見出し画像

聖書タイム2021年6月:「神の家族は『十字架形フェローシップ』」

by 山形優子フットマン

いのちのことば社」翻訳本:
マイケル・チャン勝利の秘訣」マイク・ヨーキー著
コロナウィルス禍の世界で、神はどこにいるのか」ジョン・C・レノックス著

コロナ禍の中、英国政府のガイドラインに従って私たち「ウィンブルドン賛美の群れ」は先月、ようやくエマニュエル教会で集まることができました。久しぶりに仲間たちの元気な姿に出会えた喜びは一入でしたが、シニア組、あるいは体をいたわらなくてはいけないメンバーたちの姿がなかったのは寂しい限り。思わず集まることの尊さを考えさせられました。

集会の大切さとは何でしょう?真面目なクリスチャンは「神を皆で礼拝すること」と即答するでしょう。ちょっと不真面目組は「ウィンブルドン賛美の群れのアフタヌーン・ティーがお目当」と片目をつぶるかも。教会での交わりをフェローシップと言いますが、フェローシップの意味は、何か大切なことで結ばれる仲間同士の絆を指します。

画像1

私にとって、このフェローシップは肉眼では見えない十字架の形をした「十字架形フェローシップ」で縦軸と横軸の交わりです。まずは十字架の縦軸を見ましょう。縦軸というと天上の神を集団で拝する宗教的なイメージですが、十字架の縦軸はもっと素敵。キリストは私たちを十把一絡げの集団とは見なしません。聖書全般にあるように、キリストは彼が出会った一人一人に焦点を合わせ対話しました。そうです、この神は「あなたと対話」する神です。どんな時もどんな事があっても、どんな状態にあっても、あなたと対話する神は、あなたを見捨てない、あなたの味方。対話とは相手に癒着することなく、尊重しつつ話しをよく聞き誠実に応える姿勢です。

旧約聖書の申命記には次のようにあります。

「主ご自身があなたに先立って行き、主ご自身があなたと共におられる。主はあなたを見放すことも、見捨てられることもない。恐れてはならない。おののいてはならない」ーー 申命記7章8節

また、キリストは私たちと同じ目線で対話し、私たちを兄弟姉妹と呼んでくださいます。彼は語ります。

「だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である」ーー マタイによる福音書12章50節

十字架の縦軸は神の子が地上に降り、十字架の血潮で私たちを贖い、私たちを文字通り「血を分けた兄弟姉妹」にしてくださったことを示します。

画像2

さて、もう1本の横軸とは?「キリストを信じる」、「まだ信じていないけれど、側にいたい」、「キリストと出会いたい」と、思い思いに集まる人々による横つながりフェローシップのこと。端的に言えば、人同士の付き合いですが、大切なのは人と人との間に「キリストの霊なる存在=聖霊」がこもる点です。言い方を変えれば「自分VS相手」という様に人と人とが直に向き合うのではなく、「自分ー聖霊ー相手」と、各人がキリストの霊と手をつなぎつつ互いをエンジョイしあう姿です。人が聖霊と手をつなぐと、そこには他の人と、ある程度の距離ができ、愛と赦しと自由が交錯する「恵みスペース広場」がうまれます。このスペース広場は聖霊様が管理する空間。教会であろうとなかろうと人が集まる所には残念ながら不協和音はつきもの。わたしたちは皆「付き合い下手」ですから、横軸フェローシップには練習が必要です。 

画像4

さて聖霊とは?キリストの昇天後に、バトンタッチで天から降りてきた聖なる霊のことです。キリストは十字架にかかる前に弟子たちに、こう言いました。

「わたしが去っていくのは、あなたがたのためになる。わたしが去っていかなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。わたしが行けば弁護者をあなたがたのところに送る」ーー ヨハネによる福音書16章7~8節

この弁護者は人に内在し、あなたに小声で話しかけ、あなたを優しく導き、キリストとの「対話=祈り」を促す方、あなたを悪い者から守る方です。その方は、あなたの心の中にある「神の国」の弁護者で、あなたを満たし、癒してくださる、あなたの味方。

父なる神、子なる神であるキリストと、弁護者である聖霊なる神は「神の家族」という完璧なフェローシップ環境を構成しています。そして、人もその家族の和に招待されています。その際、「神の家族」から「愛の用水路(チャンネル)」を各人が引水する必要があります。その水は愛そのものです。

画像4

神の家族から引水した愛が、人の中に取り込まれ、溢れ出るようになれば、その人は、もう自分自身を無理に作ろうとしなくても、自然に本来の素敵な自分に出会え、自由になります。今まで知らなかった自分に与えられていたギフトを知り、この地上を神の水(愛=神の言葉)で潤わす大切な存在となります。あなたも神の家族の一員になりませんか?