立冬の日にかけた「目黒のさんま」
昨日の談笑さんの「テレビ算」で、「はて、過去に観た壺算はどの落語家さんのものだったかな」と気になり、過去のノートを見返してみた。
目当ての壺算はまだ判明してないが、昨年11月8日のメモが出て来て読み返したら、とても大事なことが書いてあったので残しておきます。
扇辰師匠
扇辰さんに出会ったのは京都で、喬太郎さんとの二人会だったと思う。とても粋で声も素敵で、着物姿も格好いい。いっぺんで好きになってしまった。以来、吉田食堂さんの会で来阪の時は欠かさず行くし、下北沢までお休み取って行ったこともあった。
今日は何をかけてくれるのかな、と楽しみにしてると、ごめんなさいね、ちょっと聞いてくださいね、と、立冬の日に「目黒の秋刀魚」を掛ける野暮を詫びられた。
理由はこうだ。
秋といえば秋刀魚。秋刀魚と言えば「目黒の秋刀魚」。定番のネタで、秋になるとよく掛かる。寄席などでも演る人が多いらしく、「今日は目黒を掛けようか」と思っていても、先に演られてしまうのだそう(扇辰さんぐらいになると出番は後半トリたがら尚更かもしれない)。
まぁ、いいか、また今度掛けよう。昨年は、そう思ってるうちに季節が変わってしまい、掛けず終いだったそう。
まぁ、いいか、また来年やろう。そしてこの年、また他の人に先を越され、やれずしまいで今日まで来てしまいました、と。
大阪のみなさんなら許してもらえますか。ここなら、かぶることもない。ましてや今日はもう立冬です。時期はずれもいいところ。ただ、今日掛けないと、たぶん来年の秋までやらないでしょう。そうなるとまる2年、やらないことになってしまう。立冬の日に目黒の秋刀魚を演るという野暮をどうかゆるしてくださいな。
会場は大拍手。
見どころはなんと言っても殿様の食べっぷりだ。みたこともない真っ黒焦げの秋刀魚に、最初はおっかなびっくり。なんとも野蛮な見た目に恐る恐る口をつける。食べてみるとすこぶる旨い!あっという間に何匹も平らげてしまう。
食べたり飲んだりの仕草は落語が楽しくなる入り口の一丁目だと思う。そして、その仕草の品の良さ、逆に、手で摘んだり指を舐めたりといった品のなさ、そうした仕草で役柄を表現してしまうのも落語ならではの面白さだ。
扇辰さんの目黒の秋刀魚は、まさに絶品だった。
本番が必要だということ
大いに楽しんで帰宅してからノートに書いたのは、扇辰師匠のような方でも、「本番で演る」ことを欲するのだな、ということだった。
若い頃から数えたら何十回、何百回もやってるだろうネタだろうに、「2年もやらないとできなくなってしまうかもしれないから」と言うのだ。
素人考えだが、仮に2年やらなくても3年目に、やれなくなる、なんてことはないんじゃない? ちょっと怪しいなと思えば、稽古でもして臨めばよいのでは?
でも、そう言うことじゃぁないんだろうなあ。本番で、お客の前でやるのが大事なんだ。
翻って自分のこと。
少しずつ若い人に、いわゆる現場を任せることは増えてきた。それは悪いことではない。けれどもし、まだまだこの好きな仕事を続けたいなら、やっぱり現場をやることは求めないとならないのだろう、と思った。
どんなに小さな現場でも、出て行ってちゃんとやらせてもらおうと思う。
多少野暮でも「やらせてください」とお願いして、求めていかなくちゃいけない。そう思った夜だった。
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