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久々。

毎日書いていたものが一週間に一回になった。半年前にそれすら途切れたことを皮切りに、「よし、ゆっくり小説を考えよう。」とnoteをしばらくやめた。

タイトルや、内容、構成は手足を動かすように進むものの、進んでは戻り、取り戻しては手放す。要は、うまく書けないのだ。

前に書いた短編はうまくいったと思っている。仕事との両立は大変だったけど、達成感と充実感は今までにないものだった。手直しするから見てほしいと言ったものの、初めて自分で作り出したものという特別感がそれを邪魔した。多分満点をつけてあげたいんだと思う。


なら何故今はうまく書けないのか考えてみた。答えはすぐに出た。

noteを書いていないことだった。

文章は毎日書けと、小説の書き方の本にも書いてあった。(どうにもうまくいかなかったので買ってみた)そして本には、書いたものは誰かに見てもらえとあった。こうやって書いている今も、誰かに見られていると思うと背負っている何かを感じる。日々の愚痴を書き殴っていたものが自分の力になっていると思うと、眠れなかった夜も涙に変わるのではないかと安心してやれる。本当によかった。

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自分はつくづく、後にならないとわからない人間だとも思った。今になって過去のnoteを読み返すと、自分に余裕のなさに輪郭があった。書いている時は必死で、とにかく文章にしなければはちきれそうな想いを抱えてはいられなかった。今「こんなこともあったなぁ」と思えるのは、余裕を型どることができたからではなく、ただ時間が経ったから。ただ、その時の気持ちが風化しているだけだ。

私は簡単に思い悩んでしまう性格だから、過去の選択をやり直したくなってしまう。完璧主義ではないけど失敗はしたくないし、後悔はできるだけしたくない。

日々、ちゃんとやろうと思った。いつ後悔が来るかわからないから。

でも後ろ向きなことばかりじゃない。noteを書いていれば文章力がつく気がするし、今回は何より小説の設定と内容が決まっている。

やりたいことがたくさんあって忙しさがあること、それらを一つ一つこなしていきたいと思うこと。それらを心地よいと思えること。そう思える性格は、自分嫌いな自分の好きなところだ。

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できれば毎日書いていきたい。

小説も進めたい。

本も読みたいし。

音楽を聴きながら散歩もしたい。

後悔先に立たずだし、後ろ向きだし、欲張りだし。

久々のnoteに力んでいるのを感じるけど、やっぱり文章を書くことは楽しい。

自分とうまく付き合うためにはnoteは必要なんだなと思った。

それでは、おやすみなさい。