127#12月 Might Be Stars
ただいま
衣知子
「チーっ、こっちこっち」
入国審査を終えて出て行くと、ロッシがぶんぶんと手を振っていた。
その笑顔を見て、帰って来たんだと、心からホッとした。
私が日本に行っている間、ロッシとはメールでしかやり取りができなかった。
メールなんて知り合ってから一度もした事がなくて、なんだか変な感じがした。
会いたいだとか、寂しいだとか。そんな文章を見ても、本当にそれをロッシが打っているのか信じられないくらいだった。
ロッシと無事に『メイクラブ』した後、一緒に眠ってしまって。次の日の朝、放っておいた荷造りを適当に終えて、慌ただしく出国することになった。
地下鉄やバスを乗り継いで空港に行く予定だったのに、ロッシが車で送ってくれた。 私の搭乗時刻が迫っても、ロッシは駄々をこねて手をなかなか離そうとしなかった。
そんな事があっても、日本に帰って離れてみると、全部が本当にあった事なのか、分からなくなるくらいだった。
ロンドンに戻ったら、何事もなかったように友達モードに戻ったロッシがいたりして、なんて考えて苦しくなった。
「ん?」
運転するロッシの横顔をジッと見ていると、それに気が付いたロッシが不思議そうな顔をする。
ここまで、空港で力強くハグをされて、さっと私の荷物を全て奪って運んでくれて、車のドアを開けて乗せてくれた。
だけどそれだって、今までもロッシはそういう事を自然とやってのける人だった。
「ううん」
変な事ばかり頭に浮かんで、慌てて前に向き直ると、ロッシに頭を撫でられた。
ちょうど信号が赤になって停車する。
「なあチー、急いでる?」
「え? ううん。明日も休みなんだ」
「うち、来るか? 一緒に飯食おう」
そう言って、ロッシが私の手に手を重ねた。
ドキンっと、心臓が跳ねる。
ロッシの態度が前と変わらなくても、私の気持ちは、前とはやっぱり全然違う。
「うん、行く。あ、先に家に寄って荷物置いてからにする。お土産あるから」
「うん、分かった。てかさ、行きより荷物すげえ増えたよな」
「分かる? そうなんだよね。増え過ぎて持って帰れるか心配になったよ」
日本に帰ったものの、母とも父とも、なんとなく気まずくて、おまけに療養のために仕事を休んでずっと父が家にいて。
結局、家には居場所がなかった。
母は私を呼び寄せたくせに、父の世話をするのに忙しくて、私はどうして日本に帰って来たのかよく分からなかった。
ただ、父はしばらく会わない間に、母に少し優しくなっていた。お茶や食事を出してもらう度に、ありがとう、と言っているのを見て、私は目を丸くした。
そんなこと、他所の家庭では当たり前だって分かってる。それでも、私のいない間に二人の関係が少し変わったようで、嬉しかった。
父とは一度だけ話した。元気にしているのか、と聞かれて、していると答えた、ただそれだけだったけれど。
辞めて帰って来いとか、くだらないとか、そういう事を言われない事も、意外だった。
父なりに、私に歩み寄ってくれたのかもしれない、と思った。
それでも、家にいると息が詰まるのは相変わらずで。だから、一日中外に出て、行きたかったお店に行ったりみんなの喜びそうな物を集めて回るのに時間を費やした。
アンディとデクスター
実果子
チコが帰って来た。日本でしか手に入らない物をたくさん抱えて。チコが無事に帰って来てくれてホッとしたのはもちろん、私たちがリストにした物をほとんど見つけて来てくれたし、弟にお土産まで渡してくれて、桃ちゃんとふたりでチコに鬱陶しがられるくらいハグをして迎えた。
私の両親と食事もしたって言っていて、ロンドンから離れたい訳じゃないけれど、少し羨ましいなと思った。私は家族の事が大好きだ。
「ミカコ、なあ」
「んー?」
「もうそれ辞めなよ」
「ちょっと、後2ページだけ、この章が終わるまで」
アンディの部屋で寛いでいた。アンディに仕事の電話が掛かってきて、暇になった間に少しだけ、って開いたのが間違いだった。本があまりにも面白くて、止まらなくなってしまった。
私が夢中になって本を読んでいると、戻って来たアンディが体に体重を掛けてもたれ掛かって来たりして、何度も邪魔して来る。
「んー、えっ、嘘、えっそうだったのっ?」
驚いてアンディを振り返ると、彼は目を丸くした。
「何が?」
「これ、伏線? 知らなかった! 悔しい」
「え? どこが?」
デクスター氏が英国ロイヤル文学賞を受賞した「アブダクション22.9」を秋にアンディに貰ってから、必死に英語で読破した。あの時貰ったデクスター氏のサイン入り本だ。あの時は世界で一番初めに読み始めたはずだったのに、私の英語力のせいで、ファンの中で最後に読み終わったんじゃないかって、悲しくなった。
世界的ベストセラーになった作品は、全世界で翻訳されたから、もちろん日本でも出版されていた。だから、チコに頼んで日本語版のアブダクション22.9と私達がこっちへ来てから出版された他の本も一緒に買って来て貰った。
プロが見事に翻訳した物を読んでいると、私が読み取れていなかった伏線や細かい感情の機微がいくつも出て来て、私は悔しいのと同時に、デクスター氏への尊敬を新たに強く感じてしまう。
「大変っ」
「なにが」
「やっぱり凄すぎる、面白すぎる、」
私が小説を誉めそやすのを聞いても、アンディはずっと浮かない顔だ。それどころか、うんざりしている様にも見える。
「ミカコ」
「ん?」
「こんな事、自分で言うなんて信じられないけど」
「うん?」
「デクスターと僕、どっちが好きなの?」
「……へ?」
じっと私の瞳を覗き込むアンディの顔が真剣で、冗談じゃないんだとびっくりしてしまう。
「待って……デクスターはアンディでしょ?」
「……そうだね」
「どっちも好きに決まってるでしょ」
「……そうだね」
アンディは頷いているけど、その顔は全く同意していなさそうだ。凄く変な展開だって思う。
「ごめんね、もう今日は止める」
私はそう言って、栞を挟むと本を閉じた。
変だとは思ったけど、想像してみた。アンディはミルレインボウのファンだって言ってくれる。もし私の目の前で、アンディが私よりも曲にだけ興味があるように振る舞ったらどう感じるのかな、って。
私にはそんなつもりはなかったけれど、だけど何だか悶々としてしまうアンディの気持ちが分かる気がした。
「アンディ? どうしたの?」
おもむろに、目の前でアンディが着ていたニットを脱ぎ始める。暑いのかと思ったら、その下に着ていたTシャツも。
上半身の服を脱いだアンディは、後ろから私のお腹に腕を巻きつけてくっ付いて来る。
「寒くない?」
「寒い。ミカコ、あっためて」
耳元で囁く甘い声。
「ねえ、アンディ何してるの?」
「分からない? 誘惑してるんだよ」
「え? なんで急に?」
「デクスターに対抗したくて」
素直にそう口にしたアンディが可愛くて愛しくてたまらない気持ちになる。
「ほんと意味分かんない」
体重を掛けてベッドに押し倒されても、思わず笑ってしまう。
「ほんと信じられないけど、デクスターに嫉妬してる」
私に覆い被さったアンディは私を真っ直ぐに見下ろして、そう言った。
私は笑いを堪えて下唇を噛み締めた。とんでもなく変な事を言うって思うのに、アンディがあまりにも真剣だから。
「笑えばいいよ」
アンディは不貞腐れたように呟いた。
「すっごく変だって思うけど。ヤキモチ妬くアンディって、凄いセクシーだね」
私は思った事をそのまま口にした。
アンディの作戦は大成功だ。
アンディが拗ねた様な態度を取っても、私は幸せな気分でいっぱいだ。
一緒にいる時間が増えて、アンディは少しずつ、もっと自分を見せてくれる様になった。穏やかで正直なのは前と変わらないけれど、前よりもたくさん、気持ちを話してくれる様になった。独占欲も、嫉妬も、その何もかもが愛しくて堪らない。
私は手のひらでアンディの芸術的な体をなぞる。
悔しいけれど、アンディは自分の武器をよく分かっているみたいだ。
「アンディ、大好き」
私がブルーグレーの瞳を見つめてそう言うと、アンディは私にキスをした。
「デクスターよりも?」
耳元で囁く声に、頷く。
「デクスターに恋愛感情を抱いた事なんて、ないよ。知ってるでしょ」
「うん。そうだね」
「アンディの事が、すっごく好きなの。知ってるよね?」
アンディはじっと私を見つめて、手のひらで頬を撫でる。
「ミカコ、愛してる」
「私も」
私はアンディの背中に腕を回して、力一杯抱きしめた。
アンディがあまりにも素敵で、私はアンディに愛される価値があるのか、なんていう事を時々考えてしまいそうになる。
そんな自分が嫌いだから、私は精一杯アンディを大切にして、幸せにしたいって、いつも思っている。
「私も服脱ぐっ」
急に気持ちが盛り上がってしまって私がそう言うと、アンディはぷっと吹き出した。
「ああ、脱いで」
そう言うと、私の服の裾から手を滑り込ませた。
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