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【道行き4-5】

【第四章『昇の店』-5】

 前日から梱包作業中こんぽうさぎょうちゅうの二人に、翌朝尾形おがたがトラックで合流した。尾形の伯父の遺品であるオーディオセットとレコードコレクションの運び出しが始まる。

 中年の二人が笑いあっていると、茉由まゆが自販機でコーヒーを買ってきた。三人はコーヒーを飲みながら、今日の予定を話し始める。

「箱詰めした機器が先だな、ラックで押さえて止めよう。レコードはなるべく重ねたくない」

「そうだな。振動しんどうの少ないエアーサスを借りてきたから大丈夫とは思うが、割れたりしないように気をつけよう」

「それがいい、伯父さんの形見だからな」

 そんなことを話ながら、早々に積み込みを開始する。それも昼前にはすべて終わり、尾形の提案でその日の昼食は蕎麦そばになった。トラックはそのまま庭に停め置き、昇のセダンで三人は国道十三号線を北上する。向かった先は「大石田おおいしだそば街道かいどう」だ。

蕎麦処山形そばどころやまがたの中でも、この街道筋かいどうすじ別格べっかくだ」と、尾形は言った。

 茉由が運転しながら尾形に聞く。

「よく食べに来るの?」

「そんなに来ているわけじゃないが、こっちに来た時は必ず寄る。あ、そこのセブンを左だ。後は道なりでいい」

「ハーイ」

 まもなく車は市街地を抜け、民家が点在するだけの田舎道を走る。

「こんな山の中にあるのか?」

「オレの一押いちおしだ、もうすぐ着く」

「ここはなんて言うところなの?」

「地名は『次年子じねんご』という。伯父から聞いた話だが、昔は雪が多く冬になるとさととの交流ができないくらいだったそうだ。そのため、暮れに産まれた子どもの出生届しゅっせいとどけが出せないから、翌年の雪解けを待って役所に届けた。次の年に子の産まれを届ける、だから『次年子』という名前になったそうだ」

「確かに、そういう雰囲気があるな」

「今でも、雪がいっぱい積もりそうね」

「そうでもなくなった、やはり温暖化現象かもしれない。今では道路事情もよくなって、冬でも美味い蕎麦が食える」

「ところで尾形、まだ着かないのか? 腹が減ったぞ」

「あはは、まもなくだよ。そら見えてきた、左ののぼりがあるところだ」

 小さな橋を渡って茉由は駐車場に車を停めた。

「ねぇ、おじさま。やけに宮城みやぎナンバーと仙台せんだいナンバーが多いように思うけど……」

「そうだよ。宮城のそば通は、ほとんどがこの街道筋に集まる。例えるなら、牡蠣かきを食いに海に行くのと一緒だ」

 そこは蕎麦屋の看板が無ければ、普通の民家と間違えそうな店構えだった。石の階段を上り、古民家の玄関に下げられた暖簾のれんをくぐって三人は店に入る。

 畳敷たたみじきの座敷に上がり座布団に腰を下ろすと「三人」とだけ尾形は言った。

「どんなお蕎麦がお勧めなの」

「ん? 蕎麦だ。もう注文した」

 いろんなメニューがあるのだろうと思って聞いた茉由に、ぶっきらぼうに尾形が答える。

「もうって、何をいつ注文したんだ」 

 茉由同様、メニューを確かめたかったのぼるも尾形に聞いた。

「ここはもり蕎麦しかない。蕎麦を食いに来たんだから黙って蕎麦を食え」

「そうだ、こいつはそういう奴だった」尾形の性格を思い出し、昇は苦笑した。

 この蕎麦屋には「食べ放題のもり蕎麦」しかない。尾形同様この店に来る客は、ただこの「もり蕎麦」を食べるためにだけ、ここまでやってくるのだ。

 どんぶり一杯に盛られた蕎麦を、ぴりっと辛い大根汁に蕎麦つゆをいで食べる。山里やまざとの生活から生まれた伝統の味が生きるこの田舎蕎麦いなかそばは、蕎麦好きにはたまらないものなのだ。

 地産ちさんのナスやカブなどの野菜や、ワラビ・キクラゲなどの山菜で作った付け合わせをつまみながら、腹いっぱいになるまで何杯でもこの蕎麦をお代わりすることができる。過去最高は十二杯と聞いているが、男性なら三~四杯、女性で二杯というところが標準的かもしれない。


「美味しい!」

「旨いだろう」

 一口食べて驚きの声を出した茉由に、自信満々の笑顔で尾形が答えた。

「これは旨いな」

 昇も舌鼓を打したづつみをうち、空腹だった三人は無言で食べることに没頭ぼっとうした。尾形と昇が四杯、茉由は二杯を平らげ、三人は満足して蕎麦屋を出た。尾形が三人分を精算しながら、おかみさんと何やら話し込んでいる。昇と茉由が車の中で待っていると、少しうつむきながら尾形が戻ってきた。

「ここは伯父の行き付けだったんだ、オレも伯父に教えてもらってから通っている。さっきおかみさんに、伯父が亡くなったことを知らせてきた。丁寧ていねいなおやみを頂いてきたよ」

 尾形が昇と茉由にそう話した。

「そうだったのか……」

「黙っていてもよかったのだが、『伯父さんはお変わりないですか?』って、おかみさんに聞かれたもんでな」

「人が亡くなるということは、そういうことだな」


 翌朝から、昇は店に置かれた大量の段ボール箱と格闘かくとうしていた。部屋のスペースが違うため、オーディオラックはそのまま利用できない。大量のレコードの置き場所はまったくなかったが、だからといってその段ボール箱を重ね置きにはできない。万が一地震でも起きたら一大事になってしまう。

 あれやこれやで四苦八苦しくはっくしながらも、何とか昇はオーディオセットを店内に収めることができた。レコードは居間と昇の部屋に分けて収納された。店内が手狭てぜまになったことはいなめないが、昇は満足だった。

「音楽喫茶のようにして、皆さんにも楽しんでもらったら」

 カウンターでジャズを聴いていた昇に茉由が話しかける。

「私もそう考えていた。あのレコードをすべて聴きこむには、膨大な時間がかかる。店を開けて、レコードを聴きながら営業するもの悪くない」

「そうしようよ、私も協力する。きっと、尾形さんの伯父さんも喜んでくれるわ。もちろん尾形のおじさまもね」

「そうだな、開店準備にそれほど費用もかからないだろうから、本気で考えてみるか」

 そういうことなり、昇は尾形に相談した。

「いいと思うぞ。そうしてもらえたら、伯父もきっと喜んでくれる」

「本当にそう思うか?」

「もちろんだ、オレも伯父の好きだったレコードがまた聴ける。大歓迎だ」

「わかった、ありがとう。茉由も手伝ってくれるそうだから、本気で考えてみるよ」

 ということになり、昇が郁恵いくえと二人で作った「喫茶 姫の館」は、店名を変えずに上質な音楽を聴かせる店として再オープンすることになった。

 店の雰囲気ふんいきが変わり戸惑とまどいをかくせない常連客もいたが、営業時間を夜間帯やかんたいの二十二時まで伸ばしたこともあり、仕事帰りのサラリーマンなど音楽好きの新しい客も増え始め、「忙しいとまでは言えないが、暇ではない」という感じで店は回わり始めた。夕方からラストまで店を手伝うことになった茉由は、すぐに看板娘かんばんむすめとなり常連客の人気をていたし、客の中には「茉由目当て」としか思えないやからもいた。

 何はともあれ、日中には近所の奥様グループが愚直合戦ぐちがっせんを繰り広げられるくらいの自由な空間と、夕方からは心地よい音楽が楽しめる時間を、この店は客に提供していた。

  第四章『昇の店』 ー完ー



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