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自分キャッチコピーは恥ずかしいという問題について

おとなたちは、自分キャッチコピーを考える?!発表する?!ということにたいして、とても恥ずかしい!と感じるようです。一方で、自分をひとことで表すことにとても興味を持っている。そして「仕事に流用できないか」とも思っていたりする。笑
けれど、「じぶんの」を考えることは、実はとても意義のあることなのです。


恥ずかしいは、いつからはじまるのか?

レクチャーという視点で切り取ると、かれこれ私はもう1000人以上レクチャーしてきています。上は70才近い方から、字を書けるようになったばかりのたった5才のこどもまで。

これはとても面白いのですが「みんなとっても恥ずかしい」。大人だから、とかこどもだからとかは実は関係ないのです。

物心ついたら恥ずかしいが生まれる。と、私は思っていて。もっと掘り下げると、それは「違っていたらどうしよう」だったり「自分という人間を他人に知られることが」だったりします。

もちろん恥ずかしいレベルにも強弱はあります。その人によって「恥ずかしい」「恥ずかしくない」の許容は違っています。

恥ずかしいの、先にあるもの。

書くことはパンツを脱ぐことだ、という話は著書にも書きました。書くコトって恥ずかしいゾ、ということの比喩表現なのですが、パンツを脱ぐということはそうそうできることではありません。そして、ほとんどのひとがパンツを脱いだと思っていても「はいている」ものなのです。肌色の奴を・・・笑

だから安心してください。こころおきなく「脱ごうとして」いい。

パンツを脱ぐというのは「本当に迫る」ということです。じぶんの、ほんとうに迫る。です。

脱いだ状態で書くとどうなるか?私の場合は【人が泣く】という現象が起こります。感動する、ということでしょう。私は仕事を通してこの体験をして、非常に満足しました。ああやっと一人前になれた!と興奮しましたし、これ以上できるようにはならないなとも思いました。

世の中には、書いたコピーで人が泣くという経験をしているプロはそう多くないはず、ということを知っていたからです。(私の師匠も同じ部類です)

そしてコピーライティングでこういったことをしてしまうことが(意図せず、です)とても「キケン」なことだと理解しました。容易に直しの入る世界でそれをすることは、こころが大きく傷つくのです。ですので今はとても慎重にやっています。

Eテレの幼児番組で「いっこにこだっこ」という作詞をしましたが、これはなんだか涙が出るという話をツイッターで拾うので、今はそういう場所では心置きなくパンツを脱いでます。(ある日、ふと流れた放送回でわたしも泣きました。笑)

脱線しました・・・。

自分キャッチコピーは、夜中に書いたラブレターじゃない

書いたものを見せるのは恥ずかしい、の話でした。ジャマするのは自意識と言われているものです。あきらかに過剰な自意識です。

自意識過剰こそ、恥ずかしい。

これが本当のところでしょう。そう言われたら、とたんに「自分キャッチコピーを見せるのなんて、恥ずかしくありません」と言うひとが多そうです。笑 

そう、これはとても大切なことです。自分キャッチコピーは「客観視をした自分」であり、だれよりもよく知っている自分の話なのです。

よく夜中に書いたラブレターは出すな、と言いますが、あれはナルシズムいっぱいだから、でしょう。ふつうはそうなりません。自分とはどういう人間か?を伝えることを必死でやると、自分の普通さとかつまんなさとかたくさん出てきます。ヘンなひとなら、ヘンさが、出ます。

だからなんだ、という話です。まずは、それを「自分で受け止める」ということが大事です。つまんなかろうが、です。気に入らないなら、直せばいい。気に入るまで、という話です。

役割を持って生きる、ということ

生きていると、いろんな「肩書き」をもつことになります。肩書きは立場、と言いかえることができます。

たとえば、最初は「兄」や「妹」、「ひとりっこ」。学校に入れば、学生だし、社会人になれば、職業や役職もつくでしょう。恋人同士が妻や夫に、母や父になります。そうやって他者が勝手にあなたをカテゴライズしてしまうからです。

ひとはつながりの中で生きているので、その立場から「自分はどんな人か」をひとことで伝える。それぞれの立場から、なら、たくさんの「自分を伝えることば」が生まれるはずです。

そうすると「自分の輪郭が」できてきます。

自分の輪郭を言葉で伝えられたら?

それはとってもあなたらしいはずです。そうやって、自分を言語化することで自分が唯一の存在だと気づくことへと、つながっていきます。

いずれにせよ、自分の輪郭を伝えるような言葉をもち、それに対して「しっくりする」と思えるようであれば、当然ながら「他者(モノコト含む)を伝える言葉」も上手になります。あるときはそれがコピーにもなるでしょう。

自分のスペックをあげる、という意味でも「自分キャッチコピー」はやっておいてソンはないぞ、と思います。

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