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Inside Head of Eros (A LONG DAY)

 人のこころ、ひとの脳みそのなかほど、わからないもの はありません。
以前、このnoteでも書いたのですが、わたし以外わたしでない、ということの残酷さに、ひとは孤独を感じ、わからなさやわかられなさにときに苦しむ。しかし、日常のなかでは、このわたし以外わたしでないおかげで、私が社会的わたしを保つことができている、ということも十分にあります。
 
 私は世の多くの人同様、とある会社で会社員として仕事をしているいわゆる普通の人です。朝は、朝の挨拶をする。おはよう。それから昨日、なにかしてもらったひとには、昨日もお礼は言っているけれども、今朝も「昨日ありがとうございました」と言う。髪切ったかなと思ったら「髪切った?」って言う。デスクにはタモリ(ブラタモリ)のステッカーを飾っている。バロットンのソクラテスもいる。フクロウの小さなぬいぐるみをモニターの脇に置いている。くるくる回る椅子、白いデスク、袖机、ゴミ箱、隣の人との仕切りのボード、連なる席と、社員たち。右前の女性のシャツは透けている。黒い薄手の化繊の下には肌とキャミソールが見える、44歳。その左向かいの男性の首元はヘンリーネックである。のどぼとけの下の肌がいつもより多めに見えるし、シャツと違い襟がないので、第七頸椎くらいまで(たぶん、知らんけど)首が見える、60歳。向こうから歩いてくる女性のスカートはマーメイド型で、カットソーは体に張り付いている。おっぱいが、あまりにも大きい。あまりにもそれはおっぱい以外の何物でもなささが度を越しており、まともに見ていられない。目を逸らして、もう一回見る。あかん。会社でそれはあかんス、25歳。

 まだ仕事が始まっていないのに、様々な情報が私に降りかかる。だが本当の、脳内の闘いはこれからである。

 最初の案件、書類を見るとイタリアのとある社名が目に入る。"GOOD FELLA….…〇×▽..…S.P.A. "
とここで当然日本人である私は、カタカナでこれを認識する。出だしはグッドフェラ、である。仕事の本質はそこにない。そんなことはわかっている。だが、グッドフェラ、なのでそこはもうどうしても、そのまんまの意味が降ってくるのは否めない。否めないが相手にはしない。思考はしない。感じるだけだ。グッドフェラを感じるだけ。感じるだけだが降っては来る。私だけに。でもきっとほかの誰かにも振ってきてるはず。わたし以外わたしじゃないから、わからないだけ。

 そうして、フェラを乗り越えて、諸々の業務を進めてゆく。別案件の書類を精査していると今度はフェライト磁石っていうものが出てくるが無視。無視っていうか業務上無視はしないけどお前はもう乗り越えたやつだからそういう意味では無視。

 しばらく集中していると遠くから「パックリは?パックリないの?」と言う声が聞こえてくる。ぱっくり、、、パッキングリスト(PACKING LIST)の略であるが、私はこれには全力で抵抗したい。パックリって音を言わないでほしい。これはほんとに恥ずかしい。これを言うのは一部のひとだけなんだけど、これはダメでしょ、といつも思っている。思っているけど、そう思っていることを知られたら超恥ずかしいので、知らぬふりをしている。真昼間にひとまえで、ぱっ、くり、ってどうかしてるよ。と思いながら粛々と仕事を進めてゆく。

 安寧の時間は長く続かない。次は担保問題がやってくる。ツイッターのアカウントでもつぶやいたことがあるのだけれど、とある担当者が「担保」をいつもひらがなで「たんぽ」書くのである。「たんぽこれ使ってください」とか「たんぽ解除します」とか「たんぽ不足のため」とか、担保に関する指示のすべての担保は「たんぽ」と書かれてくる。そして、ここが重要なのだが、彼の字は雑な癖字で、彼の書く「た」はすべて「ち」に見えるのである。したがって、油断すると私の脳内はカオスに似た状態になる。はじめは、このひらがなが、最初にもたらすイメージの翻訳を正常なものへと補正するのに、時間を要した。しかし今はもう、身構えているので楽にかわすことはできる。できるが、いちいち突っ込んでしまう遊び心が生まれてしまう日もあって、仕事の邪魔にはなる。もしかしてだけど無差別セクハラなんかな、と思う。ちがう。

 こうしてもうおなじみのたんぽ問題をどこか楽しみながらスルーして、さらなる深みへと仕事はめんどくさく複雑になってゆく。集中していないと間違える。一か所間違えると後でまた大工事しなければならないから、かなり深く自分の世界に入って集中していく。と急に「見て、すぐおっきくなっちゃうの」という女性の声。「ほんとだ、ちょっと触るとすぐおっきくなっちゃうね」とこれも女性の受け答えである。「ちょ、まてよ。なんなんそれw」と思って目をやると、二人の女性が一人のPC画面を見てドキュワークスを操作している。画面上の書類に触れるとすぐにそれが拡大されてしまう、という現象について話をしているらしかった。
 自分の仕事に戻りつつ、すぐおっきくなっちゃうねはないわ、と思うけれどもじっさい、すぐおっきくなっちゃうんだからしょうがないか、とも思う。っていうか、どうでもいいけどすぐおっきくなっちゃうのかよーーーー!って思っている自分がいる。わたし以外わたしじゃないってほんとありがたい。複合機との兼ね合いもあり、二人は〇〇フィ〇ムの担当者に電話をかけ始めた。私の気分も落ち着いたかと思った矢先、でんわを切ったふたりはこんどは「営業にはおしりに入れてって何度も言ってるのに」「前からじゃなくておしりに入れてって」などと言い始める始末。前じゃなくてうしろにどんどん案件を入れていけ、という意味であるのはわかる。わかるのでそこで私もとどまったりしないけれど、やはり、感じるものはある。

 このようにして怒涛の邪念が私にふりかかり、時計はもう5時を回りそうである。しかしこの時間になればもう、ぎゅうぎゅうやる仕事は落ち着いて、あとはじっくり考えたり、整理したりする類の仕事になることが多い。
 落ち着いてデータや書類を整理しながら、夜のことを考えたりする。あの本の続き読もうかな、とか、がだいたい多いけど、絶対早く寝よう、と言うのも多い。一日中脳内に細く確実に流れ続けたえろ思考について、ふりかえったりすることはないし、ばかみたいなんだけれど、ひとってけっこうみんなそんな感じなんじゃないかと思っている。たとえば歯医者で口をこじ開けられて手を入れられてどうにもならないとき、医者もこっちも必死だけど、あの瞬間って性的だって多くの人が感じてるはず。

 ほんとは脳内のエロスってこんなくだらなくはなくて、必死さや懸命さ、本気のすがたにものすごい性的興奮を覚えることってある。泣きたい気持ちよさみたいな。音楽とか小説でもたまにあるからびっくりしちゃう。日々日常のいろんなとこのくだらないことばっか感じてるそのことも、わたし以外わたしじゃないからばれなくて、おかげでこんなことばかり考えているのにも関わらず私はどうにか社会的な私を保っている。わたし以外わたしじゃないことはありがたい。だけどなんか必死さとか本気さとか真摯さとかそういうのに感じる性的なものってひとりってよりは共有して気持ちよくなりたいっていうのってある。そういう時はわたし以外も私みたいに感じてほしいしわたしもわたし以外の人見たいに感じたいけどね、って思う。
 
 明日はこどもとインサイドヘッドを見に行きます。インサイドヘッドかあ、と思ってたら思いついたので書きました。長いのに読んでくれてありがとう。
 


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