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この人が好き(哲学者)

愛とは?
生きるとは? 
死とは?

といったことを
話したり、書いたり、
聴いたり、そういう
ことがわりと日常に
ある高校生活を送った。

卒業以降、
上記のような
テーマを日々
の会話に盛り込む
のは実は難しいこと、
敬遠されること、
「なんか重い」と
見られることだと
じわじわ実感して
いくようになった。

そもそも、わたし自身
愛とか生死を語るに足る
言葉を持ってもいなかった。

だからこそ、
映画や劇を観に行き、 
本や漫画を読み、
古今東西に生きる
人々の哲学や美学を
自分のそれらと
突き合わせ、
ぐるぐる頭と心を
巡らせていたの
かもしれない。

その後。
20代~30代は、
仕事と子育てがメイン。

親と子の関わり、
保護者との関わりを
よりよくしていきたいと
「選択理論心理学」
「アドラー心理学」
「コーチング」などを
手当たり次第学んだ。

40代に入り、
再び、哲学的テーマ
の対話がしたいなぁと
いう思いが強くなった
ときに、(私にとって)
彗星のごとく現れたのが、
哲学者の苫野一徳さんだ。

苫野さんの著書
『初めての哲学的思考』
を読んだら、
「哲学」世界の扉を
開くスペアーキーを
ひょいっと受け取った
気分になった。

哲学は、哲学を
極めた専門家同士が
研究して議論して
閉じていくものではない。

哲学は、さまざまな
物事の本質をとらえる営み。
つまり、すべての
老若男女が自分の人生を
よりよく生きていく上で
必要な叡智なのだ。

・「一般化のワナ」
(自分個人の経験を
過度に一般化して、
まるでそれが絶対に
正しいことである
かのように主張する)

それって、ほんと?

・「問い方のマジック」
AとBどちらなのか?
という二者択一でしかない
質問をし、まるでどちら
かが正しい答えであるかの
ように導く。

それってほんと?

苫野さんの様々な本に
登場するこの2つの「哲学」は、
私の思考によき変革を
もたらしてくれた。
人の話の聞き方や、
対話の質がちょっと
ずつ変わっていった。
一般化のワナかな?
と思ったときは、
相手の発言や行動の
真意(欲望)はなんなのか
深く考えるようになり、
互いに折り合える箇所を
見い出だすために対話が
必要だと思えるように
なった(なかなか難しい
けどね。)

苫野さんは、教育を
専門とした哲学者
でもある。

教育界に苫野さんが
投げ掛けている「問い」や
可能な限りわかりやすく
伝えてくれている「哲学」
については、また
改めて書けたらと思う。

あぁ、哲学が好きだ。


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