少年法適用年齢の引き下げについて

私は少年法が20歳から18歳に引き下げられることに反対だ。成人とは「心身が十分に発達した人」とある。つまり自我が確立されることによって自分の行動に対して責任が取れる状態にあって初めて認められるものだと考える。
しかし、エリクソンによる漸成的発達理論によると人間は乳児期、幼児期、学童期、青年期、成人期の順に発達していく。すなわち自我が確立するのは成人期になってようやくなのだ。
確かに、数十年前においてこの理論は18歳で成年期に入るという結論付けがなされていた。しかし、近代の社会において上級学校に進学する率が上昇している。すなわち親の庇護下に置かれ、社会に出る年齢が高くなっているのだ。これはすなわち青年期の延長を意味する。現代の心理学者は青年期は14.15歳に始まり22〜25歳まで続くと言われている。
これは身体的には十分に成長していても精神的に未発達の人を成人として扱うということである。
これは知識量を蓄えることによって精神が完成するという発達論を無視し、詰め込み教育信者による偉大なる自己正当化といっても過言ではない。社会規範を変容させる際に大切なのは自身の体感ではなく理屈である。自分の体感や経験だけを頼りに揺るがしてはならない。変える側と変えられる側の青年期の社会環境は違うということを理解すべきだ。
だからこそ私は青年期の延長といった社会的課題を解決した後に少年法適用年齢を引き下げるならまだしも、ただ引き下げるのには反対である。これに繋がってくるのが成人年齢引き下げだと考えているが、こちらは近年問題視されている「毒親」や「ヤングケアラー」から早く逃げられるようになったという点において非常に評価されるべき事だと考えている。読者の中にでも児相が〜と仰られる方もいると思うが、児相の現実はなかなかに厳しい。圧倒的な職員不足、保護した子供への学習環境不足…etc
少子化が進み、子供支援に注ぎ込まれるお金がどんどん減っていく中でどのようにしていくべきなのだろう。相対的貧困率が上昇した日本にとってこれはこれからより直面する課題であり、この時代の当事者たる私たちが現実をよく知り、関心を持ち、意見をすることが大事なのだろう。手遅れなのかもしれないが。


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