幸せになる子の育て方?


「自己肯定感」という言葉を聞くたびに思い出す友人が二人いる。


その二人は、私からするとちょっと異質で、仲良しとは言い難い。

友人というよりは「知人」に近い存在だ。




1人目は小学校~中学校まで同じクラスだった、とても美人な友人である。


彼女は目がぱっちりとした女の子だった。

どれだけ食べても太ることはなくて、華奢だった。

実家は旅館を経営していて、めちゃくちゃお金持ちというわけではないけれど、欲しいものはそこそこ買ってもらえる。

我慢を強いられた、という経験はあまりなさそうだった。



小学生の頃は、お互いの家を行き来して一緒にお菓子作りをしたりした。

なんとなく、私とは違う人間だなぁということは当時から感じていたように思う。



彼女はちょっと空気が読めなくて、

ちょっとお嬢様気質だった。



多少のワガママを言っても、男女ともにみんながなぜか彼女の言うことを聞いていたし、

一定の年齢になると起こる、女子の中での無視やいじめの対象にもならなかった。


悪いことをすることもあったけど、彼女が犯人になることはなかった。


なんかうまく言えないけど、さらっとそういうところからは逃げていた。

何か都合の悪いことになると、そこに彼女はいなかった。

決して知能犯でも、確信犯でもなく。

彼女はそういうタイプだった。


・明るい

・足が速い

・勉強ができる

と、モテる小学生時代から、

・美人

・ちょい悪

がモテる中学校時代へ移行しても彼女は変わらずモテていた。


これまた第一線で目立つわけではないけれど、

体育祭、文化祭、その他イベントでいつも彼女はいいポジションにいた。


高校進学のタイミングで、私は制服が激ダサで周辺では一番の進学校に進学した。


彼女は制服が一番可愛くて、周辺だと下から3番目くらいの高校に進学した。



部活があり、いつも短髪、ダサい制服に長いスカートorジャージの私に対して、

行き帰りの電車で会う彼女は、茶髪を毎日アイロンで巻いていて、

スカートはひざ上20cm、落書きをした他校のカバンを持ってルーズソックスを履いていた。

ギャルというわけじゃないけれど、お洒落で可愛い子の頂点にいるような子だった。


私が英単語の参考書を読んでいる横で、彼女はプリ帳の制作に勤しんでいた。


私はお金がなくて、毎日ヤマザキの大きなチョコチップメロンパンをおやつに食べていたけど、

彼女は毎日のように1枚400円もするプリクラを撮り、ヴィトンの財布を持っていた。



今は、熱烈なアプローチを受けて結婚した旦那様を婿に取り、

彼女の実家で同居している。3人の子宝に恵まれて、幸せそうだし、

彼女の子供たちを見ていても、彼女と似た空気を感じる。


とっても美人でちょっとお嬢様気質で、ちょっと空気が読めなくて

我慢をしたことがなさそう。そんな子たちだ。







2人目。

これは社会人になり、最初に入った会社で出会った女の子だ。


彼女は帰国子女で、英語と日本語のバイリンガルだった。

大変失礼ながら、お世辞にも可愛いとは言えない顔で、

裏で「キン肉マン」と呼ばれていた。


有名私立大を出ていて、めちゃくちゃ声が大きかった。

オフィスで20m離れていても彼女の会話の内容を一言一句知ることができた。

そんな彼女はとてもやる気があった。

いつもエンジン全開!という言葉が似合う子だった。


そして彼女もちょっと空気が読めなかった。


悪い子じゃないけれど、彼女に関しては少しみんなが距離をとっていた。

同調圧力が強かった当時の会社で、彼女がそういったものを一切読まなかったから、何となく扱いづらかった。


彼女は、会社の空気がさすがに合わなかったのか転職し、

今の会社では大活躍をしているようだ。

彼女の自己申告だけではなく、取材を受け記事などにもなっているので

事実なのだと思う。


さらに彼女は副業で会社を立ち上げ、今ではそちらも軌道に乗り、

忙しくも楽しい日々を送っているようだ。


穏やかで家庭を一手に引き受ける夫と、可愛い子どもにも恵まれ、

幸せでたまらないのだそう。





2人ともSNSが繋がっているくらいで、大きな接点はないのだけど、

なぜか2人とも直近1年以内に会っている。






1人目の子からは10年以上連絡を取っていなかった時に、

突然「披露宴に来てほしい」と誘われ、

予定があって断ったものの、「会いたい!」とゴリ押しされ、二人で会った。

それ以降も私が地元に帰るたびに、なぜかそれを聞きつけ、

「お茶しに来て!」と連絡が来る。

(来いと呼びつけるあたりが彼女らしい。ほぼ行かないけど)



2人目の子も「ごはん行こ!」と脈絡もなく突然誘われ、

言われるがままに食事に行った。

彼女が転職をするということ、最近考えていることなどを

散々聞かされ「お互い頑張ろうね!」と言われて別れた。

何がお互いなんだろうか、と思いながら彼女の背中を見送った。




長いこと書いたが、そんな二人を私はこれまでずっと

「ああはなりたくない」

と思ってきた。



彼女たちは、ちょっと空気が読めなくて、変わっていて、

私の周囲の人たちもみんなそう言うから。

裏でちょっと笑い者になっていたりするから。





だけど、最近彼女たちのことを何度となく思い出すのだ。


それは

「彼女たちはとても幸せそうだから」



一部の集団からは

「あぁ、あいつね苦笑」

と笑いの種にされているものの、彼女たちには非常に仲のいい友人が

たくさんいて、何よりも当人たちは笑われていることなんて一切知らない。


もし知ったとしても全く気にしないと思う。



とにかく彼女たちはいつでも自分の人生に花丸をつけ、

いつだって未来を見ている。



それは何より幸せなことだし、

私は自分の子供にはそんなふうに育って欲しい。



周りの目を気にして、どこの誰からもちゃんと評価されることを重要視しても

幸せになれないことを私は身をもって知っているから。



私は30になったくらいでやっとその境地に気付けたが、

彼女たちは多分生まれてこの方、ずっとそんな風にして生きてきている。


そしてずっと幸せだ。

(もちろん人に言えない悩みがあったかもしれないが、二人それぞれに聞いてみたところ二人とも「そんな難しく考えたことがない笑」と言う返事だった アッパレ)



聞けば二人とも子供の頃から親を怖いと思ったことはないし、

叱られることはあれど、いつでも自分の味方だと思って育ってきたのだそうだ。



なるほど。

我が家とは全く違う。



学生時代は

「子どもを甘やかすバカ親だ」

なんて偉そうにも思ったりしたものだが、バカ親上等。


周囲の人に気を使い、世間の目を気にしたって、

世間が子供を育ててくれるわけではないのである。



周囲に気を使って子供をしつけたって、せいぜい

たまに会う親戚や、祖父母たちに

「まぁ偉い子ね」

と褒められるくらいで子供本人にとって、どれだけのメリットがあるだろう。

親が鼻高々になるだけだ。



少なくとも、子供の頃から

食事のマナー、箸の持ち方から、挨拶、お酌の仕方やら、大人に話を合わせる話術など、

大人の都合に合わせることを徹底的に叩き込まれた私は、全く自己肯定感がないままに大きくなってしまった。


途中、メンヘラをこじらせ大変な黒歴史を刻んだこともある。



我が子にはそんな人生を歩んでほしくない。




と、言うわけで

「どこに出しても恥ずかしくない子」ではなく、

「自分の気持ちに正直に、自由に生きられる子」

に育てていきたいと考えている。




それが、幸せに近づく一つの方法だと、

あの2人を見ると思うから。
















この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?