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「書籍マウント」というフレーズに「マウンティングハラスメント」を感じた件について

最近、Twitterを漁っていたらこんな記事を見つけた。

冒頭にはこう書いてある。

コロナ禍で不要不急の外出がしづらくなり、アウトドアにおけるマウンティングチャンスが大幅に減りつつある中、インドアでも可能なマウンティング手段の一つとして、書籍を使って自身の知性をチラ見せする「書籍マウント」が一部のトップエリートの間で流行の兆しを見せています。

なるほどと思うと同時に、背中にツーっと冷や汗が流れた。

なぜなら僕の自室の壁の一面であり、ZOOMの背景となっているのがまさにこれだからである。

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※どこからどう見ても本しかない

冊数でいうと2000冊以上ある。漫画も一部あるが、ほとんどはビジネス書と文学書だ。これでも最近3000冊ぐらい処分して、事務所1000冊ぐらい持っていったので、だいぶ減ったほうだが、それでもかなりの冊数があり、毎日「地震がきたら自分の死因は圧死だろうな」というリスクに怯えながら暮らしている。でも、それも本望だと思う。小さい頃図書館で暮らすことが夢だった自分としては、壁一面ぐらい本棚で埋まっていることで、少なからず幼い頃からの漠然とした願望を満たしているのだから。

・・・という↑のような話はすべて、「本好き」の戯言ではなく、すべてマウンティングとして捉えられてしまうのだ。

こんなことはほんの数年前までなかったように思う。

壁一面どころか部屋一面本棚に囲まれた部屋を見せても、ほとんどの場合は「変わってるね」で済まされたし、毎晩外食するぐらいなら本を買うお金にあてていた学生時代は「人間よりも本に興味がある変態」と後ろ指をさされるぐらいで、よもや「本好き」をもってして「マウンティング」と評価を受けたことは一度もなかった。

では、なぜ今こんな状態になっているのか?

壁一面の本棚を見つめ、少し途方にくれながらも考察してみた。

3段階ある!?「書籍マウント」の実態


記事のタイトルと冒頭だけで、だいぶショックをうけてブラウザバックしたい欲求にかられたが、なんと書かれているか確かめなければ対策も練れない。そこで、記事を頭から読んでみると「書籍マウント」には3つの段階があるらしい。

読書家マウント(難易度1)
これは文字通り、読書家である自分を周囲に対して見せつけることによってマウントを取っていく方法です。マウンティング初心者でも比較的取り組みやすいオーソドックスな手法といえます。
引用:「マウンティングの新トレンド「書籍マウント」の正体…有名女優も実は愛用」

なるほど・・・これは確かにあるかも。記事にもあったけど、サピエンス全史が流行ってる頃に「人間は唯一、虚構を共有できる生き物なんだよ」と訳知り顔で言われると、この人まとめブログで読んだだけでしょとか思ったしなぁ。

あと、学術的な内容を個人の経験値で希釈した150ページぐらいのビジネス本読んで、部下に「読書が足りない」とか言ったりする人見るとモヤモヤした気になるのは、この「読書家マウント」を感じるからかも。このマウンティングはたしかにあるかもしれない。

本棚マウント(難易度3)
これは読書家である事実を周囲にアピールしてマウントを取るのではなく、部屋の本棚を意識的に見せつけることによって、マウントに見えないようにマウントを取っていこうとする野心的な試みです。
引用:「マウンティングの新トレンド「書籍マウント」の正体…有名女優も実は愛用」

>部屋の本棚を意識的に見せつけることによって、マウントに見えないようにマウントを取っていこうとする野心的な試みです。

なるほど・・・? 

とりあえず主観的な意見を挟まずに、客観的にまとめると、「ZOOMの背景は自分で好きに選べるのに、あえて本棚を背景にするようなやつは、「自分は読書家ですよ〜」ということを言外に伝えることが目的に違いない」ということか。

あまりにも自信満々で、「本当にそうなのかな?」と思わされる勢いがあるなぁ。

原稿執筆マウント(難易度5)
これは本を「読む立場」ではなく、「書く立場」にならないと不可能なマウントであり、一部の特権的なエリートにのみ許されたマウンティングであるという点で、非常に高度であるといえます。 以下に原稿執筆マウントの具体例を示します。 

「ふう、3連休で原稿を進めないと……編集者さんに怒られちゃうよ……」
「原稿を書くためにホテルにこもったのに、ホテルがおしゃれすぎて執筆に集中できない……どうしよう……」
「週末で集中的に原稿を書き上げないといけないのに、子供に邪魔されてなかなか筆が進まない。参ったな……」


 その他、謝辞で自分を支えてくれた人々に対してやたらと感謝を述べる著者がいますが、あの箇所に若干のマウント感を感じるのは私だけでしょうか。
引用:「マウンティングの新トレンド「書籍マウント」の正体…有名女優も実は愛用」

本棚マウントに比べたら、確かに言いたいことがわからないでもない。

でもなんだろう・・・筆者はこの記事を書く前によっぽど嫌なことがあったんだろうなぁ。。。

ということで、3段階の「書籍マウント」があるというのが、この記事の主な主張だ。

最初、タイトルと序文を見たときには「なんじゃそりゃ!」と度肝を抜かれたが、ちゃんと読むとわからないでもない部分も多々ある。

それを踏まえて、ここから僕がこの「書籍マウント」という言葉をみて、また記事を読んで受けたハラスメント的感覚について書いていきたいと思う。

そもそもマウンティングとはなんなんのか?


いつの頃からかなんとなく使うようになった「マウンティング」という言葉だが、そもそもどんな意味を持つ言葉なのか?

改めてWeblioで一般的な意味を調べてみた。

マウンティングとは、自分の方が相手よりも立場が上であること、また優位であることを示そうとする、行為や振る舞いのこと。特に、対人関係において、自分の優位性を示そうと自慢したり、相手を貶したりすることを指す。
(新語時事用語辞典より)

おおよそ、感覚的に使って意味と相違ない。本質には「敬意を持たない相手に対して高慢、あるいは威圧的に振る舞うこと」なんだけれど、それをある程度文化的なオブラートに包むことによって、いわゆるマウンティングになるのかもしれない。

つまり、マウンティングというのは必ず相対関係が生じる行為であり、簡単に示すとこういうことになる。

マウティングした人

😁「すごいだろ?」↓    ↑「ムカつく💢」😡

マウティングされた人

そして相対関係ということは、この「俺、すごいだろ?」か「ムカつく💢」のどちらかが起点になっている。

辞書的な意味では無論、「俺、すごいだろ?」の方が起点だ。

もしかしたら、今回話題になっている「書籍マウント」も、その半分くらいは同様に「俺すごいだろ? お前とは違うぜ?」が先に来ているのかもしれない(実際、「読書家マウント」については、前述の通り僕自身同じように感じたことが何度かある)。

しかし、一方で全然「俺すごいだろ?」のつもりでやっていない人も多数存在するのではないか?というのが、僕の本記事における最も大切な主張だ。(実際、僕はこの記事を読んで「そう感じる人もいるのか!」と衝撃をうけた)

では、なぜ行為者がいないのに、マウンティングが存在してしまうのか?

その理由こそが、僕が本件において「マウンティングハラスメント」を覚えたポイントなのである。

僕が「マウンティングハラスメント」を感じた理由


答えはもう先ほどの相関関係の中で出ているのだけれど、「本棚マウント」と「原稿執筆マウント」の半分ぐらいは「俺、すごいだろ?」ではなく「ムカつく💢」という感情が先に生まれているのではないかと考察する。(むかつくまでは行かないけど、イラっ…!とか、すかしよって…!ぐらいの感情が生まれているのではないだろうか?)

その結果、マウンティングする人がいないのに、マウンティングされた人が先に発生し、その人がナチュラルボーン「マウンティングされた人」が、相手のことを「マウンティングした人」に認定しているのではないかと思うのだ。

この現象は、「書籍マウント」以外にもあらゆる場面で存在しているような気がする。

・学歴マウント
・職業マウント
・子持ちマウント
・京都マウント(・・・!?)

などなど。もちろん、本来の意味でのマウンティングが起こっているケースも少なくないだろう。

しかし、あまりにもマウンティングという“ミーム”が爆発的に広がりすぎた結果、被行為者が生み出す「マウンティング」が昨今、過剰に生まれすぎていると思うのだ。(そして、その多くは今回のメディアが恣意的に生み出していると感じるので、そういう情報発信はとても良くないと感じる)

これまでも薄々感じていたけれど、実際自分に直接関連することでこういった記事になっているのを見て、僕は自分の心が侵されているのを感じた。

こちらはまったく意図していないのに、勝手にマウンティング性を押し付けられる感覚・・・「マウンティングハラスメント」を確かに感じたのだ。

人からさほど恨まやしがられるような日々を送っていない僕ですら、あらぬところで「マウンティングハラスメント」を感ずるぐらいだ。

嫉妬されやすいアイコンを持っている人は、きっと大変なんだろうなとWEB時代の生きづらさに対する憂いを持たなくもない。

それは、マウンティングを押し付けることでしか、自分の中の嫉妬の感情を発散することができない、被マウンティングパーソンに対しても同様に、である。

まとめ:「これだけで十分なのに」をみんなで聴こう


今回記事を書きながら思ったのは、「みんなちょっと、マウンティングに過剰になりすぎなんじゃない?」ということだ。

たしかに、マウンティングされたらうっとうしいなって思うし、自分にないものを持っている人をみると見えない嫉妬が渦を巻いて、「仕事でうまくいっているなら、せめて家族関係は不仲であってくれないかな」と反射的に呪いの感情を持ってしまうのもわかる。

でも、結局「マウンティングされた」って思えば思うほど、無意識的に自分の不足感を感じざるを得ないから、最終的に損をするのはいちいちムカついてしまう自分なんじゃないか?と思ってしまうんですよ。

本当の意味でのマウンティングをする人も、結構そういう「踏んだら沈み込みそうな人」を狙ってやってたりするので、あらゆる意味で損だと思う。

なので、TOCCHIさん『これだけで十分なのに』マインドを持つことが個人的にはおすすめだ。

そして、このSPAの記事を書いた人にはわかって欲しいのだけれど、本当に本が好きでかつ、整理整頓が苦手で本棚がある画面ぐらいしかまともに背景として機能しない人間もいる

それを「マウントに見えないようにマウントを取っていこうとする野心的な試みです。」と断言されてしまうと背筋がゾッとしなくもないので、せめて「マウントに見えないようにマウントを取っていこうとする野心的な試みをする人もいるかもしれません」ぐらいに留めてもらえるとありがたい(この思いよ届け)。

ということで、「書籍マウント」という言葉に当事者意識を持ちながら、日毎から思っていた「マウンティングハラスメント」に対する思いを書いてみた。

結構な文量になったと思いますが、読んでいただいた方ありがとうございます🙇‍♂️

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