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自死と孤立
日本はあれからどんな社会を選んだのだろうか。
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「人間は傷つき易い。今後この日本の社会はこの人間の傷つき易さをどう受け容れていくんだろうか。傷ついた人が心の癒やすことのできる社会を選ぶのか、それとも傷ついた人を切り捨てていく厳しい社会を選ぶのか。」
ドラマ「心の傷を癒すということ」の「見えない命綱」の回の28分頃からの校長先生のシーンが今でも心に遺って思い出されます。
昼のシーン:精神科医の安先生が避難所の校長先生を心配する。
夜のシーン:校長先生が独居の仮設住宅に帰宅する
奥さんの遺影だろうか暗い部屋の中に映る。
そして暗い部屋のまま、娘さんに電話をかける。
米を買うことを忘れて米がなくなってしまったことがあることを娘に告げる。
その時「このまま死んでもいいかなと思った」と、
「米残して死んだら勿体ないかな」と、
娘は「地震からもうすぐ二年経つ」つまり直後の事態ではないことが表現される。
「そろそろ元気にならんと」と励ます娘。
さらに「死にたいって言う人ほど死なへんというから」と娘。
「せやな」といって電話を切る校長先生。電車が通り過ぎて部屋の床が揺れる。
安先生の声が入り台詞中に別の問題を抱えた女性の病室のカットに変わる。
「何か貴方の支えになるもの見つけて欲しいんや。案外ささやかなもんが生きる力くれるんやで」と女性に語りかける。
そしていくつかの「見えない命綱」のエピソードが挟まり、42分頃に校長先生の仮設住宅のシーンに戻る。
校長先生の手にはお米が尽きそうな米びつが映り。
亡くなった奥さんの遺影が映る。
机の上の剃刀に校長先生の視線が移る。
意を決して立ち上がったその時、扉を叩く音。
以前に子どもの泣き声で迷惑をかけていないか心配して訪ねていた近所のお母さん。
「いま大丈夫ですか?イカナゴ炊いたんで一寸だけお裾分け」
お母さんは去りイカナゴが入ったお弁当箱を見つめる校長先生。
お弁当箱に涙が落ちて、
そして一言。
「米買いにいこ」
過去に服部英二先生から「命とはつながりである」というお話しを伺いました。
このドラマのエピソードはどこまでが実話で演出かは詳しくありませんが、地域とはこういうものであって欲しいと今も心に遺っています。
NHK土曜ドラマ
「心の傷を癒すということ」ストーリー
阪神・淡路大震災発生時、自ら被災しながらも、他の被災者の心のケアに奔走した若き精神科医・安克昌(あん・かつまさ)氏。手探りながらも多くの被災者の声に耳を傾け、心の痛みを共に感じ、寄り添い続けた日々。震災後の心のケアの実践に道筋をつけ、日本におけるPTSD(心的外傷後ストレス障害)研究の先駆者となりました。在日韓国人として生まれ、志半ばでこの世を去りながらも、険しい道を共に歩んだ妻との「夫婦の絆」と、彼が寄り添い続けた人々との「心の絆」を描きます。
安克昌氏の遺族関係者への取材から得た事実を元に、人の心の傷に寄り添い続けた精神科医の物語として大胆に再構成し、人物や団体名改称した上で、フィクションとしてお届けします。
精神科医・安克昌(あん・かつまさ)氏 プロフィール
1960年大阪市生まれ。神戸大学附属病院精神科勤務を経て、神戸市西市民病院精神神経科医長を務める。阪神・淡路大震災直後より、全国から集まった精神科ボランティアをコーディネートし、避難所などでカウンセリングや診療活動を行う。震災一年後に臨床報告としてまとめた「心の傷を癒すということ~神戸・・・365日~」で第18回サントリー学芸賞を受賞。PTSD(心的外傷後ストレス障害)の若き研究者として治療活動に尽力するも、2000年12月死去。共訳に「多重人格性障害-その診断と治療」などがある。
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