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【私の終活奮闘記-2】

 前回の【奮闘記-1】からパソコン不調などで時間が過ぎてしまったが、【奮闘記-2】を記すことにしよう。
 
 
 自分の死後、あるいはケガや認知症などの病で、自分の記憶力・判断能力・意思疎通能力が著しく低下した時、残された家族は何を基準にその後のことを決めればいいのか?
 
 こんなことを漠然と考えていた時期が確かにあった。
 
 そんな時、様々な手続きに必要な情報や自分の希望をまとめたものがあれば、たぶん家族は楽になるだろう。そんなことを考えたきっかけは父親の死だったと思う。
 
 私の父親は事故死だった。去年、十七回忌法要を済ませた。
 
 十七年前のその日は突然やってきた。
 
 故郷の親戚から携帯に電話が入ったのは夕方だった。それは父親の事故死を知らせるものだった。母親はショックで正気を保てず、親戚の同級生が連絡をくれたのだった。
 
 簡単な着替えと喪服を車に投げ入れ、私はすぐ実家に戻った。こんなどうらく息子でも、長男であり喪主を努めなければならなかったからだ。
 
 あ! 今思い出したが、あの時は黒の革靴を忘れた……
 
 
 その後、葬儀やらがひと段落するまでの一週間ほど、私はほとんど睡眠をとらなかった。田舎の葬儀はいろいろと面倒なことが多く、大変なのである。とにかく喪主は忙しかった。ちょっとしたことでも、すべて喪主が決める。
 
 あれもこれも「すぐ決めろ!」と親戚の長老たちは言うが、長男とはいえ高校から家を出たままのどうらく息子に、田舎のしきたりなどわかるはずがないのだ。
 
「家長に急に旅立たれる」ということがどんなに大変なことか、この時私は身にしみてわかった。
 
 見当違いは十分承知の上で、夜中、祭壇のど真ん中でこちらを見つめる父親の写真に向かい、ぶつぶつ独り言のような文句を言っていたことも思い出した。
 
 
 私がなんらかの形で自分の記録を残そうと考え始めたのは、こんな父親の葬儀や相続の手続きなど、面倒なことがひと段落したころだったと思う。しかし、思っただけでなにもせぬまま、いつの間にか十七年が過ぎてしまった。
 
 
 というのも、十七年前は《エンディングノート》などという洒落たものは、無かったように記憶している。いや、あったのかもしれないが、昨今のように一般的ではなかったと思う。
  
 
 さて、書くことは決めたものの、この《エンディングノート》はどこで入手できるのだろう。調べてみると、手書きのものは市販されているものから無料配布されているものまで、相当数が出回っているようだ。
 
 また、パソコンやスマホを使い、ファイルをダウンロードするタイプや専用アプリを使うタイプ、WordやExcelに入力するタイプなど、本当に多種多様だ。
 
 
「さて、どれにしようかな〜」と悩むこと数日間……
 
 結果、私が終活で使う《エンディングノート》は、自分専用を作ることにした。
 
 理由は、いたって単純なことである。《エンディングノート》なるものは、出回っているもののほとんどが同一様式であり、書き込む項目は、私にとって不要なものが多かったのだ。
 
 
 例えば、自分のこれまでの出来事を振り返り、楽しかったこと・辛かったこと・悲しかったことなど、自分の人生の思い出など書き連ねてなにをしようというのだろう。これまでの人生を振り返る機会がなかった人向け、ということなのだろうか?
 
 
 書くことによって、これまで受け取ったものや、大切なことに気がつく人も多いということなのだろうが、私には無用だ。今更こっぱずかしくて、そんなこと書けるはずがない。
 
 自分の死後、それを見ながら大笑いしている家族を想像しただけで、恥ずかしさで顔から火が出そうだ。
 
 私は、家族や周囲の人にあまり負担を掛けず、自分の希望を実現してもらいたいという思いだけで《エンディングノート》を書くことにしたのだ。
 
 ただこの頃は、家族や周囲の人へ感謝の気持ちくらいなら、書き残してもいいと思い始めている。
 
 
 さて、どんな《エンディングノート》になることやら…… その答えは、また次回にしよう。
 


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