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終着駅へ行ってみた『ドバイメトロ第2回』ドバイの宝くじと大晦日

世界有数のハブドバイ国際空港(DXB)は
空港で販売される宝くじが日本のメディアで
取り上げられたことがある。
一枚100USドルの宝くじ
一等商品は
5000ccのメルセデスベンツ
「当選者がどこの国に住んでいようが
必ず商品を届けます」
という売り文句でチケットは
飛ぶように売れていた。

高額とみくじ

当選者が高級外車を受け取る映像は

残念ながらお目にかかっていない。

賭け事や飲酒・宗教美術などが御法度の
イスラム社会にあって
集客のためなら様々な企画を繰り出すドバイは
スンニ派の中でも特に寛容なイスラム国家である。 

現在の観光都市という立場を確立する手段であり
不可欠な要素である
他宗教とその信者に寛容なドバイでも
飲酒でトラブルを起こすと
たちまち厳格な戒律によって罰せられる
なにごとも注意が肝要だ。

日本のように飲酒に寛大な国家は
世界では少数派だ


UAEでは解放感満載のビーチであっても
屋外の公共空間であり
女性の過度な薄着や露出が多い水着は
処罰の対象になる。

屋外での飲酒は・・・
牢屋に放り込まれる危険がある。

機会があろうとなかろうと・・・
常に理由を誘導し一杯やりたい日本人には

ドバイは観光地としては微妙な場所である。
街中に酒販許可の酒屋は極めて少数で
飲酒は一流ホテルや一部免税店
イギリス統治時代から営業するクラブなどに限られる。

普通のレストランでは酒類の提供は無いと思って
間違いない。
非合法で酒類を提供する飲食店も
あるにはあるが・・・
通報されたらブタ箱行きの可能性が高い。

酒飲みが市内で格安に飲める場所のひとつは

ドバイシーメンズクラブ

である。
サルタン・カブース港からほど近いこのクラブは
三々五々乗組員と意味不明の祝杯をあげた
思い出深い場所だ。

ドバイの飲食店での飲酒でもっとも印象深い店は

ル・メリディアンドバイ「菊」

という
日本食店での年越しである。

2005年12月31日
大振りの暖簾を潜って「菊」に来店した。
当初は同期と二人で食事する予定であった。
DXBターミナル近くのメリディアンは
低層のコテージが並ぶ南国リゾート風のホテルで
二〇〇五年当時はまだ日本食店が両手で数えられほど
しかなかったドバイでは有名店であった。

その日はエミレーツゴルフクラブへ
「お忍びでタイガー・ウッズが来訪している」
という噂がありゴルフ狂いのM君は
タイガー・ウッズ捜索のために出掛けてしまった。
その後一切・・・電話は繋がらなかった。
何度か電話をかけてみたがその度に
早口の英語をまくし立てる女性の声は
電源が入っていないか料金不足で繋がりません。ソーリー」と繰り返すばかりだ。
タクシーもお店も予約してあるし・・・
利用しない理由を流暢ならざる英語で
弁明するのは骨が折れる。

不承不承違約金を払うか・・・
さもなくは一人で来店するか・・・
選択肢はわずかだ。

飲兵衛の合理的な選択肢は一択である。
至極当然のなりゆきで大晦日の午後七時
寸分の狂いもなく暖簾を手で押して
店内へ定時進行となった。

自動ドアの開閉音を聞かせたくないのか
日常の習いのように

「いらっしゃいませ」の声が

店内各所から鳴り響き

ブレザー着用のマネージャーらしき人物が
予約時刻と氏名・電話番号などの人定質問を行う。
出頭人の特定が終わると
何事もなかったように日本風居酒屋の四人席へ
案内された。

座席には漢字で予約席と記載された札が置いてある。
座ると同時に
「お飲み物はいかがなさいますか」
との問いかけだ。

この場合呑み助には
「生ビールをお願いします」という返答以外に
ほかのことばは一切脳裏に浮かばない。

間髪入れず店内には

「生一丁」

「生一丁」の
おたけびがこだまする。
一分とかからず並々と泡が盛り上がるビールが
注がれたジョッキが目の前に参上したので
女性店員さんへ
「ツマミは何がオススメですか」
と普通に話しかけた。

しかしそこから先は・・・
日本語はほとんど通じなかった。

となりの席の男女四人組は
商社の駐在員とおぼしき団体で・・・
そのうち一人の女性が
「彼女達はいらっしゃいませ
 お飲み物はいかがなさいますか
 生一丁
 喜んで
 お会計
 ありがとうございます
 それしか日本語を知りません」
 とのご注進をしてくれた。

いちげんさんの私以外に
店内には三組の日本人客がおり
さきほどの駐在員の男女以外に
子供を二人連れた四人家族とおぼしき一組
高級な仕立てのスーツを着た男性が一人
どのテーブルでもジョッキビールが
あっという間に空っぽになっている。

「ああ大晦日なんだなあ・・・」と

心の底から実感が沸きあがてきた。

記憶が判然としない時期を除き
大晦日を一人で過ごすのは初めての体験だ。
就職後も大概の年末は家族と過ごすのが
当然だと思っていた。

仕事で年末年始に地元へ戻れぬ時は
職場の仲間とドンチャン騒ぎの夕食を
興じて過ごした。
 
独身者数名の大宴会のあとは
初詣に出かけるのが正しい日本人の大晦日
恒例行事だと信じ込んでいた。

当時は・・・
ドバイに初詣の対象となる神社は
なかった。
モスクへ新年の元旦に来訪する習慣が
イスラム教徒にあるのかも小生には不明だ。

周りに日本人がいれば見ず知らずの他人でも
声をかける事は海外・・・・
とくに中東では多い。

人見知りの少ない私から声をかける事もあれば
相手から声をかけられる事もある。
ドバイ市内のホテルで朝食ビュッフェを
取ろうと食堂へ行き・・・
バナナ船の船長さんから話かけられ
朝飯から宴席となり・・・
次回の約束を交わしたが・・・
ジュベルアリ港のシーメンズクラブで
2時間以上を待ちほうけをくらい
すっぽかされた経験もある。

三十代最後の大晦日を一人で過ごす羽目になろうとは
予想外の展開であった。

得難い体験である。・・・・が
店内の日本人は家族団らんと
職場の男女であり
もう一人の紳士もひと待ちの風体で
時折入り口の開き戸を眺めている。

この状況で誰かに話しかけるほどの勇気は
残念ながら持ち合わせていない

フィリピン人の女性店員に
刺身盛り合わせと
だし巻き玉子
熱燗を注文し
持参した宮脇俊三の本を肴に

寂しい2005年最後の晩餐となった

これ以降大晦日を一人で過ごした経験はない。
現段階では
暫定一位の侘びしい大晦日だ。

結果的にビールのおかわりと
日本酒2号徳利二本をたいらげ

締めに年越し蕎麦をすすって・・・
迎えのタクシーに乗り込んだ時には
除夜の鐘がなる時間となっていた。
 
日本語に訳せば「提督」というホテルに
戻る直前に厄年となった。

カウントダウンは聞こえなかったが
クリークのほうから数発の花火の音が聞こえ
アブラ乗り場の上空に大輪の閃光が瞬くのを
ホテルの玄関でながめた。

夏もよいの日に
大晦日の話で
ヘンかもしれませんが・・・
少しは涼んで貰えたでしょうか

季節外れの大晦日話

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