タスクの必要性・代替性から考える「ついやってしまうこと」の捉え方
こんにちは、絵描き×PMのwakana(@wknmh)です。
複業の一つとして、タスク管理アドバイザーの活動もしています。
先日公開した以下の記事に関連する、表題のテーマについて書いてみます。
タスク管理と部屋掃除は似ている
自身のタスク管理の仕方や時間の使い方を見直すとき、「やることに優先順位をつける」「それを実施する計画を立てる」というのが一般的なやり方かと思います。
その過程で、タスク自体の必要性や代替性を考える視点はとても重要です。部屋掃除と同じで全体の物量が少なかったり自分にとって必要・重要なものに絞られている状態のほうが管理が楽、そして快適な場合が多いからです。
ただ、注意しなければならないのは「必要ない」「やらなくても良い」の基準が誰の・何の目線に基づくものかという点。
なぜなら、この基準を自分ではない誰か(一般的な社会通念など)に置いてしまうと、それをやらなくなることで自分が苦しんでしまうケースがあるからです。
「ついやってしまうこと」は、あなたにとって「必要なこと」かもしれない
明確にタスク化している・いないに関わらず、一見必要なさそうな行動でも「これはやりたい」「なぜかやってしまう」ものがあります。
優先度や必要度・緊急度が低いからこれはやめたほうが良いはず。そう思っていてもやってしまうことは、実は自分が自分らしくいるために必要なものだったりします。つまり「頭ではわかっていない(自覚していない)が、気持ち・感情面で納得しているやりたい理由がある」状態です。
※頭でわかっていても理屈上優先度を下げようとしている、という場合もあります
どういうことかというと、誰かから見たら一見意味がないように思える行為でも、気持ち・感情面で自分がそれをやる合理的な理由が存在している可能性がある、ということです。
人はそれぞれ価値観や大事にしているものが違います。自分にとって意味のあるものを誰かの物差しに従って「無駄なもの」として切り捨てたら、心が痩せていってしまうかもしれません。お仕事上での行動に当てはめるなら、それは「自分の仕事の美学」とも言えるでしょう。
上記以外にも、一見必要なさそう(仕事や人生に支障はなさそう)でも、その人にとっては重要度が高い!というものは存在します。誰かにとっては友人や同僚と過ごす時間であったり、一人でただぼーっとする時間であったり…というように。
これは主観になりますが、日常を生きるうえで優先したほうが良い基準は「自分の人生を満足度高く、気持ち良く生きられるかどうか」かなと考えています。
こんまりさんのお片付けメソッドでいう「ときめき」があなたのその行動に含まれている、と考えるとわかりやすいかもしれません。
理屈上は必要ないはずのものでも、そこにあなたの心を動かすものがあるのなら、無理にやめる(捨てる)必要はないと。
「ついやってしまうこと」の見直しも「必要性」「代替性」で
それを理解したうえで、
「自分が今掲げている目標を達成するためには、新たな他のタスクに取り組む必要がある。だからいくら意味があってもこの行動にこんなに時間を使っている場合ではない!」
という時期もあると思います。そういうときは、その行動に割く時間や頻度を減らす、あるいはより短い時間で求める効果を得られそうな代替の行動や工夫を組み込んでみるのがお勧めです。
タスク管理の正解は、他人が決められるものではありません。自分がいま何を必要としているのか、何をしなければならないのか、なぜそう捉えているのか。日常の中でふと立ち止まったときに、こうしたアプローチが参考になれば幸いです。
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