【道行き7-4】
【第七章『佳奈』-4】
佳奈とのランチの後、茉由は隆夫の病院に行った。髪型が変わった茉由に隆夫は驚く。そんな隆夫の病室に八雲がやってきた。ついさっきまで佳奈と八雲の話をしていた茉由は、八雲を目の前にして動きがぎこちなくなり、次の言葉が出ない。
「あ、あ、あの、私、お茶買ってきます」
耐えきれず、茉由は逃げ出すように病室を出た。
「どうしたんだ、アイツ?」
「だから、私は『おじゃま虫だ』ってこと」
八雲は笑いながら隆夫に言う。
「ところで昌夫さん、どうしたんですか、今日は」
「久しぶりにお見舞いにと思ってね。それと、少しお願いがあってきた。どうなの、具合は?」
「はい、もう大丈夫です。軽い散歩くらいはできるようになりました」
「それはよかった、包帯まみれのときは本当に心配したよ」
「すいません。なんか今回はいろんな人に迷惑かけました」
「あはは、隆夫らしくないな~ ずいぶん反省したかな」
「はい、本当に申し訳なかったと思っています」
「いいさ、何事も経験だ。ただ、もう少し慎重に行動することも必要だ」
「そうですね、軽率だったと思っています」
「そうだね、自分のことだけではすまないこともある。今回は下月さんに被害が無かったから良かったが、いつもそうとは限らない」
「わかってます。今回はたまたまラッキーだったということも」
「それがわかれば、今回の失敗も無駄じゃないってことだ」
「はい、わかりました」
「ところで、田澤さんからなにか言われた?」
「はい。退院したら、被害者としてあらためて調書を作るからと言われています」
「そうか。ま、協力してやってくれ」
「はい、茉由を助けてくれた人ですから、私はなんでもします」
「わかった。ところでお母さんは今日は?」
「後で来ると思います」
「そうか」
と言って、なにかを考えていた八雲に隆夫が言う。
「ところで、昌夫さんのお願いって、なんです?」
「そうそう、あの車をもう少しの間、貸してほしくてさ」
「なんだ、そんなことですか。いいですよ、いつまで使ってても」
「そんなに長くは必要ないんだ。あと半月くらいでいいんだけど」
「大丈夫です、使ってください」
「ありがとう、助かるよ」
「今日もあの車で?」
「そうだよ、そこの合同庁舎に用事があってね」
「合同庁舎?」
「パスポートを受け取りに来たんだ」
「え! パスポートって、外国行くんですか? 旅行? どこに行くんですか?」
「旅行じゃない、仕事だよ。イスラエルに行く」
「イスラエルって…… 今戦争してる国じゃないですか!」
病室の出入り口で、「バサ」と買い物袋が落ちる音がした。
「ごめん、落っことしてしまった」
すぐ買い物袋を拾いながら、照れくさそうに茉由が言う。だが、その顔面は蒼白だった。
「どうしたんだ? 顔色悪いぞ、茉由」
「うん、大丈夫。髪切ったからかな〜 なんだかちょっと……」
茉由が言い訳のように言う。
「大丈夫か?」
「ちょっと…… 私、家に帰って少し休むわ。ごめんね隆夫」
そう言うと、「これ、頼まれた本」と言って隆夫に昨夜買った小説を渡し、茉由は病室を出て行った。
「どうしたんだろう? あいつ」
隆夫にそう問いかけられた八雲は、なにかを考えているようでなにも答えなかった。
「お帰り、早かったな」
そう言う昇に返事もせず、茉由は自分の部屋に入る。
「どういうこと? イスラエルって、仕事って、戦争してる国に行くって…… 私、なにも聞いてない!」
茉由はどこをどう走って帰ってきたのか、まったく記憶がなかった。「八雲が日本からいなくなる」ということを立ち聞きしてしまい、どうすればいいのかまったくわからい。頭の中がパニックになり、自分を制御することができなかった。
「おい茉由、どうしたんだ」
いつもとまったく違う茉由を心配して、昇が部屋の外で声をかける。
「なんでもない。ごめんなさいお父さん、ちょっと一人にしてほしいの」
「わかった、心配だっただけだ。なにかあったのなら言いなさい」
「大丈夫、ちょっと一人で考えたいの。ごめんなさい」
「わかった、私は店にいる。落ち着いたらコーヒーでも飲みにきなさい」
「ありがとう、お父さん」
「やれやれ」というように頭を振りながら、昇は店に戻って行った。
茉由は自分のベッドにうつ伏せになっていた。涙が流れる、なぜか無性に悲しい。悲しくてやり切れない気持ちのまま、時だけが流れていた。
いつの間にか茉由は眠っていた。目を覚ますと、もう夕暮れになっている。「夕ご飯、作らないと……」そんなことを考えながら、茉由はベッドから起き上がる。立ち眩みがして、茉由はベッドサイドに腰掛ける。電気もつけずに、ただ茉由はそのまま項垂れていた。
「茉由、入るぞ」
ドアをノックする音がして、昇の声がする。
「はい」
「どうしたんだ、電気もつけないで?」
茉由の部屋に入った昇は電灯のスイッチを入れる。部屋が明るさを取り戻した。
「ごめんなさい。心配かけて」
「ま、お前もいろいろあるんだろう。夕食にとカレーを作ったんだが、食べないか?」
「ありがとう、お店に行きます」
「そうか、じゃ先に行って用意しておく。すぐ来るか?」
「うん」
「わかった」
開け放たれた部屋のドアから、スパイスの効いたカレーの匂いが微かに流れ込んでくる。ふらつく足で茉由は店に行った。昇が二人分のカレーをテーブルに用意している。客は一人もいない。
「お店、どうしたの?」
「夜は休みにした」
「ごめんなさい」
自分のことを気遣って店を閉めてくれた。その昇のやさしさが茉由にはありがたかった。とても客に見せられるような顔でないことは、茉由自身が一番わかっていた。
「久しぶりに作ったが、旨いかな~」
「うん、おいしい」
このチキンカレーは昇の得意料理だ。客の評判もいいのだが、「作るのに手間がかかる」と言って、面倒くさいことが嫌いな昇はあまり作りたがらない。せいぜい月に一度か二度、特別メニューとしてランチに顔を出す程度だった。
「まぁまぁだな」
そんなことを言いながら、昇もスプーンを動かした。
「今回はずいぶん短くしたんだな。帰ってきたとき、誰かと思ったぞ」
「うん、試してみたの」
「よく似合っている。腕がいいんだな、茉由が行ってる美容室は」
「佳奈さんっていう人。とってもステキな女性よ」
「お父さんも会ってみたいよ」
「お父さんはダメ、一目惚れするから」
「おいおい、それはひどいな~ 私は今独身だぞ、ステキな女性に惚れたっていいじゃないか」
「本気で言ってるの? お母さんがかわいそうでしょ」
「お母さんには、あの世に行ってから謝るさ」
あえて、自分の身に起きたことには触れないような話題を話す昇に、茉由は感謝していた。
二人の食事があらかたすんだ頃、店のドアに人影が現れた。女性のようなその人影は、店内を覗き込むような仕草をしてからドアをノックする。
「誰だろう、休みの札は下げているんだが……」そんなことを呟きながら、昇はドアに向かった。
「すみません、茉由さんいますか?」
「どなたですか?」
ドア越しに昇が尋ねる。
「私は『相田』という者です、美容師の『相田佳奈』といって頂ければ、茉由さんはわかると思うのですが……」
「佳奈さん!」
来訪者が佳奈とわかると、茉由はドアまで走ってすぐ鍵を開けた。
「茉由さん。よかった、いたのね。閉店になっていたからどうしようかな~ って思ったけど、声かけてよかったわ」
ーー続くーー
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