【道行き4-3】
【第四章『昇の店』-3】
昇は悪友の尾形と東根市に行くことになった。この尾形は茉由の運転の師匠でもある。
尾形の適切なサポートを得て、僅か数か月後には軽自動車ベースの競技車を自由自在に操って、縦横無尽にコースを疾走できるまでに茉由は成長した。尾形のチームメイトも、まだ幼さが残る高校生の茉由を可愛がり、まるで茉由の成長を見るのが楽しみであるかのように集まり、手取り足取り茉由を教育しサポートした。
他県の大学に進学したため、茉由は高校卒業と同時にチームから離れることになるのだが、一番初めに正しく基礎を習得した茉由は、ブレーキングから車の頭を入れる、パーシャル姿勢を作る、アクセルでアンダー・オーバーをコントロールするという操作が、その頃には意識せずとも自然に行えるようになっていた。
メカニックのプロ、隆夫を魅了した茉由の運転テクニックは、こうして確立されたのだった。
茉由が尾形のために用意した昼食のメニューは和食だった。鯖の味噌煮にほうれん草の胡麻和え、ひじき煮などが店のテーブルに並んでいる。
「わお~ こりゃすごい!」
「あり合わせで作ったけど、美味しそうでしょう」
「やっぱり郁恵さんの娘だな、味付けまでそっくりじゃないか」
「そう思うか?」
「あぁ、毎日でも食べに来たいよ」
「いいわよ、いつでもいらしてくださいませ」
「おい、こいつを甘やかすと本当に毎日来るぞ」
「そうなったら、お店を再開すればいいでしょ。ランチメニューにしてお金頂けば問題ないでしょ」
「そうだ、そうすればいい。オレも気兼ねなく通える」
「お前が気兼ねしているのか?」
「一応、そういうポーズは見せている」
「とてもそうは見えないがな」
三人はとても和やかな昼食を楽しんだ。茉由が食事の後片付けする間に、昇がコーヒーを入れる。姫の館は再開したかのように三人を包んでいた。
「このままコーヒーを楽しむのもいいんだが、そろそろ行くか」
尾形がコーヒーを飲み干してから言った。
「そうか、もう一時半を過ぎた。行くか」
昇がカップを片付けながら答える。
「茉由ちゃんはどうする? 一緒に行くか」
「え! いいの?」
「いいさ、なぁ昇」
「そうだな、たまにはみんなでドライブもいいだろう」
「うん、行く行く。ちょっと待って、着替えてくる」
そういうことになり、三人は山形に向かった。車は尾形の33Rだ。
「運転してみるか? 久しぶりに茉由ちゃんのドライブが見たい」
そう尾形が言い出し、運転は茉由になった。
「いい車ね、運転しててこんなに気持ちがいい車って、滅多にないわ」
「やっぱり直6エンジンはいいだろう、直6以外はRじゃない」
「お前はメカオンチのくせに、車にはうるさいな」
「これだけだ、他はわからん」
そんなことを話しながら、車は快適に48号線を西に向かう。関山トンネルを抜け、東根市に入ってから48号線を右に外れ、市民体育館を通り過ぎると尾形の伯父が住んでいた借家に着く。
「いいドライブだった。角が取れた落ち着いた運転ができるようになったじゃないか」
「ありがとうございます。おじさまにそう言ってもらえると、とってもうれしい」
尾形の評価がうれしかった茉由は、素直に礼を言った。
尾形の伯父が住んでいた家は和風の一軒家だった。玄関の引き戸は内鍵になっている。尾形は勝手口の鍵を開けて入り、内側から玄関を開けた。昇と茉由はそこから入る。
「こい、こっちだ」
尾形が先導して奥の和室に三人は入った。そこは尾形の伯父がオーディオルームにしていた部屋だ。
「これは……」
入ってすぐ、昇が驚きの声を出す。その部屋には往年の名器と呼ぶに等しいオーディオセットが並んでいた。
ここで簡単にそのセットを紹介しておこう。
アンプ 二基
LUXMAN SQ-38FD/Ⅱ
SANSUI AU-D907
レコードプレーヤー
MICRO RX-2000/RY-2200
スピーカー 三セット
DIATONE DS-77Z
Bose 301 music monito
自作バスレフ ユニット P-610A
チューナー
TRIO KT-8100
カセットデッキ
Nakamichi 700
オープンデッキ
SONY TC-7760-2
CDプレーヤー
Marantz CD-16D
その他、カートリッジ・昇圧トランス・イコライザー等多数
というものだ。
「伯父はあまり裕福ではなかったんだ。だけど、『自分のできる範囲で最高の音を作るんだ』といつも言ってたよ。で、どう思う」
尾形が昇に聞く。
「こりゃ凄い! ある程度予想はしていたが……」
「そんなに凄いの?」
茉由が昇に聞いた。
「あぁ…… 涎が出そうだ。どれも古い機械だから、今どきの機械には性能的に劣るだろう。あくまでも私の個人的な意見だが、特に音の良し悪しというのは個人の好みだ、カタログに出ている機器単体の性能が決める訳ではない。例えばこれ、このアンプは真空管だ」
昇は「LUXMAN」のアンプに手を置いて続ける。
「このアンプが出たのは確か70年代だから、ざっと半世紀前だ。真空管の音はとても優しくて暖かい。どんなに最新技術を駆使しても、真空管が出す音を超えることはできないと私は思っている。確かこのメーカーは今でも真空管を使っているはずだ」
そう茉由に話しながら昇が言う。
「尾形、電気はきているのか」
「まだ止めてないと思う、ちょっと点けてみよう」
そう言いながら尾形は電灯のスイッチを押す。天井から吊り下げられた蛍光灯が光った。
「電気がきているなら、ちょっと音を出してみよう。何かないかなぁ……」
そう言いながら、昇はレコードを探し始める。
「これがいいな、理屈より音を聴く方がいい」
そう言って、昇は一枚のジャケットを手に取った。その中からレコードを取り出してターンテーブルに乗せる。独立したモーターユニットに電源を入れると、糸で繋がれたターンテーブルが静かに回り出した。アンプのセレクトを確かめてからボリュームを落とし、カートリッジをレコードに落とす。
少しずつボリュームを上げると、スピーカーからチェロの暖かな音が流れ始めた。
「『パブロ・カザルス』の無伴奏チェロ組曲だ」
暫し、三人はチェロの音色に聴き入っていた。
「で、どうなんだ」
「どうって、なにがだ?」
尾形の問いに、昇が聞き返す。
「だから、お前に引き取る気があるかということだ」
「これを全部か?」
「そうだ、早急に処分してここを明け渡さないといけない。主がいない家を、いつまでも借りている訳にはいかんさ」
「そうか…… 因みにだが、そのリサイクルショップではいくらの提示なんだ」
「本当に二束三文だ、確か引き取り手数料込みで十五万と言ってたよ」
「なんだと! このレコードコレクションも全部含んでか?」
「そうだ、だからお前を呼んだんだ」
ーー続くーー
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