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純文学風鶏団子鍋

ぽってりと分厚い蓋に開けられた小さな穴から、しゅうしゅうと音を立てて湯気が吹きだしている。その穴をふさぐように厚手の布巾をかぶせると、女は慎重に鍋の蓋を持ち上げた。ぶわりと立ちのぼる湯気が、女の視界を白く覆った。だがそれもほんの一瞬のことで、湯気の熱さに思わず閉じたまぶたを再び開いた時、女の目に飛び込んできたのは、くつくつとさざめく黄金色のスープに浮かぶ、愛らしい球体たちの姿だった。

いい塩梅だな、と呟きながら女はにんまりと笑みを浮かべ、つい今しがた刻んだばかりの豆苗を鍋の中に並べた。

ごま油を回しかけ、再び蓋を閉めたところで、玄関のチャイムが古くさい音を立てて来訪者を知らせた。開いてるよー、とかけた声に、ガラガラと扉が開けられる音が続いた。コンロの火を止めて玄関をのぞき込むと、白いビニール袋をぶら下げた男が、上がりかまちで仰向けになっているねこ(横綱)の腹部を撫でまわしていた。

「お疲れさま、早かったじゃん」

「おう。お邪魔します」

いつものやりとりを交わすと、男と女は並んで居間に入った。


ポン酢、ゆずこしょう、七味唐辛子、レモスコ、食べるラー油、成吉思汗のたれ。調味料の瓶や小皿に囲まれるようなかたちで、食卓の中央にはカセットコンロが設置されている。女が台所から運んできた土鍋をコンロに載せ、男が点火スイッチをひねる。ボボ、ボーボ、ボー……ボボ、という音がして、青白い炎が点いた。男がすかさず火加減を最小限まで絞った。

「今日ジンギスカン鍋だっけ?」

「ううん、鶏団子鍋。でもこのたれ、鍋ならなんでも合いそうだから」

「へえ、そうか」

女は、先ほど男に手渡されたビニール袋の中身を取り出した。缶チューハイのロング缶が3本と、カフェオレと、ちゅーる4袋が出てきた。女は礼を述べてから、缶チューハイ1本とカフェオレを残して他のものを冷蔵庫にしまった。そうしているうちに、再沸騰した土鍋がまた湯気を吹きだしはじめた。

「そろそろいいかな」

女は鍋の蓋を開け、再びにんまりと笑った。実にいい塩梅だな、とひとりごちる。


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土鍋の中にたっぷりと張られた出汁から、鶏がらスープの香りがふんだんに立ちのぼった。その中に沈んでいる鶏団子が、加熱前よりもざっと1.5倍程度の大きさになって、いかにもやわらかそうに仕上がっていた。焦げ茶色の頭をぴかぴかと光らせているしめじ、その隣にくったりと身を横たえている淡緑色のキャベツ、出汁を含んで生成り色に染まったもやし、最後に入れた鮮やかなグリーンの豆苗。そして、淡い色合いを引き締めるように散らされた花形のにんじん。どれもこれも、ちょうどよい加減に火が通っていることが見て取れた。ぽってりと膨らんだ厚揚げの、きつね色と純白のコントラストが食欲をそそる。

女はふたつの器にすべての具材をひとそろい入れると、おたま1杯分の出汁を張った。おかわりからはお好きにどうぞ、と言いながら男に差し出した。


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男は礼を言って受け取ったあと、女が用意していた氷入りのタンブラーに缶チューハイを注いで寄越した。向かい合わせに座り、そろって手を合わせた。


「ほんじゃいただきますかね」

「うまそうだな、いただきます」


女はまず、鶏がらスープの素と料理酒、おろしにんにくとおろししょうが、ごま油で味つけした出汁をたっぷりと含んだキャベツを頬張った。やわらかな葉が口の中でとろけた。つまみ上げるとその愛らしい傘をくたりと箸にあずけてくるしめじは、しんなりとしたその身の中に、わずかながら抵抗感を示す歯ごたえが残っていた。続けてもやしに箸を伸ばし、しんなりとした歯ざわりに感嘆のため息を洩らした。豆苗を噛みしめると、ほどよい青くささが口の中いっぱいに広がった。しゃきしゃきと小気味良い、イメージ通りの食感に思わず目を細めた。ずしりと持ち重りのする厚揚げは、どこまでもやさしくて穏やかな味わいで女の口内を満たした。花型に抜いたにんじんは、加熱によってその甘やかさをいっそう深めていた。火の通り加減もちょうどよく、口の中でほろほろとほどけてゆく。

野菜をひととおり味わってから、女はようやく鶏団子に箸を伸ばした。その日並んだ皿の中でいちばん好きなたべものは、食卓で自分をさんざん焦らしてから食べるのが女の常だった。のみならず、土鍋でじっくりと火を通された鶏団子は、すぐに口に運ぼうものなら容赦なく舌を焼かれることを、女は経験則から熟知していた。

ふっくらと炊き上がった鶏団子の、もう少し指先に力を込めればその肌にたやすく箸を食い込ませられそうなたたずまいに、女は再びにんまりと笑った。息を吹きかけるのもそこそこに、丸ごとを頬張る。

「はふぃ!」

「ふん、はひぃは。へおうわぁい」

「ほぃひーへぇ」

絶妙な歯ごたえが残されている鶏団子は、ひと噛みするごとに、団子そのものが持つ肉汁と、その身にたっぷりと含んだスープを溢れださせた。少し多めに入れたしょうがが爽やかに香りたち、続けてピリリと小気味良い辛みが追いかけてきた。塩加減もちょうどいい。牛や豚に比べれば、ともすればあっさりしすぎている鶏肉そのもののうまみに、ごま油の香ばしさと甘みが絶妙なコクと濃厚さを添えてくれていた。

「ほはっほへちゃんほおいひーわ」

「ふん?」

「ふぅ……どちゃくそめちゃんこおいひい!」

ちょうど鶏団子を頬張ったばかりだった男は、すぼめた口からふうふうと熱さを逃がしながら、二度、三度と首を縦に振った。

「今日みたいな日はやっぱ鍋だなー。このスープうまいわ」

「ちょっとさっぱりしすぎかと思ったけど、平気?」

「いや充分うまい。いくらでも食えそう」

「そりゃよかった」

まず男が器を空にし、続いて女の器も空になった。それぞれ好みの具材とスープをおかわりしてから、コンロの周りに乱立している調味料各種に端から手を伸ばした。男は厚揚げにゆずこしょうを載せたものが気に入ったようだった。女は成吉思汗のたれに鶏団子をたっぷりと絡ませて口に運んだ。さらりとしたしょうゆベースのたれが、鶏団子の穏やかな味にぴったりと寄り添うさまが、女に深い満足感をもたらした。このたれは大瓶で販売されていないか、後で調べてみよう、と缶チューハイをすすりながら女は思った。ペットボトル販売なんかあれば最高だな、とも。

二杯目を食べ終える頃には、男も女もうっすらと汗ばむほどに身体があたたまっていた。どちらからともなく上着を脱ぎ、三杯目に取りかかった。食べながら、男と女は他愛もない会話を交わした。女は最近保護したばかりのねこが、愛くるしい顔の下になかなかのじゃじゃ馬ぶりを秘めていたことを話した。仕事から帰ってくると、本棚に納めていたはずの文庫本がことごとく床に散らばっていて、それもどういうわけか村上春樹氏の著作ばかりが狙い打ちされているのだ、と言うと、男は厚揚げに載せすぎたゆずこしょうに涙目になりながら笑った。珠さんはハルキストなのかもな、と男が言い、そうかもしれない、と女も笑った。男は最近動画サイトで「初心者でも簡単なあんこ作り」という動画を見つけて以来、鍋で煮込まれるあんこの姿が頭から離れなくなっていると言った。いいじゃん、作っちゃいなよ。自分で作れば食べ放題だよ。そうなんだよなー、もし作れるようになったら俺、鍋ごと抱えて三食あんこ食っちゃうかもしれない。男の甘党ぶりを知っている女は、充分あり得る事態だなと思った。


鍋の中が空になると、女は立ち上がった。〆行けそう?という女の問いかけに、いつの間にか足元にすり寄ってきていたねこ(女帝)の首もとを撫でていた男がうなずいた。女は台所へと向かった。

女は小鍋で軽く茹でた中華麺をざるで湯切りし、それを土鍋の中に入れた。浮いてきた細かなアクを手早くすくい取り、ほどよく茹だったところで火を止めた。半人前ずつをそれぞれの器に盛りつけ、出汁を張った。


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細めのちぢれ麺に、鶏団子と野菜のうまみが十分に溶けだしたスープがたっぷりと絡みつきながら、するすると喉をすべり落ちてゆくと、女は再びにんまりと笑った。顔を上げると、男もにんまりと笑っているのが湯気の向こうに見て取れた。適度な噛みごたえのある麺と、今やすっかりくたくたに煮込まれた残り野菜のコントラストに、女は深く満足した。いっそううまみを増した出汁を一滴残らず飲み干し、それぞれの器が空になると、男と女はそろってため息を深く、そして長く吐きだした。


「ごちそうさまでした」

「ごちそうさまでした」



※タイトルに純文学風と謳っていますが、純文学の定義にふわっふわのイメージしか持ち合わせていない人間が、そのふわっふわが赴くままに乏しい語彙で適当に書き散らかしたものです。不適切な表現などありましょうが、どうぞご容赦ください。純文学に造詣の深い方、ご気分を害してしまいましたら大変申し訳ありません。

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