【秋祭り ‐3】
摂社神社の前で手を合わせ、なにかを唱えている少女の後ろ姿を、莉子は気味悪く感じながら見つめていた。
深々と摂社神社に頭を下げてから、少女は振り返り莉子を見つめる。そして洞窟の入り口を指差しながら言った。
「さぁ、ここからは一人で行くのよ」
「え! 私一人で行くの? 一緒にきてよ」
少女の言葉は、莉子に驚きと不安をいだかせた。
「それはできないのよ、私はもうこっちの住人なの」
「だって……」
莉子はその薄気味悪い洞窟に一人で入ることなど、とうていできないと思った。
「大丈夫! ここのトンネルをまっすぐに進むこと。トンネルを出ると池があるからその中に入りなさい。そうすればあなたの世界に戻れるわ」
「池があるの?」
「そうよ、そこに入るだけ。簡単でしょ! さぁもう時間がないわ、早く行きなさい」
それで元の世界に戻れると言われても、莉子にはどうしてもその洞窟に入る勇気が出ない。
「だって、怖いよ…… ここのトンネル、暗くて何にも見えないし……」
「勇気を出して! 私がここで見ててあげるからね。しっかり歩いて行きなさい」
「まっすぐ行けばいいのね…… わかったわ、頑張ってみる」
莉子は洞窟に近づき、恐る恐る中を覗いた。
「大丈夫! りこちゃんなら絶対にできるわ。それからね、歩き出したら絶対に振り向かないこと、わかった! 何があっても、誰に声をかけられても、絶対に振り向いてはダメよ!」
「どうして?」
洞窟を覗いていた莉子が振り返って少女に聞いた。
「どうしてもなの! みんなのところに帰りたかったら約束して、絶対振り向かないって」
「わかった!」
「さぁ、行きなさい。帰ったら……」
「帰ったら?」
「ううん、何でもない。ありがとう、りこちゃん」
少女は涙声になっていた。
「また会える?」
「たぶん…… もう会えないわ。これで本当にさようならよ」
「さようなら…… なの?」
「そう、さようならなの。りこちゃんに会えてうれしかったわ」
「わたし……」
「さぁ、本当にもう時間がないのよ! 早く行きなさい。絶対に振り向いてはダメよ!」
莉子はトンネルの先を見た。真っ暗な闇の先に薄明るい出口が見えている。
「あれに向かって歩けばいいんだ」
そう考えてから、生唾を「ごくん」と飲んで莉子は前を向いたまま言った。
「あなたは…… タマなんでしょう?」
少女からの答えはない。
「タマ、あなたのことは絶対忘れない。本当にありがとう…… そして、さようなら……」
莉子は一歩、二歩と歩き始める。
「あ、それからね、りこちゃん」
不意に、さっきまで隣にいた少女の声が後ろから聞こえてきた。
「なに?」
思わず莉子は振り向いてしまった。
「あ!」
その振り向く莉子のほっぺを、ぷゆっとしたまるでネコの肉球のような感触が押しとどめる。
「ダメよ! 言ったでしょう。こっちを向いてはダメ! 今の声は私じゃないのよ。さぁ、これが最後よ。絶対に振り向かずに歩きなさい。わかったわね」
肉球と柔らかな体毛の感触が、ほっぺから離れるのがわかると、莉子は途端に怖くなり一目散に走り出した。
「お~い、りこじゃないか! そんなにあわててどこに行くんだ?」
大好きな芳和くんの声が聞こえる。
「ちょっとりこ、こっち向けよ」
でも、もう莉子は騙されなかった。
「りこちゃん、どこ行ってたの? 探してたのよ」
一番仲良しの万里江ちゃんの声も聞こえる。
「ちょっと止まって、ねぇりこちゃんったら、ちょっと待って!」
その後も、たくさんの同級生が莉子を呼び止めようと声をかけてきた。
「あ、莉子! こんなところにいたの! みんな心配して探していたのよ」
今度はお母さんの声に変わった。
「そんなに走ったら危ないわ、転んじゃうでしょ、止まりなさい」
莉子は怖くて、怖くて、耳を両手でふさぎながら走る。涙が溢れて前が見えない。
「タマ、私を守って!」
一心に願いながら、莉子は走る。
「あ!」
左足が石に躓き、莉子はとうとう転んでしまった。後ろから何かが近づいている気配がする。大勢の何かが、背後から襲い掛かってくるような足音が聞こえる。
「大丈夫だったか? そんなに走るからだぞ、ケガしてないか?」
優しく聞こえた声はお父さんのものだった。
「違う! 絶対にお父さんじゃない!」
莉子は涙でぐしゃぐしゃになった眼を大きく開いて前を見た。
「池だ!」
その時初めて、莉子は自分がトンネルの出口にいることに気づく。タマが話した池は目の前にあった。水面はゆっくりとさざ波、明日が満月という十四夜目の月がそこに映っている。
「飛び込みなさい! 早く」
その声は、どこからという感じではなく、頭の中に直接聞こえた。莉子は痛めた左足を引きずるように数歩進み、池のたもとから飛び込んだ。
「キャー 何あの子?」
「うわぁ、なんだよあの子! なんで池の中にいるんだ」
「あの子、いつ、どこから池に入ったの?」
「ずぶ濡れじゃないか! お前助けろよ」
「救急車呼べ! 救急車」
池の周りにいた人たちが一斉に騒ぎ出す。その騒ぎの中心になっている莉子は、ずぶ濡れになったまま池の中に突っ立っていた。
少しだけ正気を取り戻した莉子は周りを見渡す。そこにはお面をつけている人など一人もいない。
「戻ってこれたんだ……」
バシャバシャと池の中を歩く音がして、誰かの大きな手が莉子を抱きしめた。
「大丈夫か? こんなところでずぶ濡れになって、いったいどこで何をしていたんだ? みんな心配していたんだぞ」
「お父さん? 本当にお父さんなの?」
「変なことをいう子だなぁ~ お父さんに決まっているだろう」
大きな手、ちょっとタバコ臭い息、抱き上げられた時に見えた少し薄くなった頭の毛、莉子のお父さんそのものだった。やっと安心した莉子は、そのまま気を失った。
「そんなことがあったのか……」
「怖かったの…… 怖くて、怖くて、パニックになったところだけ、それから何度も夢にみるの」
「いつもなの?」
「そう、秋の彼岸の頃は、必ずみてしまうのよ」
「その小さな子どもたちが、莉子を連れて行ったんだな……」
「そうだと思うんだ…… タマもそう言っていたし……」
「今でも、その子どもたちを見てしまうことって、ある?」
「ううん、あのことがあってからは、一度も見てないわ」
「なるほどね…… 子どもの時って偶然、怪異を見てしまうことがあるって言われているからな……」
「『かいい?』 なんなの、その『かいい』って」
「奇怪なもの…… この世のものとは異なるものたちのことさ」
遠くを見つめるような眼差しで和樹は言う。
「ねぇ、和樹。もしかして和樹には見えるの? その怪異が……」
「あはは、そんなはずないだろう。オレには何も見えないよ」
そう言って和樹は笑った。
「莉子も、もう一杯飲むか?」
和樹はグラスを二つテーブルに置いて、自分のグラスにワインを注ぎながら言った。
「うん、でも半分でいいよ」
「わかった」
さっきまで莉子の足元をくるくる回って遊んでいた三人の子どもたちは、いつの間にか和樹の足元を走り回って遊んでいる。
「あの人はオレの大切な人なんだ。だから、これからはいたずらしちゃいけないよ」
その子どもたちに向かって、莉子に気づかれないように、小さな声で和樹は言った。その声を聞いた子どもたちは、驚いたように走り回るのを止めて和樹をじっと見つめる。
「ね、お願いします」
子どもたちを見つめながら和樹がやさしく呟くと、子どもたちの姿は透き通るように薄くなり、やがて足元から消えた。
莉子のグラスにはワインを半分入れ、二つのグラスを持って和樹はベッドに戻った。
「誰かと、なんか話してた?」
「え! どうして?」
「話し声、聞こえた気がしたから……」
「あぁ…… 独り言だよ」
「そうなんだ…… ねぇ、和樹には怖かった思い出ってないの?」
莉子はグラスを受け取りながら、和樹に聞いた。
「ないよ。オレ、ビビりだからさ~ そんなのあったら、怖くて生きてられないよ」
「うふふ、変なの」莉子は小さく笑う。
ぐいっと一気にワインを飲み干し、和樹は言った。
「それにね『本当に怖いのは…… 生きている人間の方だ』って、誰かが言ってたよ」
ー 完 -
Facebook公開日 9/20 2021
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