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「親切な人が増えた」と聞いたら親切したくなった話。

今朝の新聞のエッセイで、

最近、信号のない横断歩道で待っていたら車が止まって、どうぞ、と目くばせされた。慣れてないので、なんで止まる?曲がるの?と思って戸惑っていたら、自分のために止まってくれたと気づいて慌てて会釈をしながら渡った。

というのを読んだ。

筆者の中では、「人に親切にする」ということについては日本は遅れていて、我先に、と他人を押し除けるように進む人が多い印象だったそうだ。

それが最近変わってきて、席を譲ったり、道の端に避けたり、横断歩道でも止まってくれたりということが増え、日本も変わってきたものだ、と締めていた。

私の中では正直、

そうかな。
まあまあ、止まってくれる車多いと思うけどな。

という印象なので、ひょっとしたら住んでたり働いてたり、の生活圏でだいぶ違うのかもしれない。ただ、筆者ほどではないけれど、確かに親切な人は増えてるな、とは思った。

そして家を出て通勤の道々では、自然と、そんな行動の人に目が行く。

前から歩いてくる2人組の高校生は、歩道を占拠してたけど、私とすれ違う前にすっと縦列になって私に歩道を歩かせてくれた。

集団登校の小学生たちは、下級生を列の真ん中に挟んでいるので、歩いてるうちに小さな子が置いてかれて、2つに分かれてしまうことがある。大人がその間に入ってしまうと、グループは分断してはぐれてしまうので、私たち大人は間を詰めずに車道に降りて追い越して行く。

燕の巣の真下の軒下は、丸々超えた燕たちの成長の跡がこんもりしてる。うっかり頭の上に落とされるといけないので、家主は「頭上注意!」の貼り紙をして、撤去する気配はない。

ふむふむ、確かにみんな親切だなぁ。

私自身も、普段より周りの人に注意がいったように思う。

私は、電車の席は、空いてなければ座らないし、失礼にならない相手には譲ることにしているのだが、今日は普通電車で空いてたので座った。

そしたら5メートルぐらい離れた所に、杖をついてる女性が見えた。席を立って呼びに行こうと思いつつ、他の人に座られたらイヤかも、と空けた席とおばあさんを目線で繋ぎながら見ていると、私の視線に気づいた人が、杖のおばあさんに声をかけてくれた。

あちらの方が譲ってくれるようですよ。

おかげで悪目立ちせずに席に座ってもらえた。声を掛けてくれた方に薄っすら笑顔で頭を下げると、その方も、薄っすら笑顔で返してくれた。

やっぱり親切な人増えてるな!

というか、これは完全に影響受けてるな、と思った。私の中の、というか人間の本能的なもので、「安全に快適に暮らしていきたいな、だから怖いことや危ないことをする人は少ない方がいいな」という感情は、無意識の中で強いと思う。

だから新聞の記事で「親切増えてるよ」と読んだことで、そうか!それはよかった!もっと増えるといいな、という気持ちが生まれたんだろう。

だから、親切を探したいと思うし、見つけるし、自然と気がつく。

そして、私自身もその環境を構成してる一部でありたいと思い、いつも以上に人に親切になろうとしたんだろうな。

仕事や遊びに置き換えると

自分の属するコミュニティで、「いいな」と思う行為や発言を増やしていきたいと思ったら、それを自分がやることからだな、と思った。

そして人の良い行いを見つけたら、みんなに知らせたり、最近増えてるね、と言葉にしてみるのがいいのかも。そうすれば、自分もそうありたい、と思って行動に移す人が増えるんじゃないかな。

さて、新聞のエッセイに戻る。

果たして筆者は本当に「日本で親切が増えた」と感じてだのだろうか。ひょっとして、その気になりやすい人たちが、今日の私のように感化されて親切をしたくなるのを狙って書いたのでは。

だとしたらまんまとやられてるわけだけも、こういうのなら大歓迎だ。

こんなの、何回あっても良いですからね。

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