-白紙と安寧


 彼は夏の暑さで憂鬱な顔をして、汗で首元に髪をはりつけて、じりじりと鳴く蝉の声に内側から炙られながら、冷たいアイスクリームを食べるのが好きだった。きっと彼自身はそんなこと意図してもいなかったのだろうけれど、私がペットボトルの飲み物を買って行った時と、それにアイスも買って行った日とでは、目の輝きが違っていた。
 彼はその暑さを鬱陶しいと言いながら、それでも愛しているようだった。たしかにそれを鬱陶しいと思いながら、それでもその鬱陶しさがあってこその楽しみを見出していた。
 そんな彼はきっと、冬はこたつでアイスを食べるのがいいのだ、なんて、言うタイプだと、私は思う。
 私の中の彼は、それだから、世界の終わりにも希望を残していくのだ。
 世界の理不尽を嘆き、人並の情動を持ち、誰かを羨んだりもするけれど、決して妬みはしない人間。世界を滅ぼすなら、きっと彼はこうする。あの夏の日に、テロをするならガスではいけない、などという話をした彼の遠い目は、どこを見ていたのだろう。
 あの時私は彼に恐怖すらおぼえていた。
 今にして思えば、あまりにお門違いな感情だ。私はあまりに、先入観にとらわれすぎていた。

 彼の感性を、理解できたとは思っていない。
 話した時間はあまりに短く、話した内容はあまりに薄かった。けれど彼の表情は、今も愛おしく思い出せる。
 この感情につける名前を、私は知らない。

 恋というにはあてがなく、愛というには脆すぎる。憧れというには近すぎて、親しみというには遠すぎる。
 恋とは見返りを求めるものだ。彼はもうきっと、私には何も与えてはくれない。もしかすると、与えられもしないのかもしれない。私の頭の中にいる「彼」の幻想だって言葉も発さないし、ただそこに在るだけだ。私の幻想なのだから、もう少し私に都合よく在ってくれてもいいとは思うのだけれど、きっと私の知りえない無意識が、「それは彼ではない」と、都合よく在ることを良しとしていない。彼は、何もしないし、何もできないのだ。
 愛とは与えるものだ。無償のものだし、見返りを求めない。けれど私は、彼に何も与えることができない。あの夏でさえ、与えることができたのはコンビニで冷えたペットボトル飲料とアイスクリームくらいのもので、私は彼を恐れさえしながら接していた。
 憧れとは、手が届かないと知りながら伸ばすもの。私は彼に手を伸ばした。けれどそれは、いつかその伸ばした手の先、指先、爪の先のほんの少しでも、彼に届くと信じてのことだった。届かないと知ってからは、私はもう、彼に手を伸ばそうとはしなかった。
 親しみとは、物理的にでも心理的にでも、相手の近くにいようとすること。もしくは、近くにいる、と、思っていること。物理的に近くにいることは彼の居場所も、生きているかどうかすら分からない今、不可能だ。そして心理的に近くにいようとすることもまた、不可能。私は彼のことを何一つ理解していないし、しようとすることも、もはや手遅れだ。彼がいないというのに、今から彼を理解しようとすることもできない。近くにいるのだ、理解できているのだ、と思うことはそれよりもずっと、できそうにない。

 青い花は、私の考えを知っているかのように、風に揺られて首を傾げる。

 興味深い考察ですけれど、それを考えたところで、実際の人間関係にはあまり反映されないと思います。

 そんな彼の声が、聞こえた気がした。
 確かにそうだ。だって彼にはもう会えないのだから。
 私以外の人間を何か月も見かけないでは、そう思わずにはいられない。
 この青い花は、やっぱり彼か、彼の近くにいた人の好きそうな演出だな。なんて、久しぶりに、表情筋が笑顔に緩む。

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