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生き残されし彼女たちの顛末 第3部 第51章 VR聴聞会

 24日木曜日の上海は、未明からの篠突く雨が昼前まで続いた。昼過ぎには雨は弱まったが風が強くなり、ちょっとした嵐の様相を呈するとともに、気温が急激に低下した。
 昨日より一枚多く着込んだ6人が、前日と同じ時間に埠頭に集まった。傘を差していても、風に吹かれた雨粒が服の端にひんやりと滲んだ。アルトに乗り込み、昨日と同じルートを辿り、15時頃に高儷のオフィスに入った。聴聞会は16時(UTC8時)からの予定。コーヒーを一杯飲み一息つくと、15時半にオフィスを出て、VRミーティングルームへ向かう。
「緊張してる?」とヒカリがダイチに聞く。
「してないと言えば、嘘になる」
[おれも柄にもなく緊張してきた]と周光立。
[むつかしいところはアーウィン部長にお任せでいいんでしょうけれど、緊張するな、というのが無理よね、やはり]と高儷。
[とにかく、午前中にまとめたプレスリリースが、そのまま明日公表できるようになることを祈るばかりだ]と周光立。
 そうこうするうちにVRミーティングルームに到着。昨日と同じく、ドアのところに双子の一人が警備につく。途中で何度か交替するらしい。
 15時50分頃、ヒカリがパネルを操作すると、月のミーティングルームの立体VR画像が浮かび上がる。楕円形のテーブルの奥側の端のところに座っているのが、連邦統治委員会のラムズィ委員長。向かって右横に副委員長を兼ねるヨシノ人事担当委員。他の12人の委員がさらに左右に6人ずつ座り、テーブルの3分の2くらいのところまでを占めている。
 各委員のうしろには、担当する各局の局長が陪席している。ファン・レイン総務局長、オビンナ科学技術局長、ハーン情報通信局長、アルプテキン法務局長の顔も見える。
 そして左側に5人並んだ委員の横、一番手前に古風なアンドロイドのようなキャラクターが投影された。
「あれがたぶんマザーAIのインターフェースね」とヒカリが小声で言う。
「人間と一目で区別できるように、わざとロボット風のキャラクターにしている」
 マザーAIインターフェースの陪席者の位置には、情報通信局のエンジニアが待機。
 入口近くに用意した椅子に4人が着席すると、調査団関係者が入場してきた。アーウィン、ミシェル・イー、マルティネス、シリラック、そして科学技術局観測予報部長のゼレンスカヤ。4人の右側にあたるスペースに並べられた椅子に、連邦の5人も着席。
 アーウィンが視線を送ってくる。4人が軽く会釈。
議長たるラムズィ委員長が口を開く。
【定例メンバー以外の参加者の確認をします。名前を呼ばれた方は立ち上がって下さい】
 まず、周光立はじめ4人の名前が呼ばれ、それぞれに立ち上がり一礼して着座する。
【以上がAOR代表者側のメンバーですね。後ろに立っておられる女性は?】
【警務隊員、連邦でいう警察官です。わたしたちの警護のためにいるのです】とヒカリ。
【わかりました。陪席を認めます】
 続いて、アーウィンをはじめ5人の名前が呼ばれ、それぞれに立ち上がっては着座する。
【以上が調査団関係者のメンバーですね】
【緊急動議、よろしいでしょうか】と総務担当のティマコワ委員。
【どうぞ】
【ただいま皆様のPITに書面を送りました。AORの代表者、周光立とミヤマ・ダイチ名で、アルバート・アーネスト・アーウィンに宛てた交渉委任状です】
 委員長と12人の委員たちがPITに見入る。
【本書面をもって。アーウィンが交渉代理人となることについて、承認をお願いします】
 一呼吸おいて委員長。
【本件、異議のある方は】
【異議なし】【異議なし】…
【本件、異議なく承認されたものと認めます。以後、アルバート・アーネスト・アーウィンはAOR代表者の代理人として、本会議に参加するものとします。では、聴聞を始めます】
ラムズィ委員長は宣すると、引き続き自ら、連邦出身でレフュージの幹部職員だったヒカリと高儷に、自経団についての印象を尋ねた。
 それに対しヒカリが、地域によってばらつきはあるものの、総じて自治組織として健全に機能しているとの印象を持っている、と答え、さらに高儷が、申入書に記載した事項に言及しつつ、意思決定に民意が反映される制度が用意され、実際に機能していることを述べた。
 続いて各委員から周光立とダイチに対して、提出された申入書に記載された事項についての質問がなされた。ほとんどは書かれている内容に対する確認だったが、総務担当のティマコワ委員から周光立に、協定締結後の手続きについて質問がされ、助理会(区長助理総会)の開催を予定していると答えた。科学技術担当のキャシー・リウ委員からはダイチに対して、内陸の地域からの人の移動手段について質問がされ、長江の水運を主体とするが、水運による移動が困難な地域、困難な者について、連邦の支援を仰ぎたい旨、答えた。
 その後、調査団の報告書に関する質問に移り、AOR側の交渉代理人となったアーウィンは立場上回答を控え、団長を務めたオビンナと団長補佐だったミシェル・イーが応対した。
 1時間ほどが過ぎ、委員からの質問は、ほぼ一段落した。委員長が議場を見渡し言う。
【それでは、マザーAIへの諮問に移ろうと思いますが、よろしいですか】
 委員全員がうなずく。
【では監察ユニット、発言を】
【諮問内容は、上海等4地域のAORからの申入書に基づき、協定を締結することの是非について、ということでよろしいか】
 ヒカリは、ネオ・トウキョウでの最後の日に、自分のオフィスでボイス・インターフェースのアカネをOFFにしたときのことを思い出した。切り替わったのはデフォルト設定の中性的で平板な声。まさにその声で監察ユニットが話している。
【連邦A級規則228207001、通称「火星移住およびターミナル・ケア連邦A級規則」によれば、地球上のレフュージに居住する連邦市民は、カテゴリCとして火星移住者に選抜された者以外、すべてカテゴリBまたはカテゴリAとしてターミナル・ケアの対象となる】
 デフォルト設定のボイスインターフェースの平板な声で話される、連邦A級規則の解説に、かつてケア対象だったヒカリと高儷の、背筋に寒気が走った。
【連邦A級規則228207001は、現時点でも効力を有する。従って、協定によってAORがシャンハイ・レフュージ所属の連邦市民の地位を得ると同時に、彼らはターミナル・ケアの対象となる、ということで相違ないですね】
 場がシーンとなる。
【委員長、発言許可を求めます】
 静まった場に響いたのは、マキネン委員の後ろに陪席するアルプテキン法務局長の声。
【アルプテキン法務局長の発言を認めます】と委員長。
 アルプテキンが立ち上がって発言する。
【緊急動議を要請します。連邦A級規則228207001の効力を、本年10月末をもって失わせる旨の連邦C級規則の制定を求めるものです】

 2日前、22日のUTC13時のこと。
 ファン・レインはアーウィンとミシェル・イーを伴って、法務局長のオフィスに入った。
【お忙しいところ、お時間いただき感謝します】とファン・レイン。
【手短に願いたい】とアルプテキン。
【では、単刀直入に言います。明後日のAORの聴聞とマザーAIへの諮問の際、協定締結の方向に向かうよう、ご協力を願いたい】
【私に何を協力しろというのだ】
【我々がしようとしていることを、妨げないでいただきたいのです】
【46万のAORに安全な避難場所を提供することが、連邦が掲げる人道の理念に叶うものと考えます】とアーウィン。
【私は、私の信じるところに従って行動する】とアルプテキン。
【人口40万の上海には…】とミシェル・イー。
【久し振りだな、ミシェル・イー】
【お久し振りです。上海のコミュニティーには、少なくとも300人のウイグル人が居住しているとのことです】
【それがどうしたというのだ】
【彼らは住民として公平に扱われ、優秀な者は自治組織の上級幹部にも登用されていると聞きました】
【言わんとしていることはわかった。だが…私は、私の信念に従って行動する。それだけだ】

【法務局長の発言内容の通り、緊急動議を行います】とマキネン法務担当委員。
【反対動議はありませんか】と委員長。発言のないのを確認し、さらに続ける。
【それでは、先ほどのマキネン委員の緊急動議について決を採ります。賛成の方】
 議長たる委員長を除く、委員全員が挙手する。
【全員賛成と認めます。可決された連邦C級規則によって、連邦A級規則228207001は本年10月末をもって失効することが決定しました】
 アルプテキンが、総務局長のファン・レインをチラッと見てから、アーウィンに視線を投げ、ミシェル・イーに向かって一瞬、握った右手の親指を立てて見せるような仕草をした。

(つづく)


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