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おねがい、カッコウ!

山の苗木畑で働いている。

理由を言うと「ウソだ」と言われる。
みなさんには信じてもらえるだろうか。


わたしは以前、個人で音楽教室を経営していた。ピアノみたいだけど電気の通っているやつ。メーカーの後援があり、楽譜は既存のものを使用できた。そして自分でも書いていた。あの頃は著作権のことなど、誰も、とやかく言わなかった。

「この曲が弾きたい」「この曲を簡単に」その子のレベルに合わせて楽譜を作る。「この演歌だけ弾けるようになりたい」という大人もいた。作曲ではなく編曲。楽譜のオーダーメイドだ。タダだけど。

この作業を夜中にやる。ヘッドフォンをつけ、楽器と五線紙に向かう。何にも邪魔されない。次のレッスンの準備を終え、明るくなる頃に安心して眠る。昼に起き『笑っていいとも』を見ながらの朝食。学校の放課後以後の仕事なので仕方がない。この生活が何年も続いた。生徒が50人近くになった頃が1番大変だった。

自宅教室だけではなく、曜日ごとにあちこちの教室に行く。そのうち、車窓から景色を見ているはずなのに、だんだんと季節を感じなくなった。……いつの間にか、本当にいつの間にか季節がかわっている。わたしの大好きな季節は、気がつかないうちに終わってしまっていた。


北海道の冬は淋しい。色のない世界が半年続く。自分がおかしいと気づいたのは、そんなある日のこと。夜中に楽譜に向かうと、なぜか涙が出る。「青空が見たい」「カッコウの声が聴きたい」そう思うと、たまらなくなり、ひとりでしくしく泣いた。今までそんなこと、思ったことなんてなかったのに。どうにかしなければと思った。「冬季うつ」というのがあると知ったのは、それからだいぶ後のことだった。


わたしは男の子たちと野原を駆けまわって育ちました。いつも自然と一緒でした。果樹園に許可をもらって虫カゴにセミの幼虫を詰め放題、カーテンいっぱいにくっつけて羽化させました。ちょうちょをたくさん部屋に放したり、大事にしまっておいたカマキリの卵が、わちゃわちゃ孵化したこともあり、いつも母親に悲鳴を上げさせていました。虫や鳥を図鑑で調べるのが大好きな子供でした。


音楽教室の仕事自体は嫌いじゃなかった。編曲や楽譜を書くのも好きだったと思う。生徒が曲を弾けるようになって喜ぶと、自分の事のようにうれしかった。

講師としてきちんと化粧をして、マニキュアをして、ソバージュにして、スカートをはいて、生徒の発表会では着飾って、一緒にステージに上がって、司会をして、アンサンブルをして、講師として演奏して……でも……でも自分には自信がなかった。…きっと本当の自分ではなかったからだ。自分が自分だと思っていたのは造り上げた理想の自分だったかもしれない。

色々あって音楽教室を廃業した。ちゃんとやり遂げた感があり、未練はない。自分で書いた楽譜もすべて処分した。



カッコウの鳴く時期が好きだ。北海道で一番爽やかな季節。毎年心待ちにしている。そして今がその季節。わたしは青空の下、カッコウの声が聴きたくて、山の苗木畑で働いている。


パーマっ気のない短い髪、化粧なんかしない。毎日土まみれ。飾らない仕事仲間と太陽の下、自然の中で汗だくで働く。普段着はTシャツにジーンズ。四捨五入すれば60だけれど、高校時代ヘタなバンドをやっていたので、ちょっぴり気持ちはロッカーだ。

ようやく本当の自分になれた気がする。毎日正直に生きている。多少失敗もするけれど、わたしは精一杯やっている。なんか文句ある?自然が味方だよ。いつでもかかっておいで。カッコウが黙っちゃいないよ!


カッコウが鳴くのは、毎年5月中旬から7月中旬くらい。あと1週間もすればカッコウはどこかへ帰ってしまう。でも大丈夫。山で働くようになってから、ちゃんと季節に寄り添って生きている。

「カッコウ、今年もありがとう。元気でね!来年も迷わずココに来てね、待ってるよ!」


強がって書いてみたけれど、いなくなるのは、やっぱり淋しい。

「おねがい、カッコウ!もう少しだけ。冬を乗りきれるよう、その声を耳に残すまで、もう少しだけ……」


わたしは青空の下、カッコウの声が聴きたくて、山の苗木畑で働いている。


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