シャッターを切る-想い出がいっぱい-
正月に実家に帰省した折、母が表紙の日焼けしたアルバムを引っ張り出してきた。
私と弟の小学校に上がるより前のアルバム。
四半世紀も寝かせられれば、文字通りセピアの色調になる。
まして、70年代。
前髪を眉毛の1cmくらい上に切りそろえたおかっぱ頭の私。
短いワンピースの裾から、ワカメちゃんみたいにパンツがいっつも見えている私。
子どもらしい滑らかな頬を紅く輝かせ、瞳に光をちりばめている私。
どれもこれも、笑顔だ。
作り笑いじゃない。
自然で、幸福で、愛に満たされた笑顔だ。
ファインダーからこのかわいらしい娘を覗く父や母も、きっと幸福と愛に満たされただろう。
そういう、とびきりいい顔だ。
あの頃はどうして、こんなにいい顔ができたのかなあ。
いつから、表情を作ることを憶えたんだろう?
そういえば、最近はあまり写真を撮っていない。
撮られてもいない。
3つか4つの私は振り返ることができるけれど、31歳の私をこのままでは振り返ることができないんじゃないか。
そんなことを少し考えた。
そうだからというだけが理由ではないのだけれど、とある土曜日の朝、日比谷でフォトレッスンを受けてきた。
二日間限りの初心者向け写真教室。
それもいまどきアナログ写真。
最初に2時間ほど、写真の技術について学ぶ。
ピント、露出、シャッタースピード。
オートフォーカスカメラではほとんど気にしたことのないことを、やわらかく噛み砕いて説明を受ける。
短時間にいっぺんに聞いて、ほんのちょっと分かったような気になったが、その後、1時間の自由撮影会で実際には何も分かっていないということを知る。
仮に理屈が分かっても、何を一体どのくらい調節したらどんな写真がとれるのか、頭の中にイメージできないのだ。
どうしたら上手にとれるのかという疑問に対する答えは明瞭で、人になんか訊かなくても私だって分かる。
たくさん撮ること。
とにかくたくさん。
でも、私がその教室に足を運んだ目的は、本当は写真が上手になりたかったからじゃない。
なんというか、それは、写真を撮るという気持ちを思い出すためだった。
あるいは、私以外の人たちが、どんな気持ちやどんな視点で写真を撮るのか、それを知りたかったからだ。
限られた枚数のフィルムを与えられて、けれど撮影に使える時間は限られている。
その条件の中で、私は何を選び取るのか。
私たちは何を選び取るのか。
闇雲でもいけない。投げやりでもいけない。
かといって、慎重すぎてもいけないし、ためらってばかりではシャッターチャンスを失う。
できれば美しく、できれば面白く、できれば心に残る写真が撮りたい。
目の前にある今、一瞬後には過去。
シャッターを押せば、思い出。
あらゆる出逢い、あらゆる存在、あらゆる感情の中で、私は何を選び取るのか。
私たちは何を選び取るのか。
ちょうどその前夜、友人たちと懐メロカラオケ会なるものを開いた。
80年代~90年代、1975年生まれの青春を紐解く。
偶然にも誰かがトリに「思い出がいっぱい」を歌う。
1983年、H2Oによるヒットソング。
あだち充の漫画「みゆき」のアニメ放送のエンディング曲で、私は当時ほんの小学校2年だったのに、この歌をよく憶えている。
8つだった私の耳に「少女だったといつの日か思うときが来るのさ」と響いた歌は、いまだ知らぬ未来への憧れと、同時にまた宿命とも言うべき哀愁の予感を抱かせた。
私の未来がいつか過去になる日。
そうして、切ないシャッターを切る。
ただ愛をこめて、もう二度と逢うことのない一瞬に向けて、シャッターを切る。
想い出がいっぱい(1983年・日)
音楽:H2O
作曲:鈴木キサブロー
作詞:阿木燿子
■2007/2/12投稿の記事
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