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「その後」と「その先」

後ろを振り返ってしまう癖がある。多分その先にあるものと取りこぼしてきたものを比べてしまっている。どちらを求めてしまっているのかは言うまでもない。

年末や部屋の掃除をしていると特に想う。

一年を振り返って、いい年だったと思うことがない。それどころか三か月に一回は強盗にでもあったかの様に、心の何もかもが奪われたように気持ちになる。反対に身体だけは、えらく頑丈にできてしまって泣くこともできない。

一年を整理するつもりが散らかってしまい、掃除でいらないものを捨てるつもりが余計なものまで拾ってしまう。拾ったものは捨てることができない。つくづく生きていくには不便な身体と心で生まれてしまったと想う。

そんな年の瀬に、いらないのに拾ってしまったものを紹介したいと想います。拾ったものの名前は「恋のその後」です。


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恋のその後がうまくいかない。わたしは別れると、その人と二度と会うこともなければ話すこともない。それどころかどこかのSNSで、背中にナイフでも投げつけられたように悪口を書かれることがある。

考え方はいろいろあると想う。元恋人とは友達に戻りたい人、戻れる人。友達になんて戻れない人、戻りたくない人。忘れる人、そんなことなんてどうでもいい人。

チープな言い方ならそれは人の数だけいろんな「その後」があって、わたしは愚かながらそこまでは理解しているつもりだ。別れ方にもよると想う。何も自分の浮気やらで別れた後も友達でいたいなんて想っちゃいない。

わたしは「恋のその後」がうまくいかない。

上記の種類でいうと、わたしは「友達に戻りたい」派だ。けれど別れた後は、わたしが一方的に気持ちがなくなったと想われがちだ。

新しいアカウントでフォローしなおされ、新しくできた恋人をひけらかされたり。少し仕事が疲れたり呟けば、その程度でと言われたり。別れた「その後」に言われたりする。

別れてしまったことは悲しいことだ。フったほうもフラれたほうも、所謂普通の別れならどちらも悲しいと想う。一番最後に別れが来てしまうせいでそれまでが霞んでしまうことは確かだけれど、間違いなく心から楽しんでいた時間もあったはず。

悲しいのはいつも、順番だと想う。

そしてわたしはその度に想う。想い出まで憎まれなければ、憎まなければならないのか。別れを切り出したのはわたしだけれど、気持ちが変わってしまったのはそっちではないか。別れは、あなたという人間を否定したわけではない、と

「友達に戻りたい」というのはわたしのわがままであっても、その気持ちを傷つけられる言われはない。むしろ別れる前に歩み寄ろうとした分、否定された気持ちが拭えない。お互い歩み寄れなかったのは事実だが、ならばせめて「その後」はお互い傷つけないようにしたい。

わたしの恋は、「その先」ではなくて「その後」になってしまう。わたしの恋の後には、何も残らない。だから年末なんかに大掃除したときに、恋人との想い出の品なんかが出てくると想い出が傷になってしまう。

「その後」を「その先」に変えたい。一瞬でもお互いを想いあえたのだから、これからも分かり合える関係でありたい。「その先」があるものに変えたい。


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いつの間にか2020年が後ろにいた年でしたね。

今年も綺麗事ばかり言ってしまった年でした。言われるのは嫌いなくせに、何かを語るときは綺麗事になってしまうものですね。

来年はどんな年になるんだろうと毎年想います。後ろを振り返ってしまう癖がいつからついてしまったのか覚えてもいません。

今年はいい年だったなと想えるようになりたいです。

わたしの座右の銘は「身体が一つなだけでも十分ハンデ」です。

来年も肩の力を抜いて、適度にサボりましょう。頑張らず祈って幸せになりましょう。