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見たモノ。見てないモノ。

去年の今頃だっただろうか。2月だったかもしれない。星の出る真っ白な北海道の夜は音がないくらいシンと寒い。


19時過ぎだったと思う。娘とスーパーでの買い物を終え駐車場を出て、丁字路を下から上に向かって動き出したばかり。突き当たりの横棒は国道だ。

信号が赤になったので、スピードを落としていく。青になった国道を左右から車が2、3台行き交う。そしてまたシンと静かになった次の瞬間だった。

煌々とライトに照らされた国道の右側から、ホイールのない1本のタイヤが、湯気を出しながらゆっくりと転がって来た。ヨロヨロしながらこちらに曲がって、停止線とわたしの車の間、目の前にぱたりと静かに倒れた。

思考が停止する。湯気が出ていたのを思い出し、車の外気温計を見る。-8℃。「-8℃にもなると、タイヤから湯気が出るんだ」と一瞬思ったがどこにも入っていかない。腑に落ちないってこういうことを言うんだ。「えー?」自分でびっくりするほど小さくて低い声が出た。


歩行者信号が点滅しはじめた。後ろから車が来ている。助手席の娘が飛び出した。タイヤを両手でつかみ、左側のスーパーの駐車場、柵の邪魔にならないところに立て掛ける。信号が青になる直前に乗り込んできた。

湯気が出ていたことにしか頭が回らない。「熱かった?」と聞くと「いや、ぬるかった」と。「-8℃だと湯気が出ていてもぬるいんだ」それが精一杯考えたことだった。


青信号に変わる。徐々に車を動かしあたりを見回す。鼻先をちょっと出してあたりを見回す。右に曲がりながらもあたりを見回す。ようやく動きだした頭が、状況を把握しようとしていた。

何かを期待した。そこになければならない何か。わたしを納得させてくれる何かをだ。

タイヤのはずれた車?荷台のあおりを下ろした軽トラック?もしくはタイヤを追いかけて走ってくる人?

なにひとつなかった。それどころか、いつもは交通量の多い国道に、車が一台もいなかった。


わたしは見たことのないモノを信じない。オバケ、UFO、UMAの類い。その代わり自分で見たらすぐに納得して信じるかもしれない。単純。科学的根拠はあとまわしだ。だが。

湯気を出して転がってくるタイヤはどうだろう。この目でちゃんと見たはずだ。ちょっと自信がなくなってきた。本当に見たのかな。いや、娘も「見た」と言っている。「大丈夫。実際に触ったんだから」と。


自分の目で見たのに信じられないモノ。わたしの場合は生まれてこのかた唯一ただひとつ、-8℃の真冬の夜に、湯気を出しながら転がって来た1本のタイヤです。





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