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生き残されし彼女たちの顛末 第3部 第38章 プラス・ワン

 ミシェル・イーは続ける。
【一つ目は、国際連邦憲章の難民・避難民条項を根拠に、4地域の住民に連邦市民の地位を与え、シャンハイ・レフュージへの避難を認める、というアプローチです。第四次大戦後に、生き残った人民に「国家再建までの暫定措置たる連邦市民の地位」を与えて、各レフュージに収容するため、この条項を根拠とした立法措置が行われ、現在も効力は失われていません】
【最も正攻法のように思えますが、どうでしょう】と情報通信局長のハーン。
【ただしこのアプローチでは、ご要望の二つめ、「現在の自治組織と通貨システムを維持する」ということが不可能になります。難民・避難民条項に基づいて連邦市民の地位を与えられた者は、国際連邦が定める統治組織の支配下に入らなければなりません。現在の自治組織は原則として解消しなければならず、独自の通貨システムが認められることもありません】
[祖父が、第四次大戦後に連邦入りを拒んだ大きな要因は、通貨システムでした]と周光立。
【もう一つ検討したアプローチは、4地域を国家として国際連邦に加盟させ、ネオ・シャンハイを避難場所として提供する、ということです。これならば自治組織、通貨システムともに、そのままとすることが可能です】
【なるほど、加盟国、という形を取るわけだね】と科学技術局長のオビンナ。
【しかし、この方法が可能になるのは、4地域それぞれ、あるいは4地域を合わせて「国家」として認められるかどうかです。教科書風になりますが、「国家の三要素」のうち、「人民」はいいとして「権力」については疑問です。何よりも「領域」。残念ながら「旧中国領の一地域」のレベルに、留まるものと言わざるを得ません】
【国家として加盟させると、住民が連邦市民としての保護を受けられないのではないですか?】と科学技術局観測予報部長のハーニャ・ゼレンスカヤ。ウクライナ人の40代の女性。
【運用でカバーできる部分はあるとしても、本質的な意味ではそういうことになります】
[「自経団と上海真元銀行は諦めなければならない」ということですか?]と周光立。
[上海を初めとする我々のコミュニティーには、その辿ってきた歴史から、残念ながら国際連邦に対する根強い不信感があります。我々が築き上げてきた自治組織と通貨システム、これらが失われるということになると、住民の側からネオ・シャンハイへの避難に抵抗する動きが出て、大きな混乱をもたらす恐れがあります]
[ご心配なく。これから申し上げます]とミシェル・イーが中国語で返答する。
【ファン・レイン総務局長の秘蔵っ子である君のことだから、ちゃんとソリューションは用意しているよね】とアーウィン。
【前置きが長くなって申し訳ありません。これからお話しする方法はひと手間かかるので、、検討した結果辿り着いたものであることをご理解いただくために、申し上げたのです】

 一呼吸おいてミシェル・イーは続ける。
【「独自の自治組織と通貨システムを持った地域として、連邦暫定統治機構の支配下に入る」という内容の協定を、みなさんの代表者と国際連邦で締結する、という方法を考えました】
【なるほど、協定の形をとるのだね。しかし国家ではない4地域が、協定の一方の当事者となることは可能なのかね?】とアーウィン。
【いままでも、国家ではない主体と国際連邦が直接協定を締結した例はあります。例えば国家から抑圧されている少数民族や、天災による壊滅的な被害で、国家が一時的に機能しなくなった国の住民が当事者となったケースがあります】
[第四次大戦後の収容の際に、同じような協定が結ばれた例は無いのですか?]と周光立。
【若干例あります。ただし独自のものが認められたのは自治組織。それも極めて限定されたもので、通貨システムまで含まれたものは、ありませんでした】
[では、上海真元銀行は諦めなければならないのですか]
[いえ、諦めなくてもいいと思います、周光立]と、また中国語でミシェル・イー。
【協定という形であれば、両者の合意でどのような内容も盛り込めます。大戦後60年に亘って地域の金融を担ってきたシステムを、容易に否定することはできません、通貨システムの健全性が認められれば、受け入れ可能と考えます。もっとも、いろいろと資料の提出が必要になることは覚悟して下さい】

【どのような手続きになるのですか、ミシェル・イー】とハーン。
【まず、4地域の代表者たる周光立と楊大地の、連名による協定締結の申入書を作成、連邦統治委員会に提出していただきます。総務担当委員から議案として委員会に諮り、決定を経て評議会に提出。評議会で審議ののち、可決されると協定締結ということになります】
[そんなにすんなりといくのですか?]と周光立。
【委員会で決定されるまでに、調査団の派遣、申入者への聴聞、そしてマザーAIへの諮問、などがあるものと思われます】
[どれくらい時間がかかるのですか?]
【統治委員会で決定して評議会にかける事案だと、最短でも1ヶ月はかかる。今回のように調査団派遣や聴聞、マザーAIへの諮問などが加わると、2ヶ月、ひょっとすると3ヶ月かかるかもしれない】とオビンナ。
[結論までに3ヶ月もかかると、その後の準備が間に合いません。迅速に進めていただけるよう、どうかお取り計らい下さい]
【総務局長を通じて、総務担当委員には、私から十分根回しをしておこう】とアーウィン。
【情報通信担当委員には、私から】とハーン。
【私も、科学技術担当委員に】とオビンナ。
【ネックになると私が予想しているのは、人間では法務担当委員。彼はアルプテキン法務局長の言いなりです。元部下の私が言うのもなんですが、アルプテキンはウイグル人で、中国人に根深い不信感と敵意を抱いています。総務局長と相談して、法務局長対策を行います】
[ありがたい、みなさん。心強いです]
【それとやはり、マザーAIですね。おそらく監察ユニットがインターフェースになるのでしょうが、手ごわい相手です。それに人間と違って根回しがききませんから】
【マザーAIについては私に任せてもらいたい】とアーウィンが力強い口調で言う。
【申入書の内容を踏まえて、監察ユニットを黙らせるようなロジックを組み立てよう。それと…決議の妨げにならない範囲で、私の問題意識も盛り込みたい。よろしいかな、周光立】
[どんな形であれ、お力添えいただけるのであれば、嬉しいです]
【よろしいですか? ハーン局長】
【チームのヘッドコーチはあなたですよ、アーネスト・アーウィン】と微笑みながらハーン。

[ミシェル・イー、申入書の作成に上海時間の明朝から入ります。私とこちらの高儷で作業を行います]と周光立。
[それでは、上海時間の明日夕方に、その時点ででき上がっているものをお見せいただいて議論することにしましょう]と言うとミシェル・イーはアーウィンに向けて言う。
【アーウィン部長、申入書の議論に加わっていただいてよろしいですか】
【UTC9時から昼までなら大丈夫だ】
[では、上海時間の17時からということで、お願いします]
[ミシェル・イー、高儷です。作成するのは英文版と中文版で、よろしいですか?]
[そうですね。大丈夫ですか?]
[頑張ります]
[そうそう周光立、上海真元銀行の財務関連の資料を、可能な限り用意して下さい。これはひとまず中文のみで結構です]
[了解です。申入書を何とか金曜中には仕上げたいと思いますので、アーウィン部長、ミシェル・イー、よろしくお願いします]
[こちらこそ]とミシェル・イー。
【では、金曜の午前中も予定を空けておくことにするよ】と言うと、アーウィンは視線をヒカリのほうに向ける。

【ところで、ヒカリ君と楊大地は、明日からネオ・ティエンジンへ行くとのことだが…】
【そうですね、まあ、「独立運動」とでも言いましょうか…詳しいことはいずれお話ししますが、おそらく明後日にティエンジン・レフュージのシスターAIに、軽く工作してきますので、大事にならないよう、お取り計らい願います】
【ははは、君のことだ。また、それなりの考えがあってのことだろう】
【レフュージで現在人間の生体反応があるのは、ネオ・トウキョウの一人だけです。ティエンジンは無人かと思われますが、くれぐれもお気をつけになって下さい】とミシェル・イー。
【ありがとうございます】
[上海の警務隊員を護衛につけます]と周光立。
 しばし歓談ののち会合は終わった。

 前日の雨が上がり、翌日の上海は晴れ渡った。周光立がダイチとヒカリのためにつけてくれた護衛は、第18支団警務隊2人の女性警務隊員、潘雪梅(パン・シュエメイ)と潘雪蘭(パン・シュエラン)。双子の姉妹。初めて会ったときから、ずっとニコニコしている。
[高儷を迎えに行ったのも彼女らだった]と周光立。
 朝一番に、4人で申入書について打ち合わせ骨子をまとめたのち、9時半頃、ダイチとヒカリは李勝文のタクシーで第18支団のオフィスを発った。潘雪梅と潘雪蘭を乗せた警務隊の車が後に続く。
 一行は第7地区を抜けると、黄浦江の埠頭に着き、車を降りてしばし待つ。
 川の下流のほうから一隻のマリンビークルが近づいてくる。徐々にその姿が大きくなり、10時を少し回ったころ、埠頭に接岸した。
 ヒカリが駆け寄る。
「ご無沙汰してます。ヒカリさん」とマリンビークル。
「ほんとにご無沙汰。アルト」とヒカリ。

(つづく)


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