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【道行き 1-1】

  単純に道を行くことであり、旅をすることでもあるこの「道行みちゆき」という言葉に、あなたはどんなイメージを持つだろうか?

 ある目的地に行く道中の光景や旅情などを綴った文章である「道行文」を思い浮かべる人もいるだろう。または、男女が連れ立って旅をする浄瑠璃じょうるり歌舞伎かぶきだろうか。こちらは目的が駆け落ちや心中となるようだが……

 私は中学生の頃から、一人で旅にでることが好きだった。自分の知らない風景に出会うことが好きだったし、自分の世界が広がるような気がしていた。

 しかし、旅は楽しいことだけではない、失敗もあるし困難もある。それでも私は旅を続けた。失敗も恥も困難も、最高の土産話になるからだ。

 このように私にとって「道行き」とは旅することであったが、やがてそれは「人生の旅路」へと姿を変えていった。


 私だけでなく、誰もが「自分の人生」という道を旅している。その道は平坦なだけではなく、障害物や困難もあるだろう。出会う人だって「みんな仲間」とも言い切れない、複雑な人間関係もあるはずだ。

 そこには楽しみもたくさんあるだろうが、試練も待ち構えている。曲がりくねりや上り坂、そして下り坂もあるだろう。そして、道に交差点があるように、誰かの道と交わることだってあるはずだ。

 交差した道で出会った相手と共に進むこともあるだろうし、分岐点で別れることもあるだろう。一度別れた相手とまた出会い、共に同じ道を歩んで行くことだってあり得る。

 たとえ本人が意図いとしない状況であったとしても、人は誰かの人生に関わり、近づいたり離れたりを繰り返すものなのかもしれない。


 この物語は、誰にでも起きるだろう日常に少しだけ刺激を加え、人と人の関わり合いをつずったフィクションである。



【第一章『みどり』‐1】

 その日は朝から小雨が降る、肌寒い日だった。訳あって八雲やぐもは、徹夜覚悟で向こう一週間分の仕事を一気に片づけていた。だが疲れに負けソファーに横になって毛布をかぶったとき、夜は白々しらじらと明け始めていた。

 雨音で目を覚ました八雲が時計を見ると、午後二時を過ぎていた。カーテンを開け窓から降り続く雨を眺める。小雨だったが、外出する気にはなれない。しかし、腹が減ってどうにもならない。何かないかと冷蔵庫を開けた八雲だったが、男のひとり暮らしは食料の備蓄びちくなどない。冷蔵庫の中はいつも空だった。

 しかたなく八雲は、紺のポロシャツにジーンズという冴えない部屋着に撥水性のあるブルゾンを羽織って傘をさし、近くのコンビニに向かう。十分ほど歩いてコンビニに着くと、奇妙きみょうな行動をしている年配の女性が駐車場にいた。

 年のころは七十代くらいだろう、イエローのハイネックカットソーにベージュのかすり織り柄のカーディガンを羽織はおりり、濃い茶色のパンツを履いている。「自分の母親が生きていたなら、同年代くらいかな……」と考えると、八雲は無視して店内に入れず、入り口近くでその女性の行動を見ていた。

 女性は雨で髪や服が濡れることも気にせず、旧式の軽自動車のドアをガタガタと力任せに開けようとしている。だがドアは開く様子が全くない。運転席がダメなら助手席、さらに後部座席と同じことを繰り返すが、軽自動車はグラグラと車体を揺らすだけだった。

 やがて女性はあきらめたのか、もう自分の人生が終わったかのように力なく項垂うなだれて、店舗の軒先に歩いてきた。

「どうなさったのですか?」

 後ろから若い女性の声がする。八雲が振り返ると、コンビニの制服を着た女性がゴミ箱を片づける手を止め、不思議そうに女性を見ていた。幾度いくどかこのコンビニで見かけたことがある女性店員だ。少し大きめの制服とストレッチデニムが、その女性店員を子どもっぽい印象にしている。

 長いストレートの黒髪を後にまとめているからだろう、顔が小さく見え口元は少し微笑んでいるように思えた。

「やさしい微笑みだな」八雲はそう感じた。

 項垂うなだれていた女性は、その声に反応して声の主と思われるコンビニの女性店員に駆け寄り、うったえるように早口で話し出した。

「孫が、孫が警察に捕まって、刑務所に」

「え!」

 驚いて聞き直す女性店員に、尚も女性は話し続ける。

「車のドアが開かないのです。私、あわててロックしてカギを取るのを忘れて、早く家に帰ってお金を弁護士さんに渡さないと、孫が、孫が……」

 涙声なみだごえになりながら、女性はコンビニの女性店員の両腕をつかみ、訴えるように話す。しかしコンビニの女性店員は、この女性が何を言っているのか理解できないとでもいうように、その場に立ちすくんでいた。

 その様子を見ていた八雲は二人に近づき、年配の女性に話しかけた。

「話しに割り込んですみません。もしかしてカギを抜かずにロックしてしまったのですか?」

「そうなんです。早く帰らないとお金が渡せなくて、孫が……」

「わかりました。とにかく、そのままではあなたが風邪をひいてしまいます。一度店内に入って暖まった方がいい。髪も拭かないと」

 八雲は女性を落ち着かせようとしたが、興奮している女性はなおも食い下がるように言う。

「でも、そんなことをしている時間はないのです。あと五分で約束の時間なんです」

 腕時計を見ながら、女性は八雲に訴えた。

「落ち着いてください、今は車のロックを解除することが最優先です。私が何とかやってみますから」

 女性にそう言ってから、八雲はコンビニの女性店員に聞いた。

「どなたか、針金で作ったハンガーを持っていませんか? よくクリーニング店で使っているような」

「それなら私持ってます、すぐに取ってきます」

 そう言うと、女性店員はバタバタと走って店内に消えた。

「さぁ、あなたも店内で少し休んでください」

 八雲は、年配の女性に多いふくよかな体型の女性の肩を軽く抱くようにして、並んで店内に入った。

 女性は背が低く、八雲は女性と並ぶと見下みおろすような格好になる。白髪染めは使っていないのだろう、白髪を後でだんごのように丸くキレイにまとめた髪が雨に濡れ、崩れかけているのを見て八雲は少し悲しくなった。

 入り口近くの商品陳列棚からタオルを取り、袋を破って女性に渡す。

「とにかく、濡れた所をこれで拭いてくださいね」と言った八雲の口調には、自分の母親に接するようなやさしさがあった。

「ちょっとお客さん、精算してない商品を勝手に使わないでくださいよ」

 アルバイトなのだろう、コンビニの制服を着た二十歳くらいの青年が、あからさまに「迷惑です!」という口調で八雲に言う。

「ちょっと急いでいたので、勝手に開けてしまった。すまなかった、これは私が買うので後で精算してください」

 そう八雲が青年に言うと、

「わかりました」

 と答えて青年はレジに戻ったが、その態度は不機嫌を絵に描いたように、むっとしていた。


   ーー続くーー



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