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【 自動ドア 】


 私は警察署にいた。いや、正確には警察署の駐車場で彼女の帰りを待っていた。

 彼女の名前は菅野莉子かんの りこという。地元ではちょっと名前が知れているルポライターだ。

 私は夕方、その莉子に呼び出された。

「急ぎなの! すぐよ、大至急迎えに来て!」

 いつも莉子は自分の都合を最優先する。こっちの都合などお構いなしだ。

 何事かと驚いて迎えに行くと、

「泉警察署に行って」

 あわただしく車に乗り込み、そう私に言う。

「どうしたんだ、そんなに慌てて警察署だなんて」

 そう聞く私に、

「説明は後でするわ、早く車出して」

 と言った。

 この日、この地方都市でちょっとした事件が起きた。その事件について記者会見がその泉警察署で行われることと、事件の概要などを車の中で莉子は私に話した。

「そんなに急ぐんだったら、タクシー使えよ」

「今、お財布ピンチなんだ…… だからあなたを、名誉ある送迎係に任命してあげるよ」

「あはは、ありがとう。で、送迎係は時給いくらかな~ お財布ピンチは私も同じですけど……」

「何? こんないい女隣に乗せて、お金を取る気!」

「やっぱりね……」

 莉子は水色のフィアット500Cに乗っているのだが、今は故障してディーラーに入院中だ。退院の目処めどはまったくついていないという。私はフィアットが退院するまでの間、莉子の送迎係らしい。

 そんな莉子の、わがままで自分勝手な言い訳を聞かされながら走っていると、

「ねぇ、八時からだから急いで!」

 と、かされる。

「はいはい、わかりました」

 返事をしながら、私はアクセルを少しだけ踏み込んだ。

 そんなこんなで、記者会見の十分前には警察署に到着し、私は駐車場で莉子の帰りを待っているという訳だ。


 警察署の正面玄関は頻繫ひんぱんに自動ドアが開き、忙しそうに警察官が出たり入ったりを繰り返している。

「こんな時間でも、いろんな事が起きているんだろうな…… 警察の人たちも大変だな……」

 そんな事を考えながら、私はその開け閉めを繰り返す自動ドアを眺めていた。

 この警察署の正面玄関は二重扉になっている。

 二重扉とは、玄関の扉とは別にもう一枚扉を設置した状態のことをいう。つまり出入りするためには、扉を二つ通ることになるのだ。

 デパートなどの商業施設や、マンションのエントランスによくあるあれだ。建物内に強風が入ることを防ぐためだったり、空調効果を高める目的で設置されている。

 東北地方や北海道などの雪国では一般の家庭でも多く見られるのだが、それ以外の地方でも設置している家が増えているようだ。猫や犬などのペットを室内で飼っているため、脱走防止として重宝ちょうほうしているらしい。

 そんな自動ドアの開閉を眺めていた私は、ふとあることに気づいた。

「自動ドアが、勝手に開いている」

 そうなのだ、誰も出入りしていないのに、ひとりでに自動ドアが開き、そして数秒後に閉じる。それは一定の間隔ではなく、不規則に起きた。

 誰もいない玄関なのに、扉だけがひとりでに開き、そして閉まる。これはちょっと異様いような光景だった。

 静まり返った夜の警察署。暗い駐車場から見える、灯りを落とした正面玄関。忙しそうに出入りする警察官が頻繁に自動ドアを開け閉めさせる。

 その流れが途切れると、静寂せいじゃくが戻ってくる。そして、誰もいなくなった玄関の自動ドアが…… なぜかひとりでに開き、そして閉じるのだった。

 その自動ドアを見つめながら、私はある奇妙な体験を思い出していた。


 それは二年前の夏に起きた。莉子と付き合い始める二か月程前のことだ。

 当時私はエアコンのないアパートに住んでいた。そのため夏は地獄を見る。暑くて死にそうな夜には、近くのコンビニに逃げ込んでいた。

 私以外にもそんなアパート暮らしの人がいたのだろう、近所のコンビニにはそんな常連客がけっこういた。

 深夜の時間帯にきてたいした買い物もせず、涼しい店内でマンガの立ち読みばかりしている迷惑客に、バイトのお兄ちゃんは露骨ろこつに嫌な顔をしている。

 気持ちはわかる。だがそんなことに負けていては、暑い夏を乗り越えられない。私たちも必死で店内に留まりエアコンの恩恵おんけいを受け続けていた。

 実は、私のアパートから一番近いコンビニには、ちょっと良くない噂があった。

「深夜、誰も出入りしていないのに、なぜか自動ドアが開く」といういわく付きの店だ。

 オカルト好きの私は、そんなことは気にもせずその店に通っていた。いや「是非ともその情況を自分の眼で確かめたい」とさえ思っていたのだった。

 噂話に尾びれ背びれは付き物。聞いている相手を怖がらせるために話すのだから、あることないことてんこ盛りになって、話が大きくなるのは当然だ。噂に餌を食べさせて、ブタのように大きく太った噂に育てる輩はたくさんいる。噂の中に、真実など一割も無いだろう。

 恐怖体験などというものは、誰かの作り話であるか本人の勘違い、もしくは気のせいであることが大部分だろうと思っている。

 だが、不思議なことだが、噂のコンビニの自動ドアは噂のとおり確かに開いた。


 それは私がいつものように、マンガの立ち読みをしていた深夜の時間だった。

 自動ドアが開き、品物を陳列棚に並べていたバイトのお兄ちゃんが「いらっしゃいませ」という。

 立ち読みを中断して、自動ドアに視線を向ける私。

「誰もいない……」

 数分が過ぎた。

 また自動ドアが開き「ありがとうございました」というバイトのお兄ちゃんの声がする。

 また立ち読みを中断して、閉まりかけた自動ドア越しに外を見る私。

「誰もいない……」

 だが、二度とも確かに何かが通った気配はあった。微妙な空気の動きを、顔の筋肉がとらえていた。

 だが、視界には何も映らない。微妙な気配だけ……

 背中を、ゾクッとした冷気が流れた。

 この程度のことなら、そのコンビニでは日常的に起きているようなのだが、実際にその光景をたりにすると、やはり寒気がする。

「私の勘違いだろうか…… それはないと思うが…… ま、今夜は涼しくなった」

 そんなことを思い、私はガリガリ君をかじりながらアパートに歩いて帰った。

 歩きながら私は、さっき見たばかりの光景を考えていた。

 なぜ、バイトのお兄ちゃんは自動ドアが開いた時、すぐに「いらっしゃいませ」と言ったのだろう…… ドアが開いたから条件反射的に言ったのか?

 じゃあ二度目の時はどうだった? オレの記憶に間違いがなければ「ありがとうございました」だったはずだ。

 なぜあの時、新しいお客様が来たと考えず、店内の客が帰ったとわかったんだ?

「見えていたということか?」

 私がわずかに感じた気配の主が見えていたのか? あのバイトのお兄ちゃんに、得体えたいの知れない者の姿が……

深淵しんえんのぞく時、深淵もまたこちらを覗いているのだ」か…… たしかニーチェの言葉だったな。

「そうだな、ここまでにしておくか」

 そんなことを考えながら、私は食べ終えたガリガリ君の棒を街灯がいとうらして見る。

「またハズレか……」

 肩を落として、アパートに帰った。

 そんなことを思い出しながら、私は車のシートを倒しウトウトしていた。

「お待たせしたね、ごめんね~」

 車に戻った莉子が勢い任せにドアを開けた。

 すっかり寝込んでしまっていた私は

「やっと終わったんだ……」

 と、寝ぼけた声で答えながら時計を見る。時刻はもう二十二時を過ぎていた。

「何か食べたいわ、お腹ペコペコ」

「こんな時間じゃ店みんな閉まってるぞ。ほら、時短期間中だし」

「吉野家とかもダメかな~ 私、牛丼でもいいわ」

「一つ前の信号のとこ、松屋じゃなかったか?」

「そこ行こう! もうお腹ペコペコで一歩も動けない」

「行こう! 行こう! オレも腹ペコだよ」

 私たちは牛丼の大盛をペロリと平らげた。満腹感が幸福感と笑顔を一緒に連れてきた。


 帰り道、警察署の自動ドアがひとりでに開いた話を莉子にしてみた。

「なぁ…… なんだか気持ち悪いだろう……」

 という私に、莉子は言う。

「でもさ~ それって、センサーの誤作動じゃないの?」

「誤作動って、どんな?」

「今は夏でしょ、光に誘われて虫がいっぱい飛んできてたわ。大きなも飛んできてたわよ。それをセンサーが拾ったのよ、きっとそうだわ」

 なるほど、確かにその可能性はあるだろう。

「そうなのかな……」

「きっとそうよ。あなたってちょっとオカルトっぽいところがあるから何でもそっちの方に考えるけど、事実は案外単純なことなのよ」

「そうかな……」

「そうよ!」

 莉子は自信満々の口調で私に言う。

 確かに莉子の言うことも正しいだろう、一般的にはそうだと私も思う。

 ただ、一般的にそうだからといって、その夜私が見た警察署の自動ドアの開閉を、すべて「センサーの誤作動によるもの」ということにはできないだろう。

 なぜなら、それは「実証できないこと」だからだ。

 それに、実は自動ドアは表側だけが開いた訳ではなかった。

「何者かが入った」としか思えないタイミングで、内側の自動ドアも開いたことがあった。たった一回だけだったが、間違いなく私はその瞬間を目撃した。

 しかしこのことを、私は莉子に話さなかった。

 莉子のマンションに帰り、先にシャワーを浴びて私がリビングに入ると、莉子は今夜の取材をもう原稿に落としていた。

 カタカタとキーボードを叩く音がリズミカルに響く。

「シャワーは?」

「もう少ししたら入るわ」

「わかった、頑張り過ぎるなよ」

「ありがとう、大丈夫よ」

 軽く唇を重ねてから、私はベッドに横になる。そのままスマホを手にとって睡魔と闘おうとしたが、無駄な抵抗だった。

 勝負は第一ラウンドの三分もかからずに、私のKO負けだった。


   ー 完 ー


 Facebook公開日 8/8 2021



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