようで、いつも好き勝手自由に生きている。
好きなことだけやって、よく笑い、よく泣き、よく怒る野生児のようだ。

私が高校2年になるまで保健室の先生として働いていた彼女は、子どもがとにかく大好きで、幼い子にもヤンキーにもなつかれる。
昔、自宅に帰ると、母親が連れて帰ってきたよその家の子どもがうちで遊んでいるということさえあった。

最近は、ボランティアで近所の小学校で児童保育の手伝いをしていて、7つか8つの子どもたちと過ごす時間がとても楽しいらしい。
自慢げに母が言うには、彼女流の人心掌握術は「おばちゃんちのペットはキリン」というありえない嘘だというから、驚く。
「キリンの名前は?」と聞かれれば「ノッポ太郎」とかいう謎のセンスでネーミングし、子ども心はもはや虜。
「ほんまにー!おばちゃんち行きたいー!」と大人気なのだと言う。

そう言えば私は、幼い頃、母と「お話作りごっこ」をするのが一番好きな遊びだった。
母と私が少しずつ交互に物語を作っていく。
そのとき作った中で、今でもストーリーを憶えている名作は、カメが風邪を引いた友達のキツネの見舞いに行く途中、熊のお菓子屋におみやげを買うために立ち寄る「熊のお菓子屋さん」。
カメを主人公にしたのは母親で、熊のお菓子屋さんのショーケースに並ぶ品物を考えたのは私だった。
寝る前にはよく、その想像力の遊びをしようと母にせがんだ。
楽しい遊びだったので、物語がいつまで経ってもエンディングを迎えないのが、珠にキズだったけれど。

「アルプスの少女ハイジ」の真っ赤なホッペタ。
農家の生まれの彼女にはまさしくふさわしい。
ハイジが懸命に腕を振って駆けてくる姿が、妙にはまってしまう、53歳。

確かに彼女は私の母親だけれど、多くの点において母親らしい性質のない人なので、私はあまり彼女に母性を期待しない。
どちらかというと、祖母の方にそれを感じるくらいだ。

街角で唐突にパールブルーの旧型マーチを見かけると、母に出くわした気持ちがする。
トレードマークのように、どこへ行くにもあの車なのだ。
クリープが利かないCVT車で、上り坂でブレーキを踏まないとずるずると後退してしまう、乗りにくくてしょうがないあの車。
「お母さん、これまじで危ないから、代えたほうがええよ」
とさんざん言ってみても、「ええねん。私はこれになれとんねん」と頑なに14年乗り続けた、あの車。
あれを買ったのは、その前の車が壊れた、私の高校受験の冬だった。

今度実家に帰ったとき、庭先に止まっているのは何色の新しいマーチだろう。
私の予想では、ラベンダーかオレンジ。

たぶん、正解。
母の好みは、ようく分かっている。

アルプスの少女ハイジ(1974年・日)
監督:高畑勲
原作:ヨハンナ・スピリ
声の出演:杉山佳寿子、宮内幸平、丸山裕子他

■2005/2/24投稿の記事
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