見出し画像

【道行き1-2】


【第一章『みどり』‐2】


 コンビニの駐車場で八雲やぐもは雨に濡れた年配の女性と出会う。何か事情があると感じた八雲は、女性を落ち着かせるため一緒に店内に入った。


 八雲からタオルを受け取り女性が濡れた髪をいていると、ハンガーを持った女性店員が二人のところに走ってきた。

「これでいいですか?」

「ありがとう」

 そう言って、八雲はハンガーを受け取る。女性店員から、かすかに甘いフローラル系の香りがした。

「さてと、後はペンチがあれば……」独り言のようにつぶやいてから、八雲は女性店員に聞く。

「ペンチはありますか? これを切りたいのですが」

「どうかな? 見てきます」

 そう言うと、女性店員はまた店内を走って行った。一見いっけん華奢きゃしゃに見える小柄な女性店員のうしろ姿を目で追ってから、八雲は女性に聞く。

「どうです、少し落ち着きましたか?」

「はい、ありがとうございます。あの…… 車のカギは?」

「やってみないとわかりませんが、たぶん大丈夫だと思います」

「すみません、ご迷惑をおかけします」

 二人がそんな話をしていると、工具箱を持って女性店員が戻ってきた。

「この中に入っているでしょうか? 工具はこれだけなんですが」

 八雲が工具箱の中を物色する。ペンチを見つけると「あった」と手に取りながら、耳打ちするように女性店員に言った。

「少し詳しく事情を聞いて欲しい。たぶん、ややこしいことに巻き込まれていると思う」

「はい、私もそう感じました。奥の部屋で聞いてみます」

 女性店員も声を殺して八雲に答えた。

「お願いします」

 そう女性店員に言ってから、八雲はハンガーとペンチを持って駐車場に向かった。


 女性をバックヤードに案内すると、女性店員はお茶の用意をしながら言った。

「よろしかったら、お名前教えてください。私は『下月茉由しもつきまゆ』といいます」

「下月さんですか、私は『吉田』といいます。『吉田翠よしだみどり』です」

「吉田さんですね、寒くないですか?」

「はい、少し楽になりました。ご迷惑をおかけしました」

「それはよかった。先ほどの男性が車のロックを外してくれるそうですから、その間お茶でも飲みながら待ちましょう」

 茉由は翠の前に湯呑みを差し出し、微笑みながら言った。

「ありがとうございます」

 翠は茉由に礼を言ってから両手で湯呑みを持ち、ゆっくりとお茶を飲む。

「温まります」

 そう言う翠の表情に、少しだけ笑みが現れた。

「少しお話、いいですか?」

 茉由は翠の向かいに座り、お茶を飲みながら聞いた。

「はい」

 翠は少し冷静さを取り戻し、真っ直ぐ茉由を見ている。そんな翠に茉由はゆっくり話し始めた。

「先ほどのお孫さんのお話ですけどね、もう少しくわしく事情をうかがってもよろしいですか?」

「もう少しくわしくと言われても……」

 身内の恥を人に話すのは誰でも嫌なことだ。まして目の前にいる女性は、今名前を知ったばかりの他人なのだ。さっきは気が動転どうてんしていてうったえるように話した翠だったが、冷静になり始めている今、話すことを躊躇ちゅうちょするのは当然だろう。

「話したがらないか…… でもこのままじゃ、不幸になるのはこの人の方だし……」

 茉由はそんなことを考えながら会話の糸口になるような話を探し始めたが、そんなに都合よくうまい話は思い当たらない。一か八か、危険を承知で茉由はズバリと聞いてみた。

「先ほどお孫さんが警察に捕まった。と言われてましたが」

「そうなんです、孫が女性の方に怪我をさせたようで…… そんなことをするような子ではないのですが」

「あら、それは大変ですね。でも、なぜそのことがわかったのですか、どなたからか連絡があったのですか?」

「はい、何とか警察署の刑事さんから電話があったのです。名前はなんと言ったかしら? メモしてあったのですが、それも車の中で……」

 意外にも、すんなり翠は話し出した。


 翠は息子夫婦と同居している。主人はすでに他界しており、息子夫婦は仕事を持っていて翠は日中の留守を任されていた。

 息子夫婦には子どもが一人いる、大学生の息子「つとむ」である。今、問題を起こしたとされるのは翠の孫になるこの勉だった。

 翠は嫁と折り合いが悪い。そのため、ほとんど嫁と話すことがない。今回の問題も、電話があった段階ですぐ息子か嫁に相談すべきだったが、素直にそうできないくらい嫁と姑の隔壁かくへきは大きかった。

 だが、それ以上に「この問題をひとりで解決しよう」と翠を駆り立てたものがあった。それは勉が両親ではなく、祖母の自分を頼ってきたと考えたからだ。ここで勉を助け「自分の存在価値を息子夫婦、特に嫁に思い知らせたい」という動機がそこに隠れていた。

 高齢者を狙う詐欺グループはこういう高齢者の心理を知りつくし、そこをあの手、この手と言葉巧ことば巧みに突いてくる。ひとりでそれに対抗することは、高齢者にとって至難しなんわざなのだ。

 翠もこの手法しゅほうに引っ掛かったようなのだが、まだ自分のあやまちに気づいていない。

 翠は孤独だった。亭主はすでに他界し、同居している子ども夫婦と孫は、同じ家の中に自分たちだけの世界を作っている。他人は入り込めないその結界の主は息子ではなく嫁だった。そして、ここでいわれる他人の中には翠も含まれていた。

「あの人が生きていた時は、この家は私たち夫婦のものだったのに…… そしてこの家の主は私だった」そんなことを考えている今の翠の陣地じんちは、六畳ほどの広さしかない奥の和室一部屋だけになっていた。

 そんな翠だったが、そろそろ誰かにこれまでの顚末てんまつを打ち明けたくなっていた。心の中で大きくなり続ける「自分ひとりの手に負えないかもしれない」という考えを、押さえきれなくなっていたのだ。

 単純に言えば「誰かに相談したい。力を貸して欲しい」と思い始めていた翠は、この打ち明け話の相手に自分の素性を知らないコンビニの店員である茉由を、いつの間にか選んでいたのだった。


   ーー続くーー



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?