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一緒とひとり

信号のある十字路があり、
私は真っ直ぐに横断歩道を渡りたくて
信号待ちをしている時、
垂直方向から地元の知人が
横断歩道を渡ってやってきた。
互いに目があって挨拶をする。

私は渡った後は左へ曲がる。
知人は右からやってきて
そのまま真っ直ぐに、
つまり私と方向的には同じ方向へと進む。
住んでいる家が近くとも、
使う道は異なるために
道路を挟んで平行に歩くことになるわけだ。

さて、こうした時
コミュニケーション能力の高い人なら
どうするのだろうか。

やはり自分は横断歩道を渡らずに
手前を左に曲がって知人と歩いていき、
次の横断歩道で反対の道へと渡るのだろうか。
それとも自分を確立しているため
自分の道を貫き通すのだろうか。

そうした思いが一瞬で交差して、
私はいつも自分の感情を優先してしまう。
一緒に歩いても気を遣い、
中身のない話をするのが目に見えている。
あれこれ詮索されても嫌だし、
ただ子どもが同級生という共通点しかない。

今日は、いや、今日も
そのまま横断歩道を渡ってしまった。
そして相互一車線ずつの
それほど広くもない道路を隔てて、
ほぼ同じスピードで同じ方向に
平行にそれぞれの道を進んだ。

内心これでよかったのかわからない。
なにが正解かわからない。
私が大好きな相手で
この先もっと仲良くしたいとか
もっとお近づきになりたいとか
そうした思惑があるのなら
私もきっと努力したと思う。

私は感じの悪いやつだろうか。
あっさりとした気軽な相手だろうか。
自分を貫く本当の強さを持っている人なら
相手が自分をどう思っているかなんて
なにも考えないのかもしれない。
しかし私は相手の反応が怖くて仕方がない。
だから人とあまり接点を持たずに生きているのだ。
気疲れしてしまうから。

おやつの時間に差し掛かる頃の出来事を
夜も深まったこんな時間まで引きずっている。
相手はなんとも思わず一日を終えるのだろう。
それでも気になって仕方がない。
だれか正解を教えてくれないものだろうか。
そうすればもう少し生きやすくなるんじゃないかなと
ちょっと期待してしまったりする。

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