白紙と安寧


 崩壊の足音は、雪の降る音だ。
 冬が来て、街が死んだ。徐々に死につつあった人間たちは、街が死ぬ頃にはほぼ死に絶えていた。
 世界の終わりは、今までに何度も、映画や漫画、小説で見てきた。その終わりはどれも劇的で、涙を誘いさえしたし、時には「次の世界」への希望すら持てるものだった。

 現実は、残酷だ。
 終わる世界には何もない。
 しんしんと降り積もる絶望が、心を凍らせる。
 次の世界なんてありやしない。何もないんだから、何にも、つながらない。

白紙と安寧

 真っ白な雪道を歩く。
 何度歩いても、その道の先、公園には誰もいなかった。あの夢の先が否定されること、彼がそこで死んでいたりなどしないことを確かめるためだけに、私は何度も、何度も歩いたその道を、今日も歩く。
 二月。冬の始まりに街が死に、人も死に、それでも私だけが生き続けて、結局年も越し、今に至る。
 学生の頃は、この時期はバレンタインだ何だと騒がしかった。社会人になってからも、コンビニにはチョコレートの特設コーナーやハートのバルーンの設置されるのを見ては、「もうそんな時期か」と思ったものだった。

 レジ横のブラックコーヒーはとっくになくなった。
 小銭の持ち合わせもあるわけではない私は、レジに置いていた小銭を勝手に集めて、紙幣と両替をしたりもしていた。一月までは。
 実に面倒な作業だったから、何度かは「こんな世界で金を払い続ける理由はあるのか」なんてことも考えたけれど、無銭飲食にあたる、と、私の正義感が許さなかった。結局考案した妥協案の発露が、今このコンビニのレジに置いてある。
 白いカウンターに置かれた、黒い財布。
 世界がこんなになってから、家賃の請求も来なくなった。支払い用紙が来ないものを支払うことはできない。コンビニでこうして使うほかに、金を使う理由も方法もなくなったから、前払いだ、というつもりで財布ごと置いたのだった。
 本来あるはずのない私の財布の黒さがコンビニに来るたびに目につくが、そこは忘れるのを待つしかないのだと思う。

 レジ横の加温器の中身は、今日で空になる。

 ブラックコーヒーがなくなって、カフェオレもなくなって、一日一本といえど、ちりも積もれば山、である。最後の一本、粒入りのコーンポタージュを手に、私はつい五分ほど前、コンビニを後にした。

 代わり映えのしない風景が続く。毎日、私の通った足跡すら消してしまう雪。それでも不思議なことに、雪に圧され倒壊した家屋などは見かけない。
 それどころか、雪はある程度の厚さから一向に、増えも減りもしていない。ただそれは毎日、私の足の裏に圧し潰されて減った補充をしているだけのように思えた。
 たとえるなら、そう、絵だ。
 毎日、街並みを一定に保とうとしている。絵具が乾いて薄くなった色を、そこだけ塗り重ねているような。

 画家がそう保っているのか、絵自身の自浄作用――そんなものがあるのかどうかは疑問だが、それはおいておいて――なのかは分からないが、世界にとってはどうやら、私の存在は予期せぬものだったか、そうでなくても異質である、意に沿わないものなのだろう。
 そんな世界で、道端に咲いた、場違いな青い小さな花を見つける。ああ、きっと今日は、ほんとうの「終わり」の日なんだろう。

 「君が映画監督なら、こんな映画を撮ったんだろうね。」

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