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茅場町昼食事情-泥の河-

私が勤めるオフィスは茅場町にある。
証券会社が立ち並ぶ、株式の街。
といっても、最近流行の外資系金融のオフィスがあるのは港区方面で、茅場町にある会社のほとんどは一昔前に最盛期を迎えた日系の中小証券だ。

このギャンブルくさい歴史のある街は、同時にやたらオヤジくさい。
他のオフィス街で見かけるような若いOL達の姿は圧倒的に少なく、それがゆえ、この街の飲食店には偏った傾向がある。

イタリアンだとかフレンチだとか、あるいはコジャレた創作和食だとか、そういった類のいわゆるギャル向けの店はほとんどなく、その代わりにあるのは、すえた居酒屋、食券式の定食屋がほとんど。
オヤジが好むオヤジ向けの店。
内装なんかも洗練などという言葉とは程遠くって、最低限の清潔さをキープしただけの素朴というより簡素な風情ばかりだ。
場合によって、それはアジア的な混沌とも呼べる。

天井がやたらに低くて照明は薄暗く、昼とも夜ともつかぬカタコンペみたいな地下食堂。
煙草の煙がもくもくと店内を覆うコンクリート敷きの定食屋。
隣と肩がぶつかりそうな間隔で円テーブルを椅子が囲む中華食堂。

昼食となれば、そんな店々にも人が溢れる。

食券を求めて入り口のレジに並ぶ列。
無愛想に忙しく動き回る三角巾のおばちゃん。
セルフサービスのアイスコーヒーと山盛りの生卵。

私たちは昼食を、オヤジ飯とギャル飯に呼び分けて、たいていの日はオヤジ飯に落ち着く。
ギャル飯にありつくためには、相当歩いてそれらの店を目指さなければならないし、限られた人気店が満席になってしまう前にたどり着こうと思ったら、昼休みに入る前に席を離れるくらいの準備が必要だからだ。

オヤジ飯の場合、たいていの店のメニューに大差はないし、味の差はまずいか普通かという低次元。
転職5ヶ月もすればローテーションはもう何順目にもなるが、「今日はこれが食べたい」というほど積極的に選ぶ店はなく、たいてい「今日は何にする?」「うーん、何でもいいけど・・・」となる。

そんな私の昼食事情、このところささやかな変化が起きた。

茅場町駅周辺の中でも、私が勤めるオフィスは新川という場所にあるのだが、そのオフィスのすぐそばに、2月の半ば「小次郎」という、昼しか営業しない小さな小さなうどん屋ができた。
武蔵野うどんと言うらしい。
非常にコシが強くて太い麺の盛りうどんで、粗めの喉越し、かすかに蕎麦を思わせるような穀物の香りがする。
豚バラ肉を浮かべた熱い汁につけて食べるのも、思った以上に脂っぽくはなく、なかなか結構いける味なのだ。

近辺の店の中では珍しく味で個性を発揮できる「小次郎」は、これがまた際立って簡素な内装をしている。
倉庫というか物置のような幅の狭い箱、アルミサッシの戸口、飾り気のかけらもないコンクリートの床と壁、背が高い無機質な長テーブルは真ん中に低い仕切りがあって、必然的に連れとは隣り合わせに座り、向かい合わせには見知らぬ客が座る。
冬の間は特に隙間風を感じ、上着を脱ぐと寒いので、震えながらうどんが来るのを待つ。
正直言って、店としての居心地は最悪。
したがって、客の回転率は非常に高い。
それでも開店から1ヶ月もすると、相当な常連客がつき、店はどんな日の昼も賑わうようになった。

「小次郎」ファンの一人Sさんは毎日のように通っていた。
私が「小次郎」に行くのはせいぜい月に一度か二度だが、必ずその度、Sさんがたった一人で天ぷら付の大盛りうどんを頼むのを目撃した。

「Sさんって気に入った店には、ほんとに毎日通うのよ。半年くらい毎日おんなじもの食べるの。前は向こうの蕎麦屋にはまってたもの」
私がよくランチを一緒にするIさんはそう言う。
Iさんはかつて大手広告代理店の営業をしていた姉御肌の女性で、社内の事情にも、近隣の店の事情にもすごく詳しい。

ある日、Iさんが大変なことが起きたと報告してくれた。
「小次郎、最近休みの日が多かったでしょ?あれ、もう閉店しちゃうみたいなのよ」

確かに、6月に入ってから、「小次郎」が度々店を開けない日があった。
それほど気に留めていたわけではないが、誰かが「今日も休みだ」と言っているのを聞いたことがある。
「なんで閉店しちゃうんでしょうね?繁盛してたのに」

「私はね、オペレーションの問題だと思うわけ」
Iさんは、大いに説得力のある持論を展開し始めた。

「あの店の厨房に若い男の子がいたでしょ?あの子がちょっと前からいなくなっちゃったのよ」
私は厨房の中の人の顔まで憶えていない。
Iさんの観察力には感心する。
「いたのよ。なかなか手際のいい男の子がね。
それがいなくなっちゃって、代わりにそれまで注文聞いてた女の人が厨房の中に入ったの。
それで、またその代わりに新しい男の子がホールに入ったわけなんだけど、これが全然だめなのよ」
Iさんは「ぜんっぜん」と力を込めて言う。

「どうだめなんですか?」
「まずね、食事が終わった皿をなかなか下げないの。
それからテーブルの番号も憶えてないみたいで、どこに配膳したらいいかその度にもたもたしてるの。
配膳のついでに待ってる客の注文とったりすればいいのに、それもできないし。
ありゃ、だめだね」

なかなか示唆深い話だ。
一人スタッフがいなくなったことによって、役割配置に変化が生じ、もう一人追加して人数だけ戻しても結局立ち行かない。
飲食店のオペレーション一つとっても、人間は数だけの問題じゃないと思い知らされる。

「そのだめな男の子のせいで、回転率勝負のあの店で行列ができたり、配膳が遅かったりってことが起きちゃうわけ。
たぶん、なんか中でもめてるんだろうね。
だから休みが多くなっちゃって、終いには閉店よ。
ほんともったいないわよね。美味しかったのに」
「ほんとですねえ」
「Sさんなんかさ、がっかりしちゃって。かわいそうにね」

Iさんはさも重大な事件とばかりに、自らの推理を噛みしめていた。
私はIさんの鋭い分析に感心をした。
それからIさんと私は、戯れに少し「小次郎」がどのような対策を打つべきだったかを話し合ったのだが、結論としては多少の初期投資が発生したとしても自動食券機を置き、さらにセルフサービスにして客に料理を取りにこさせることでホールのスタッフ数を最低限に抑えてはどうかということだった。

そうやって考えてみると、茅場町の多くの定食屋がやっているスタイルはなるほど理に適っているのだと分かる。
「小次郎」は端から居心地が最悪の店であり、それでもあれだけ繁盛していたのだから、あの店がセルフサービスになったからといって客数が減るとも思えなかった。

そして6月末、Iさんが大事件と謳いあげる、もう一つの悲しい出来事があった。

霊岸橋のたもと、川沿いに「増田や」という古い木造二階建て一軒家の店がある。
夜は安い居酒屋、昼はレジにおばちゃんが立って食券を売る食堂で、昭和21年創業という年季の入った佇まいをしている。
古ぼけた看板には割烹レストランと書いてあるが、夜には鍋物を出すらしく、ガラスケースに蝋細工の「名物スタミナ鍋」が飾られている。

私の上司Mさんは、その店で必ず肉野菜定食を頼む。
特盛りの肉野菜炒めと納豆、うどん、山盛りのどんぶりご飯に漬物がついて950円。
私が入社して最初にMさんに連れて行ってもらい、「今回だけだけど」とおごってもらったのがこの「増田や」で、私はそのとき日替わり定食を食べたが天丼とうどんのセットという炭水化物満点で850円だった。

「小次郎」とは違って料理は量と種類で勝負しているだけで、味は正直、お腹を満たす程度のものだ。
しかし「増田や」の特徴は、その風情だと言える。
1階の奥にあるテーブル席は、黒檀色のがっしりとした古い造りで、広い窓の外にはゆったりと流れる川の景色が広がっている。
そこでは、戦後の匂いとも言うべき懐かしさが、時の流れを失ったように柱の傷や天井のシミで息をしている。
昼食を平らげたあと、川面に遊ぶ水鳥の姿や、夜には潤んだように点るはずの今は乾いた提灯や、ごくたまに往来する小さな汽船を眺めながら緑茶をすする。
私は宮本輝の同名小説を原作とした「泥の河」という映画を思い出す。

色褪せた暗い画質の、嫌な切なさがある作品だ。
舞台となるのは昭和31年。
どうしようもなく傷ついた後、そこから這い上がり始めた人々が、小さくてかすかな光を探す時代の物語。
川沿いの食堂の息子と舟上生活をする貧しい少年が出逢い、ささやかな友情を育み、そして残酷で切ない別れをする物語。

すがりついても最低限に生きていかなければならない、貧しくて苦しい日本が最後に見た時代。

この作品を私が見たのは主人公の少年と同じくらいの歳の、小学生のときだった。
ひどく衝撃的で重い気持ちになり、ただ何かいまだに忘れてはならないと思わせる強い感傷を与えられた。

「増田や」は、ちょうど営業60年。
壁に貼られた無数のメニューには、電気ブランなんていう、今の時代、珍しさ以外で頼む人もいなそうなまずい酒の名前もある。
この店が同じ場所から見てきた60年は、どんな物語に彩られていただろう。

そして、「増田や」は6月末、閉店を迎えた。
店主が高齢で後継者がなく、それで閉店するのだと、店の表に毛筆の貼り紙がしてあった。

ギャンブルくさい歴史のある街の片隅で、一つ灯りが消えていく。

泥の河(1981年・日)
監督:小栗康平
出演:田村高廣、藤田弓子、朝原靖貴他

■2006/7/2投稿の記事
昔のブログの記事を少しずつお引越ししていきます。

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