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【小説】冬の魔術師と草原竜の秘宝 ⑦

第7話 ドラゴニカ・エクスプレス本社

 窓の外にそれが見えてきた時、カナリアは身を乗り出して目を輝かせた。
 それが何なのかを理解すると個室の中に体を戻し、ウィルを揺り起こした。

「おい! ウィル! 寝てる場合じゃないぞ! 起きろ!」
「……」
 当のウィルはといえば、うっとおしそうに眉間に皺を寄せた。うるさかった。
「なんか見えてきたぞ! あれがたぶん終着駅だ、ほら起きろって!」
 それでもウィルは起きなかった。カナリアはしばらく考えてから、おもむろに手をあげた。指先が、百人が見れば百人とも美男子だと判断する顔に向けられる。
「起きろ」
「ふがっ!?」
 鼻をつままれて塞がれていた。
 妙な声をあげたウィルに爆笑するカナリア。その手を払いのけて、ウィルは起き上がった。鼻を手でおさえながら尋ねる。
「なにが、なんだって?」
「ほら見ろ、あれ。すごいぞ。木の陰からちょっとずつ出てきてたんだ」

 カナリアは窓の外を示した。
 指の先には、巨大な時計塔が見えた。
 この列車を日常的に利用する者にとって、列車の進む先に巨大な時計塔が見えてくると、終着駅に近づいた合図だった。時計の針は地を這うトカゲのデザインになっていて、ちろりと伸びた舌が時を示している。時計塔はレンガ造りの茶色い建物に繋がっていて、まるごと巨大な駅舎の目印になっていた。レールは建物の横に空いたドーム型の入り口に吸い込まれていて、やがてその上を走る列車も飲み込まれた。列車の動きが緩慢になり、ホームに横付けする形で止まった。
 シュウウと煙を吐き出す列車に、ぞろぞろとホームにいた人々が集まってくる。
 終着駅とはいっても、列車はその鼓動を止めることは無かった。
 何しろレールはまだ続いていて、反対側の入り口へから再び外へと続いていたのだ。草原を囲むように、円形に世界を走る列車。それがこのドラゴニカ・エクスプレスの草原周遊列車だった。すぐに新たな車掌と乗客を出迎えるための準備が進められていた。

「……着いたな」
「すっげー。ほんとに駅があったんだな」

 ウィルはばさりとマントを払って整える。そうしてドアから出ようとして、はたと気がついた。

「ところで、あの女はどうした」
「あの女って?」
「記者の女だよ」
「なーんかドアの前から気配がするな」
「……そうか。じゃあ窓から出るか……」
 即座に方向転換するウィル。
「ウィルもそういうとこ思い切りがいいよなぁ」
 そういうカナリアも、それに続いた。

 のそのそと窓を開け放つ。足を窓枠に乗せると、窓を支えにしながら勢いよく足先から飛び出た。ぐっとコンクリートの地面に降り立つ。周囲にいた人々は一瞬何事かと視線を向けた。ウィルは気にせずに埃を払い、続いてカナリアがすらっと足先から飛び降り、同様に着地した。
 こうしてドアの前では、新聞記者ヘイウッド・ペグが虚しく二人が出てくるのを待ち構えるはめになった。

 窓から降りた二人は、トカゲの車掌を探して本来の降り口まで歩いた。トカゲの車掌は二人を見つけると、既に外にいることに驚いたように声をかける。

「お二人とも。いったい、どこから?」

 早足で駆け寄ってくる。

「悪いな。記者がいたせいで、窓を使った」
「ああ……。それはすみませんでしたな」
「お前が謝ることじゃないさ」

 ウィルは首を振った。トカゲの車掌は少しだけ頭を下げた。

「では、改めまして」
 トカゲの車掌は気を取り直すように、ネクタイを締め直した。
「わたくしはこのドラゴニカ・エクスプレス車掌の一人で、ボオルマン・ザザと申します。以後、お見知りおきを」
「……ウィルだ」
「オレはカナリア!」
「どうぞ、まずは我が社のオフィスにご案内致します。ウィル様、カナリア様」

 二人はボオルマンに案内され、次の出発準備を進める列車から離れた。
 外から見る列車は黒塗りで、常に動いている割には綺麗に清掃の手が行き届いていた。見た目は蒸気機関車に似ていたが、煙は白く煤はついていない。前方のボイラー室らしきところには外にまでいくつも管が通っていて、いくつかシリンダーのようなものも取り付けられている。中には緑色の液体が入っていて、ごぼごぼと空気が上がっていた。結局、何の動力なのかは見た目ではわからなかった。
 駅の天井は巨大なドーム状になっていて、列車のある部分だけガラス張りになっている。入ってきた日差しが、黒塗りの列車をよりいっそう輝かせて見せた。ホームは広く、多くの人々が行き交い、そして働いている。アーチ状になった柱の間で新聞を読むスーツ姿のトカゲは、乗車待ちなのか時々時計を見上げていた。作業着姿の男に、気をつけて行ってきてと一生懸命に祈っている女もいた。その横を、制服を着たすらりとした二足歩行のトカゲが、荷物を積んだキャリーカートを運んでいた。人間もトカゲも混在しているらしい。
 ボオルマンが駅舎の端にある鉄格子の部屋の前で立ち止まった。「関係者以外使用禁止」の看板が提げられている。右側のボタンを押すと、ゴウンゴウンと音がして、内側の空間にこれまた鉄格子状のエレベーターがとまった。扉が開き、どうぞと中へ促される。
 中は巨体のボオルマンと一緒に乗っても、じゅうぶんに余裕があるくらいだった。
 それを考えると、ウィルの乗っていたあのコンパートメントはやはり下等車両だったのだと思い当たった。
 ボオルマンがパネルを操作し、エレベーターは上にあがっていく。しばらく上昇を続けると、扉の反対側が突然明るくなった。外が見えたのだ。

「うおっ! ウィル、見ろよ!」

 外を指さす。

「これは……」
「おや、オースグリフへ来るのははじめてでしたかな?」

 大きな街が半円状に広がっていた。駅の前には巨大な広場があり、放射状に道が繋がっていた。レンガ造りの町並みが広がり、建物には蔦が這い、緑に溢れている。その向こうにはどこまでも草原が広がっていた。

「では、ようこそ駅の街オースグリフへ。そして……」

 ちん、と小さな音がして、がらがらと扉が開いた。

「ようこそ、お二方。ドラゴニカ・エクスプレス本社へ」

 その向こうにはまっすぐに続く廊下があった。
 ボオルマンが先に降りて、二人はそれに続いた。廊下の一番向こうにはドアがあり、ボオルマンが先導してドアに向かって歩いた。あしもとにはワインレッドの絨毯が敷かれ、ここがただのオフィスではないことは見てとれた。廊下もレンガ造りではなく、壁はクリームで、下半分はトカゲの彫刻の描かれたウッドパネルが貼られている。明らかに雰囲気の違うところだった。
 先のドアには『駅長室』と書かれているものの、この厳重な空気はむしろ社長室といった具合だ。
 ボオルマンがドアをノックすると、すぐに返事が返ってきた。

「どうぞ」
「失礼します、駅長」

 ドアを開け、一礼をする。
 二人はその後ろから入っていった。
 きょろきょろとあたりを見回すカナリアに対して、ウィルはちらりと部屋の中を見るにとどめた。
 中はやはり広い空間で、入ってすぐ左手側にはつやつやの木製テーブルと、アンティーク調のソファが向かい合って置かれていた。ソファは布張りだが金糸で刺繍されていて、優雅さと豪華さを兼ね備えている。天井からは小さいがきらきらとしたシャンデリアがぶら下がり、部屋の中を明るく照らしていた。右手側の奥には執務机があり、これまた趣味のいいアンティーク調の、つやつやとしたダークブラウンの木製テーブルが置かれていた。その奥にある黒い革張りの椅子に座る者へ、ボオルマンが頭を下げる。

「どうした、ボオルマン君」

 きびきびとした声が答えた。
 声を返したのは、ボオルマンと同種族とおぼしき巨体のトカゲだった。しかしその動きはボオルマンよりも素早く、その巨体をものともしなかった。立ち上がると、入ってきたボオルマンへ声をかける。社員の名前と顔をすべて一致させているような、知恵者の目がそこにあった。
 そして、ボオルマンの後ろから入ってきたウィルとカナリアに目を留めた。

「執務中、申し訳ありません。緊急でお伝えしたいことがございまして……」
「なんだ?」
「実は、列車がかの盗賊団に襲撃に遭ったのです」
「なんだって!」

 駅長は声を張り上げた。

「いまの時間帯といえば……」

 ちらりと時計を見上げる。

「そうです。ちょうど護衛が乗っていなかった時間帯です。奴ら、大砲まで持ち出して我らの列車を壊そうとしたのです!」

 駅長が慌てたように立ち上がった。顔は青くなっている。

「そ、それで、どうなったのだ」
「危ないところでした。しかし、そこをこのお二方に救っていただいたのです」
「この方々に?」

 視線が再び二人に向けられる。

「……ウィルだ」
「オレはカナリア!」

 二人は同じテンションでもう一度名乗った。

「ええ! このお二方は、なんとかの魔法使い様なのですよ!」
「オレはちが……もがっ」

 言いかけたカナリアの口をウィルが手で塞いだ。
 正確にはカナリアは魔法使いでも――もちろん魔術師でもないのだが、ウィルは黙っておいた。弟子でもなんでもそう思われた方が話が早い時もあるからだ。

「ほ、本当に魔法使い様なのですか?」
「ああ、そうだ」
「し、しかし、魔法使い様はもはやこの世界に――」

 駅長は言いかけたが、はっと気がついてから頭を下げた。

「失礼しました。私はフリードマン・ドド。この駅の街オースグリフの駅長にして、ドラゴニカ・エクスプレス社社長です」
「社長!」

 カナリアがびっくりしたように声を張り上げる。
 ウィルはついでのようにその口を塞いでおいた。

「どうやらこのたびはお世話になったようで――、しかし、本当に魔法使い様なのですか?」

 ウィルは軽く咳払いをしてから、深刻さを出すようにゆっくりと口を開いた。

「ああ、そうだ。……実は、俺とカナリアはずっと師匠と共に住んでいてな。だが、その師匠は世俗の事に疎いというか、教えてくれなくてな。俺もこの図体になるまでそうなってしまったのだ」
「師匠というのは……魔法の……」

 ウィルは重々しく頷く。

「その師匠が死んだのを機に外へ出て見聞を広めようと思ってな」

 こういう場面では、だいたいこれで切り抜けられると相場が決まっていた。
 実際にフリードマンも納得したらしく、そうでしたか、それはお辛かったでしょう、と重々しく続けた。ボオルマンも深く頷いていた。どうやら信じてくれたらしい。想像上の師匠に感謝しておく。
 カナリアは、いつもの常套手段だなあみたいな顔をしてウィルを見上げていた。

「そこをちょうど列車に乗り込んだんだ。だからこの駅のことも、この国の現状もまだよくわかっていなくてな。そこをちょうど盗賊団に襲われて――」
「なるほど……」

 フリードマンは少し考えてから、真面目な顔でウィルを見つめた。

「魔法使い様。いえ、ウィル様。お師匠を亡くしたばかりでお辛いでしょうが、改めてお願いがあるのです」
「なんだ?」
「どうか、この駅を、この国を救っていただきたい。ひいては――あの、美しきアンシー・ウーフェンの巨樹を救っていただきたいのです!」
「救う……?」

 ウィルは少しだけ眉間に皺を寄せた。

「いいぞ!」

 相変わらず条件反射のように承諾したカナリアの口を塞ぐ。

「おい、俺たちは帰るんだよ館に!」
 こそこそとカナリアの耳に小声で言う。
「えー? でもこの人たち困ってるんだろ?」
「それと俺たちが何の関係があるんだよ!」
 考えなしにもほどがある。それとも重度のお人好しのどちらかだ。
「なんでだよ。列車の時だってやってくれたじゃんかよ」
「あのときは俺達だって危うかっただろ! だが、あんまりこの世界に関わるのも――」

 こそこそと言い合っている二人を見ながら、フリードマンは続けた。
「突然こんな事を言われても、ご迷惑でしたかな」
「あ、ああいや――」

 ウィルは慌てて振り返った。
 いったいどうしたものかと思った。ここで断るのは簡単だ。
 だがそのウィルに先んじて助け船を出したのは、ボオルマンだった。

「駅長」
「なんだね」
「ウィル様もお師匠を亡くしたばかりで、こんな重大なことを言われてもお困りになるでしょう。それに、この国の現状も知らぬご様子。どうでしょう。まずは宿をとってお休みいただき、明日、改めてこの国の現状についてご説明するというのは――」
「ふむ、そうだな」

 それが誰にとっての助け船だったのか。
 絶対に自分ではないな、とウィルは感じた。

「だが、我々には必ずあなたの、魔法使い様のお力が必要なのです。これは、ひいてはこの国のためでもあるのです。どうか、良い返事を期待しています」
「あ、ああ」
「ボオルマン君、お二人をご案内しなさい」
「はっ」

 ボオルマンは返事をすると、ではこちらへ、と二人をドアへ先導した。
 ウィルは一礼してから、ちらりとフリードマンを見てから踵を返した。

「じゃあなー! 駅長ー!」

 反対に元気よく手を振るカナリアに、フリードマンは笑顔で手を振り返した。

 ドアが閉められ、駅長室は静かになった。三人がいなくなってから、フリードマンはゆっくりと窓を見た。窓はすべてブラインドが閉められている。尻尾を揺らし、ゆっくりと近寄る。

「……魔法使い。まさか本当に……生き残っていたのか。これは、これは僥倖だ。彼らがいればきっと……」

 フリードマンは後ろを振り返ると、窓のブラインドを開けた。そこには街とは反対側の景色が見えている。広がる草原のその向こう。専用レールが延びた先に、竜のごとき巨大な樹が見えていた。

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