『中庸』という極端

ネガティブはダメ、ポジティブもダメ、中庸が一番良い?

僕はライフコーチという仕事柄「感情の浮き沈み」について問われることが多く、そんな時は毎回「フラットであれ」と言っています。
感情の問題に関しては大抵これだけで解決するからです。

で、そう言うと必ず言われるのがこれ。

「中庸で居ろってことですよね。分かっていますが、それが出来ないんですよ〜」

……んー。
とりあえずあなたが何も分かっていないことだけは分かりました…。w

ということで『中庸』という言葉がもてはやされて久しいのですが、なんだか誤解されているので切り込みます。


性格を変えたい!

ネガティブな性格をなんとかしたい、という話になったときによく出てくるのがこれです。
「「陰」でもダメだし「陽」でもダメ。中庸であれ」

ネガティブもポジティブも極端でダメだから、両方の中間である「中庸」や「フラット」であることが一番いいのだ。と。

正しい気がしました?

残念ながら大間違いです。

ポジティブはポジティブである意味病気だし、ネガティブはネガティブで正常な進化の在り方です。
別にどっちでもいい。


極を取った時に「あなた」が決まる

一番大事なのは

何かのスタンスを取った瞬間、それはどこかの極(きょく)を取ったということである。
ということ。
(極=極端という認識でも大丈夫です。)

ネガティブという極を取ったらそれはネガティブという極。
これは分かりやすい。
同様に中庸であるというスタンスを取ったらそれは中庸という極だし、
フラットというスタンスを取った瞬間それはフラットという極なのです。

じゃあ僕が冒頭に言った「フラットであれ」。これも極じゃん。
って言いたくなりますよね。

「フラットという在り方」の本質は、スタンスを取る前の状態にあります。
どのスタンスでもないが、どのスタンスも取れる。
その中から今自分が取りたい適切なスタンスを取れる。

それが大事。

フラットという在り方の上で「フラットという極を取る」のは問題ないし、
フラットという在り方の上で「ネガティブという極を取る」のも問題ありません。

問題なのは、最初にフラットという選考過程を通らないことです。

常にあらゆるスタンスが自分の中に存在して、それを取ったときに自分という存在が確定するということ。
絶対的なあなたなんかいないんです。

これを知っているだけで人生楽になりますよ。

(量子論に近いところはありますが、こっちは確率である必要はないかな。)


*「スタンス」という言葉がゲシュタルト崩壊したら「立場」に置き換えて読んでみてくださいw

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インテリジェンスライフコーチやってます。
「知性は生きることを楽にする。」だから人は学びます。
数多の学問を学び続けて得た知性をおすそ分けし、
「行動を変え、思考を変え、世界の見方を変え、自分を変える」。
このサポートを命懸けでやっています。
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