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終着駅へ行ってみた「ゆいレール」奥武山公園駅 上

定宿「ハーバービューホテル」の最寄り駅は旭橋駅だ。

とぼとぼ歩くのも趣味のひとつである私は、
散歩に出かける際には奥武山公園駅利用と決めている。
利用率は五割を超えるなかなかの高打率だ。

本当の目的は少しでも余分に運動し、

お腹を空かせノドを干からびさせて
オリオンビールを美味しく呑むための方便なのだ
とは口が裂けてもいえない。

坂を下り、壺川駅を素通りし、
国道三百二十九号線を跨ぐと人道橋が架かっている。
北明治橋だ。

北西となる右側には明治橋、左側には那覇大橋が見え、
漫湖を渡るゆいレールが遠くに見える。

橋の上から望む夜景は小禄側と壺川側の両岸に
点在する家々やビルの灯り、街灯、
ホテルのきらびやかな照明が水面に反射し、
絶景を映し出す。

都会のど真ん中に干潟が残っている県庁所在地は
日本唯一であろう。

 
沖縄本島への旅行者の目的地は、
初心者の頃は那覇以外の場所となる場合が多い。

那覇空港から一目散に中部・北部地域に
点在する美ら海水族館や万座ビーチなどの
リゾート施設へ遠ざかっていく。
しかし、沖縄へリピート旅行するたびに、
次第に那覇中心の日程へと変化していく。

そして最後には那覇から一歩も出ずに
那覇空港へ戻るような日程になるという。
この説はまんざら風説やホラではないように
思えてくる。
本島南部は複数の都市が所在する那覇都市圏を
形成しているので、厳密に言えば那覇市外へ
出かけてはいるが、ここ数回の私の来沖は本島南部以外どこにも行っていない。

ゆいレールとバス以外の交通機関は行き帰りの飛行機だけで、
読谷村どころか沖縄市にもたどり着いていない。

名護市などの北部地域には五年以上も足を踏み入れた記憶がない。

とはいえ、毎回の沖縄は充実した日々である。

奥武山公園駅からバスを利用せず
徒歩にて小禄市街地の坂を上り、
旧海軍司令部壕の公園まで往復するのが、
私の沖縄二日目の恒例行事だ。

肝心の壕内へ最近は立ち入らない。

別に入場料をケチっている訳ではないが、
公園で休憩しUターンしてくるのがほとんどである。

夏でも冬でも同じ温度の施設内は快適だが、
戦争当時の将兵さんへの思いがつのり、
冷静な気持ちで見学などできないからだ。

大人が涙ぐんで暗い通路をウロウロするのは
施設にとっても迷惑だろう。

戦争は実に辛い現実を庶民へ突き付けてくる。
ウクライナ市民の窮乏を思う時、
日本が平和で良かったと心の底からホットする。

沖縄という場所の重要性を考えれば、
どこかの不埒な国が沖縄を狙ってはいまいかと心配になる。

現地海軍の司令官であった大田中将が、
自決前に海軍次官へ送った電文で、
後世の沖縄県民に格別の配慮を願ったという想いを、
本土の日本政府が的確に認識したのか?
まことに訝しい。

私自身は沖縄だけ特別扱いしろなどとは強弁しない。

沖縄あっての日本、
日本であるからこその沖縄であり、
不可分な関係性は当然相互依存だ。

しかし大事な日本の一部である沖縄について、
私も含めた多くの日本人は、
その事実を理解していたのだろうか。

戦後アメリカ統治下に置かれた沖縄県が、
復帰後に本土と同様の水準を回復するようにちゃんと配慮したのだろうか。

配慮などと言えば、直ぐに金銭的な要求と勘ぐるのは守銭奴の所業だ。
字ヅラのとおりに考えれば、おもいを配る事はお金の面だけではない。

その昔、本州から海を隔てた沖縄と北海道には沖縄開発庁と北海道開発庁という別の役所が存在した。

本土より未開発だから同水準になるように開発する役所を東京に設置するという発想は、
東日本大震災の復興庁を霞が関に設置した役人が陥りやすい発想だ。

現業部門と遠く離れた東京からの指示によって、
本土と同じ水準を求めたり、
旧来の状態を回復するという発想では、
ハンデキャップは埋まらない。

インフラを含め先行する本土が現状維持で満足し、
その場で踏み留まるという発想は、
人間という者の本質を理解していない貧弱な思考だ。

人間は貪欲で、現状で満足するという生き方が不得意な動物だ。
それが人間の進化過程であり、現状を是としないからこれだけ地球上にはびこっているのだ。

沖縄の開発も同様の事が起こっている。
予定どおりインフラなどの整備が完了した時点で、
本土との差は拡大している。
追いつくという発想では現状のギャップは埋まらない。

県民の所得水準は確かに向上した。
それでも県民一人あたりの所得は全国平均の八割程度である。
この三十年で七割から一割も向上したとよろこんでいる場合ではない。

経済規模の差を考えれば、全国平均以上の県民所得にならなければ、本土並みの貯蓄水準には到達できないだろう。

ハンデキャップは高い下駄を履かせるより足腰を鍛え、
実力を蓄えて対等な競争に参加しなければ解消しない。

日本経済が足踏みを続けた三十年間に、
沖縄県の所得が平均以上にならなかったのは、
配慮以前に大きな問題があったといえる。

新規の都市内鉄道構想では広島市のアストラムラインより、ゆいレールのほうが先行していた。

一九八二年には建設主体となる沖縄都市モノレールが設立されたが、
広島高速交通の設立は一九八七年である。

二〇二二年十月現在の広島市の人口密度は千三百十四人/㎢であり、那覇市は七千五百八十一人/㎢である。
政令指定都市である広島市は全八区のうち那覇市より人口密度が高いのは中区だけである。

市域が全国で二十九番目に広い906㎢に達する広島市の人口は百十九万人だ。

那覇市は41㎢という狭い市域に過ぎず面積比では広島市の4.5%に過ぎないのに人口が三十一万人である。
沖縄本島中・南部二十一市町村の面積は536㎢、
人口は百二十二万九千六百九十人、
人口密度二千二百九十四人/㎢でありデータだけを比較すれば、どちらが都市内鉄道の整備を必要とするのか明らかだ。

JRや広電など他の交通機関が整備されている広島市と道路渋滞や沿線人口、
予想集客数などを比較すれば、
都市内鉄道の整備はやはり那覇市が優先される状況だろう。

アストラムラインは河の中洲に地下部分を抱え、
橋桁落下事故など困難な状況下での建設であったが一九九四年に完成した。

広島アジア大会の開催に合わせて整備を急いだ面も否定できない。

つづく


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