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聖書タイム2021年9月:屋根の上からの信仰告白

by 山形優子フットマン

山形優子フットマン「いのちのことば社」翻訳本:
マイケル・チャン勝利の秘訣」マイク・ヨーキー著
コロナウィルス禍の世界で、神はどこにいるのか」ジョン・C・レノックス著
「とっても うれしいイースター」T・ソーンボロー原作
「おこりんぼうのヨナ」T・ソーンボロー原作

「四人の男が中風の人を運んで来た。しかし群衆に阻まれて、イエスのもとに連れていくことができなかったので、イエスがおられる辺りの屋根を剥がして穴をあけ、病人の寝ている床をつり降ろした。イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、『子よ、あなたの罪は赦される』と言われた。」
ーー マルコによる福音書2章2ー5節

冒頭聖句は、子供の頃学校の礼拝時に何度も聞いたことのある箇所で、その都度、病人の床が、するすると天井からイエス様の目の前に釣り降ろされていった光景を想像するのが面白く、印象深かったものです。けれども、このエピソードは常識破りも良いところです。まず、他人の家の屋根を壊すなんて、ちょっとひどい話ではありませんか?

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場所は、ガリラヤ地方の伝道拠点だった湖畔カファルナウム。キリストの弟子ペテロの姑の家だったとも言われます。簡素な平家、傾斜の無い屋根が一般的で、当時は、よほどの金持ちでない限り二階建て住居はありませんでした。ペテロの家族は一家をあげてキリストの語る福音に耳を傾け、家を開放していましたから、家には近所の人たち、見知らぬ人たち、律法学者たちなども押しかけ、ぎゅうぎゅう詰め。家の周りは人垣ができ、開け放たれていた入り口は人々の体で塞がれ、病人を運び入れる難しさは容易に想像できます。それでも、ペテロをはじめ、姑達も、屋根がバリバリと剥がされたには驚き、たまったものではないと思ったはずです。

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イエス様も驚かれたことでしょう。急に頭上から埃、屋根がむしられ、あっという間に空が見えるほどの大穴があき、病人がつり下ろされ、ふと上を見れば4人の男達の大真面目な面々が、じっとのぞいているという具合? 呆れて笑ってしまったかもしれません。

一見、非常識な屋根破り4人男は、友人を癒したい一心で、ゴリ押し手段に出たのです。4人は一致団結し「とにかくイエス様のところへ連れて行って癒していただこう」と固く思いを重ね実行したのです。イエス様は「屋根を壊すな!」とは言いませんでした。むしろ冒頭聖句の通り「イエスはその人たちの信仰を見て」と、その非常識な行動の中に男たちの一途な信仰を見抜かれました。

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ここに終始、無言であり続けたもう一人の男がいます。それは中風の男。自分の足では歩けず、寝たまま運ばれたまま、自ら「癒してください」と声を発することもなかったのです。ここを読むとイザヤ書53章7節を思い出します。「苦役を課せられて、かがみ込み彼は口を開かなかった。屠り場に引かれる小羊のように、毛を切る者の前に物を言わない羊のように彼は口を開かなかった。

さて、この第5の男の姿を見て、あなたは誰を想像しますか? 病にかかった友人を思う方、年老いた両親を思いやる方、もちろん人それぞれでしょう。しかしこの時、キリストは私たちの身代わりとして罪を背負われる、ご自身の十字架上の姿を、無言の中風の男に重ねていらしたのではないでしょうか。キリストは「子よ、あなたの罪は赦される」と言い、中風の男を癒しました。この言葉は、この男だけではなく全人類に向かって呼びかけられたように私には思えるのです。

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「彼が担ったのはわたしたちの病 彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに
わたしたちは思っていた 神の手にかかり、打たれたから彼は苦しんでいるのだ、と。彼が刺し貫かれたのは わたしたちの背(そむき)のためであり 彼が打ち砕かれたのは 私たちの咎(とが)のためであった。彼の受けた懲らしめによって 私達に平和が与えられ 彼の受けた傷によって、私達は癒された。」
ーー イザヤ書53章4ー5節

キリストこそ無言で、私たちの罪と病を代わりに担ってくださった方。その方のおかげで私たちは癒され解放されるのです。壊された屋根がその後、誰によって修復されたかは聖書のどこにも書いてありません。けれども、神様を賛美しながら屋根葺きに精を出す5人の男の姿が目に見えるよう。カファルナウムの家の屋根からは、めくるめくガリラヤ湖の輝きが見えたはずです。

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