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『変化することもしないことも恐れない』Plug and Play株式会社 藤本あゆみさん

ウーマンズ代表の大山が、ONEJAPAN代表の濱松さんの結婚式で隣の席だったことから始まったご縁。
「人」をご自身の軸に、多種類の仕事を並行しながらこなされている藤本あゆみさん。いつも陽気に溢れ、穏やかな笑顔が印象的。恐れずに1歩踏み出すチカラの原点に迫りました。

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藤本あゆみさん:2002年キャリアデザインセンター入社。入社3年目に当時唯一の女性マネージャーに最年少で就任。2007年4月グーグルに転職。人材業界担当統括部長を歴任。「Women Will Project」のパートナー担当を経て、同社退社後2016年5月、一般社団法人at Will Workを設立。その後株式会社お金のデザインを経てPlug and Play Japan株式会社にてマーケティング/PRを担当。

小学校から中学まで桐朋学園へ。自由な校風の一方で、主体的に動かなければならなかった。高校2年時にはニューヨークにいた父親の同僚のもとに遊びに行った。

「飛行機代ぐらい出してくれると思ったら、借用書渡されたの。これ何?て聞いたら、お金借りてして行くんでしょみたいな、借りるの?って(笑)一生懸命HISで安いチケットを探しました。クレジットカードは作ってもらったけど、きっちり明細が残っていて(笑)高校2年間のバイトで稼いだお金は全て消えました。大学生まで借金を残さないようにね(笑)」

『自立が求められる環境で育ちながら、高校卒業を前に迫られた進路選択』

「中高時代放送部に所属し、ドキュメンタリー撮影などを見ていて、これをやりたいという想いが芽生えてきたんです。どこで勉強できるのかを探してみたら専門学校だった。これはこれで選択肢として持っておきつつも、大学に行きながらも制作系をやったらいいんじゃないか」と両親や当時の担任から勧められた。

家から近く、現役のNHKのディレクターの講義も用意されていた東京経済大学での生活。
1,2年時には制作会社でADバイトを経験。週1,2回練習があるテニスサークルには4年間所属。

「ADバイトの仕事内容は、ディレクターのタバコを買いにいくこととお弁当の手配。毎回カレーを頼んだらモチベーションが下がっちゃう。何が食べたいのか、こういうものを頼むとみんな盛り上がるかなとか、疲れている時はこれだよねって。調整能力が身に付きましたね。」

父親が人材紹介業をやっていたことが1番の決め手

ドキュメンタリー撮影をしようと夢見た高校時代。そしてその方面で大学時代もバイトをしていたにも関わらず、最初の就職先はキャリアデザインセンター。

「制作の仕事は好きだったけども、朝会社に行ってそのまま徹夜して残った人たちが梱包材に包まって床に寝ている姿を目の当たりにして。私は20代を捧げてまで仕事する覚悟があるのか自信がなくなってしまったんです。何が撮りたいのって聞かれても、何ですかねって返答してしまうほど(笑)全然ダメじゃんって言われて、甘くないんだってハッとさせられた。それがきっかけで他の世界を見ようと思いました。やりたくなったらまた戻ればいいし、まずはどんな選択肢が自分にあるのか学ぼうと」

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「1番の決め手は、父親が人材紹介業をやっていたことでした。カメラを通じてその人の人生と絡みながら、その人の人生が他者に与える影響を引き出していきたいという理由から関心がドキュメンタリーに向いていた。
でも父を見ていたら人材紹介業と同じなことに気付いたんです。人生の大きなターニングポイントの1つでもある転職で、1人1人の決断に寄り添うのが人材紹介業。

転職をさせることが人材紹介業ではなくて、その人が何かしたいと思った時に“転職”という手段を持って寄り添う。本当はしなくてもいいことも提案していく。人材紹介は人身売買の仕事かと思っていたけど、全くそんなことなかった(笑)
それで興味を持って、その中で進んだのが、キャリアデザインセンターでした。」

就職先が決まり、いざ社会人になる直前に驚くべきことが起きる。

「新しいチャレンジが始まると思ったら、入社の3日前に配属の発表があって、その時に広告営業と伝えられて(笑)社長から物事には適正があって絶対こっちの方が向いていると。キャリアセンターで、やるなら1番取れと言われて、1番取ったら何が見えるんですか?と質問したら、行けばわかると。実際に1番を取ったら自分でできることも任されることも増えたんです。」

『人が好きだと気付いたマネジメント経験』

キャリアデザインセンターに入って3年目でマネージャーに。そしてGoogleに転職。
マネジメントをしながら「人と人との橋渡しをすることが好きな自分の一面に出会った。

「採用に関しては、入社後にマネージャーをやっていたということがとてもポジティブに働いたと聞きました。営業とマネージャーの経験がある女性が候補の中にいなくて、優先順位が上がったと。ネットで取材記事を見ていてこんな人が働いていて、活躍できるという職種ではなくて、この仕事なんだろうっていう仕事をしてみたかった。

デジタルマーケティングも含めてやったことがないし、新しい再スタートを自分で切るなら全然違うことをしようとGoogleに応募しました。分からないことが当たり前で、もう何もかも忘れて新卒の気分。“君中途だよね”って言われて、“はい(笑)”みたいな感じ。」

言うほど覚悟はしていないものの、誰もやっていない新しいことがやりたくなると語るあゆみさん。プライベートをSNSで拝見していてもいつお会いしても、常にポジティブオーラ全開に見えるが、自分の理想と現実に葛藤していた時期があったという。

「とにかく沢山成果を出したくて、そのために1人でも多く自分のコピーを作ろうとしていました。そうは言っても自分のコピーを作ったところで、自分と他者は違うのだから難しかった。どうしたらいいのか誰も教えてくれなくて辛かったけど、今となっては必要な時間だったと思える。まさにスティーブジョブスのConnecting dotsで、人生に無駄はない」

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『結婚は自分にとって縁側に座ってお茶をすすっているイメージがつく人と』

「今はお互い別の道を選び、お茶飲み友達となっている彼とは、キャリアデザインセンター時代に出会い、結婚しました。
結婚しないという選択肢も今はある中でも、結婚するとしたら勢いしかなくて最後はえいやっ!今するかしないか、どっちですかという問いは正しいと思うんです。本当にするかは別として、今ここで婚姻届けを出せますかと言われたら、出せますという人と結婚した方が良い。」

仕事も結婚も経験し、失敗も繰り返しながらも常に今を生きる姿。
「タフにしなやかに生きなさい」というあゆみさんの座右の銘がその全てを象徴しているように思える。

「大学最後の家族旅行でニューヨークに行った際に、ある女性から全部受け止めると本当につらくなってしまうから、受け流すというしなやかさを持ちなさいと言われたんです。」

変化することもしないことも恐れない。

そして学生時代から今に至るまで変わらず好奇心旺盛な姿の原点は、笑顔を絶やさない明るさにあった。

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(取材:大山友理、尾作奈々子、吉田響| 文:清田真尋、山口璃々、吉田響 |構成・編集:大山友理)




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