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生き残されし彼女たちの顛末 第3部 第47章 住民たち、かく語りき

 少し席を前へ引くような仕草の後、アーウィンが言う。
【我々からお聞きしたいのは、自経団の団員としてみなさんが団の運営についてどのようにお考えか、感じておられるか、ということです。では最初にマルティネスから】と言ってマルティネスを促す。
【私がお聞きしたいのは、住民同士の紛争の解決方法についてです。区長助理や区長によってほとんど解決されるとのことですが、そのような制度に満足されていますか?】
 しばらく場内で顔を見合わすような間合いがあって、40代の男性が言う。
[じゃあ、私から。紛争といっても、ほんの口喧嘩のレベルから金銭も絡んだ深刻なものまでありますけど、まずは班長に相談します。些細なことでしたら班長に話を聞いてもらうだけで、気持ちが収まって、お互い謝って解決してしまうことも多いです。あとはさっき言った紛争のレベルによって、班長の解決案、区長も入った調停案、と進んで行くんですが、そういう解決で満足してると思います。なあ、みんな]と会場を見渡す。頷く顔がそこここに。
[ただ、それは武昌だからかもしれませんね]と50代の女性。
[親戚が漢陽にいるんで、話はよく聞くんですが、漢陽あたりでは区長の調停案でも解決しないで、法院に持ち込まれる場合も、それなりにあるようですよ]
[武昌の法院から審判員(判事)と律師(弁護士)が、漢陽に応援に行くこともあるとか]
【漢陽ではどれくらいの割合で法院まで進むんですか?】とマルティネス。
 しばし会場沈黙、の後、張子涵が口を開く。
[あたしんとこの従業員で漢陽の区長助理やってるのがいるんだけれど、その人に聞いた話では、たしか1割いくかどうかと]
【なるほど、漢陽が多いと言っても10%未満なんですね。武昌がほとんどない、とすれば、さっき幹部の方から聞いた「武漢全体で5%くらい」というのも理解できますね】
【では次に私から】とアーウィン。
【自経団の運営に、みなさんは満足しておられますか】
 再びしばし沈黙。さらにアーウィンが続ける。
【具体的にいうと、自経団の決定事項などにみなさんの意思はしっかりと反映されているとお感じでしょうか。幹部職員がみなさんの意向を無視するようなことはないでしょうか】
 またしばらく、場内で顔を見合わすような間合いののち、40代の女性が発言する。
[まず、もっとも身近な区長ですが、不満はありません。先に話のあった紛争の場合でも、公平な立場で調停をしています。確かに3分の2の班が「ノー」を突き付ければ有無をいわさず解任される、という制度のこともありますが、それは別にして、親身になって我々のために職務にあたってくれていると思います]
[支団幹部やスタッフの仕事にも、基本的には満足してます]と30代の男性。
[班の利害に関係する施策の実施には班の同意が必要ということもあって、関係するスタッフ、内容によっては幹部が定例会にきて、説明、そして意見の吸い上げをしてくれます]
[同意を求められたときは違和感のあった施策でも、あとから考えてみると「なるほど」と思わせるものがありますね]と先ほどの40代の女性。
[いざとなったら副書記以上には、解任請求をつきつけることもできますしね。まあ…これはあくまで住民にそういう権利がある、ということで、私の知る限りでは解任請求がされたことはありません]と前の質問で発言した50代の女性。
 その後、ほぼ同じ趣旨の発言がいくつか続いた。
【みなさんのお話はよくわかりました。少なくとも武昌支団においては、自経団の運営にみなさんおおむね満足されている、ということですね】
[じゃあ、ここで少し休憩をとりましょう。10分後に再開、ということで]と張子涵。
 ヒカリがオフィスのティーサーバーで茶を汲んで、アーウィン、マルティネス、ハバシュに渡しながら聞く。
【いかがですか】
【そうだね。今のところいい話が聞けているが、みんな、本心で喋ってくれていると考えていいかね?】とアーウィン。
【大丈夫だと思います。心にもないことを言うような方々ではないですから。まあ、もとからお行儀のいい武昌ということもありますが】
 張子涵は70近くの女性のところに行って話をしている。

[みんな揃ってますね? では、再開します。アーウィン副団長、お願いします]と張子涵。
【えー、次の質問に入る前に、今までの話について、付け加える意見、反対意見などお持ちの方ありませんか? あればぜひ聞かせて下さい】
 張子涵が場内を一通り見回す。
[無いようですね]
【それではたぶん最後の質問になります。自経団のことをひとことで表すとどうなりますか? 別に「ひとこと」でなくて結構ですので、みなさんのお考えをお聞かせ下さい】
 しばし沈黙があって、20代の男性が発言する。
[学校で習うのは「互相幇助」ですね。自経団の理念を表していると教えられました]
 何人かが続けて「互相幇助」にまつわる話をする。
[自経団の「経」は「経世済民」の「経」だと聞いたことがあります]と30代の女性。

[私に話をさせていただいても、よろしいかしら]と休憩時間に張子涵が挨拶していた60代の女性が言う。
[ぜひ、お願いします。呉桂英(ウー・グイイン)]と張子涵。
[私は、武昌自経団が誕生したときからの職員でした。シカリの祖父である楊守とその義兄にあたる楊清道の下で働いていました。40を超えた頃に家業を継ぐために辞職しました]
 武昌支団副書記兼民政局局長を最後に辞職した彼女は、現在の民政局副局長の呉桂平の伯母にあたる。
[支団職員として20有余年、その後一人の団員として20有余年を過ごしております。その意味では、職員と団員としての両方の立場で発言ができるかと思います]
【そのような方のお話、ぜひ伺いたいものです】と身を乗り出してアーウィン。
[武昌自経団が産声を上げた当時、私は10代の後半でした。ネオ・トウキョウからきた楊守も30前、楊清道もちょうど30頃だったでしょうか、とにかくみんな若くて、理想に燃えていたことを覚えています]
 一呼吸おいて、呉桂英が続ける。
[立役者の二人のうち楊守は、制度や仕組みを作る中心になっていました。一方、楊清道はそれを住民に浸透させる「伝道師」のような役割でした。「自経団生みの親」としては楊守のほうが有名ですが、実は「自経団」という名前をつけたのも、「互相幇助」という理念を掲げたのも、楊清道です]
 創成期を知る人物の言葉に、集まった班員も聞き入っている。
[その楊清道が、「互相幇助」と並んでよく口にしていたのが、「唇亡歯寒」(唇亡ほろびて歯は寒むし)や「輔車相依」(ほしゃあいよる)。各々の住民が、お互いにかけがえのない存在である、ということを言いたかったのです。これらの言葉に込められた理念が、どの程度浸透しているか、理解されているか、によって自経団の統治のレベルが違ってくるのです]
【武漢の3つの支団でも違いがあるということですね】とアーウィン。
[そうです。私の所属するここ武昌は、優等生と言っていいでしょう。漢口は合格点ですが、最近までの漢陽はひどいものでした]
【外におられる孫強書記が、いま立て直されておられるとか】とマルティネス。
[前の書記の趙秀清がとんでもない人物でした。中心人物がそのようなことでは、あとは「近墨必緇、近朱必赤」(墨に近づけば必ず黒くなり、朱に近づけば必ず赤くなる)の教えの通り、支団職員に不正行為がはびこり、犯罪も多発するようになったのです]
【自治の尊重、ということでこれまで手をつけてこなかったのを、マオの対策を進めるために、楊清立顧問が中心になって非常手段をとったのです】とヒカリ。
[私の記憶では最高法院が設置されたのは、統一司法規則の条項の解釈で見解が分かれ、結論を出すために何回か開かれただけです。今回のような「大捕物」は初めてのはずです]
【興味深いお話をありがとうございます。ところで重慶や成都については、どのように感じておられますか】とアーウィン。
[私が耳にするところでは、少なくとも漢陽のような状態にはなっていないようです。おそらく合格点レベルではないでしょうか]
【呉桂英、最後に住民のみなさんを代表する形でお言葉をいただけませんか】
[私は老い先短い老人です。自経団について知っていることをお話しするくらいしか能がありません。張子涵やヒカリを初めとする、若い人間にとって未来が開かれたものとなるよう、どうかお力添えを下さい。お願いいたします]
【お言葉しっかりと受け止めました。お役に立てるよう、努めます】とアーウィンが返す。
[アーウィン副団長、これでよろしいでしょうか]と張子涵。
【十分過ぎるほど有意義なお話をお聞かせいただけました。本当にありがとうございます】
 会場から拍手が起こる。連邦の3人が立って拍手に応える。アーウィンは会場を見まわしながら会釈を繰り返す。

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~ミシェル・イーの手記より 3~

 区長のオフィスに通され、しばらくするとタクシードライバーがやって来た。李勝文という名の彼は、班の取りまとめ役の区長助理を務めているとのこと。今日は彼の仲間の劉俊豪の班と合同で懇談会を催してくれるらしい。
 19時少し前、会場に案内される。2つの班合わせて83人いる班員のうち35人が集まってくれたとのこと。急な依頼だったのにこれだけ集まってくれるのはありがたい。
 2人の区長助理が共同議長のような形で進行役となり、案内役ということで高儷が参加している。周光立と区長は、住民の発言の妨げとならないよう、オフィスで待っている。
 高儷がオビンナ団長、私、シリラックを紹介する。
 まずは住民の側から質問を受けることとなった。武漢でも同じのはず。マオに関する基本的事項の説明を求められ、オビンナ団長が説明した。次に連邦でどのように今回の話を進めていくかの質問があり、私が説明した。これらの詳細はビデオ収録しているので割愛する。
 なかなか正確な情報が得られないことに不安感があり(もっともだと思う)、MATES上に自経団を批判する書き込みもあり、今のところは限定的だが、数は確実に増えているらしい。住民の不安が爆発しないよう、本件は迅速に進めねばならない、と改めて感じる。
 しばし休憩の後、住民側へ質問。まずは私から、住民同士の紛争解決方法について満足しているかどうかについて。次にシリラックから自経団職員、特に幹部職員の対応について不満はないかについて質問した。詳細はビデオ収録分に譲るとして、いずれも概ね良好な印象。
 最後にオビンナ団長から「自経団をひとことで表すと」と質問。「互相幇助」という言葉を口にするものが多かった。こちらも詳細は割愛。
 1時間半ほどでセッションは終了。李勝文と劉俊豪、それに李勝文の妻の朱菊秀が加わって8人で、彼らが行きつけの料理店で慰労会。夕方に屋台で食事をした私たちは飲み物が中心。いま武漢にいるヒカリの縁で周光立たちとの交流が始まったとのこと。酒が強くない私は早々にソフトドリンクに。周光立は専らビールで、短時間ですっかりでき上がっている。アルコール度数で彼の軽く倍は消費している高儷は、まったく酔っ払う風がない。
 23時少し前に宴はお開きに。李勝文が手配してくれた2台の車のうち1台にオビンナ団長以下3名が乗り込み、警務隊の車の先導で周光来宅へ。もう1台は周光立の自宅へ。宿泊先では、起きていた秘書が出迎えてくれた。武漢組は、今宵は現地泊で明朝戻ってくる。

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 武昌のダイチ宅には、その夜10人が集まっていた。アーウィン、マルティネス、ハバシュの連邦3人に孫強、ダイチ、ヒカリ、張子涵。計7人の住民懇談会組に加えて、ジョン、カオル、陳春鈴が加わったミニ・パーティーだ。
 食卓に並んだケータリングの料理と飲み物。6人掛けの食卓に連邦の3人と孫強、ダイチ、ヒカリが座り、他の4人は応接に座ってパーティーが始まった。黄酒で乾杯の後、ハバシュ、運転しなければならない孫強と酒が強くないヒカリは早々にソフトドリンクに。
 少しずつ場がほぐれ、思い思いに立ち上がってそこここに会話の輪ができる。アーウィンは孫強から、漢陽の状況をさらにこと細かく聞いている。マルティネスはジョン、カオルとアニメの古典作品についての談義。宇宙と河川の違いはあれ「船を操る」という共通点があってか、ハバシュと張子涵が意気投合して楽しげに話している。陳春鈴は、上海にいる調査団の他のメンバーについて、ダイチとヒカリにあれやこれやと質問している。
 さらにパーティーが進み、メンバーはいつの間にか二つに分かれていた。
 ひとつはアーウィンを孫強、ダイチ、ヒカリ、カオルが囲んだグループ。連邦職員時代の活躍や、上海から武漢に辿り着くまでのことなど、ヒカリの話題が中心になった。
 カオルはときどき孫強やダイチから同意を求められると「はい」を返事するくらいで、ほとんど無口だった。アーウィンの隣に並び、カオルからはちょうど正面の位置にいるヒカリの顔を、できるだけ覚られないように、それとはなしに伺うような視線で見ていた。
 マルティネスとハバシュを残りのメンバーが囲んだ、もうひとつのグループでは、陳春鈴の「西洋人騒ぎ」が話題になっていた。
[このベルンハルト・ツィンマーマン様という、ドイツ系の由緒正しい西洋人がいるというのに、陳春鈴、そんなことで大騒ぎしてたのか?]と、わざと本名を名乗るジョン・スミス。
[だって…ジョンは昔からいるんだもん]
[こいつはほとんど武漢から出たことがないから。上海じゃヨーロッパ系の人間もいくらでもいるけど、こいつの周囲で漢族以外と言えば、ニッポン人がヒカリをいれて3人、ベトナム人がグエン副書記、インド人がヴァルマ局長、そしてジョンくらいだからな]と張子涵。
[それで、3人みんな、やはり西洋人なんですかぁ?]と陳春鈴。
【西洋人をヨーロッパ系の民族、と定義すると】とパレスチナ人のハバシュ。
【私はアジア人ということになります。先祖の出身は西アジアなので。もっともかなりヨーロッパに近いですけれど】。
[じゃあ、ハバシュさんは西洋人じゃないんだ]
【正真正銘の西洋人というと、アーウィン部長になるかな】とウルグアイ人のマルティネス。
【生粋のアングロ・サクソン系のカナダ人だから。僕もラテン系の西洋人ということになるけれど、メスティーソの血がかなり入っているから、生粋とはいえないね】
 22時少し前、アーウィンが謝意と決意を述べ、宴は終わりとなった。ハバシュは、今宵は張子涵宅に宿泊。二人とジョンを孫強が車で送っていく。カオルと陳春鈴は徒歩で自宅へ帰る。アーウィンとマルティネスはダイチ宅に宿泊。ダイチの部屋をアーウィンが使い、マルティネスは空き部屋に。ヒカリは自室、ダイチは応接のソファで一夜を明かす。

(つづく)


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