読書感想文 川上未映子「わたくし率イン歯ー、または世界」


あらすじ(文庫本の裏表紙より)
人はいったい体のどこで考えているのか。それは脳、ではなく歯―――人並みはずれて健康な奥歯、であると決めた〈わたし〉は、歯科助手に転職し、恋人の青木を想い、まだ見ぬ我が子にむけ日記を綴る。(以下省略)

あまり共感されてこなかったであろう感性をばんばん押し出しながら、哲学的な問いを含み、狂人の妄言かと思いきやストーリーを成立させ、最後にその全てと感情を爆発させる。
「私はこう生まれてきた!!」と叫んでいるかのようだった。

読み終わってからも、どう感想を書けばいいのかわからなくて、今もまったくまとまらないので、とりとめもなく書いてみる。



〈わたし〉は空想の世界に生きているにもかかわらず、自分が気持ち良くなるような青木とのかかわり合いを妄想しない。忙しい青木とはあまり会えないし、会って話していても電話でも会話が続かない。仲の良い恋人にはほど遠く、〈わたし〉の考えていることも、伝えたいことも話せていない。そのぎくしゃくした関係には、青木との関係はあくまでも今現在の現実で、〈わたし〉と青木は理解し合える関係性に変わっていけるし、変えていくのだという彼女の意思があったように思われる。

中学時代、青木が〈わたし〉にこう言った。
「〈国境の長いトンネルを抜けると雪国であった〉この有名な書き出しの文章の主語はトンネルをくぐってゆく列車でも、主人公の島村という男でもないよ。主語がないよ」
〈わたし〉が私と切り離されない現実世界に、”わたし”がない世界があると教えてくれた青木。疎外されてきた〈わたし〉は、青木は自分の理解者であると錯覚し、それを唯一の希望のように抱えたまま大人になる。

ところで〈わたし〉は奥歯である。
なぜなら人並外れて優れているから。

奥歯は簡単には他人に見えないし、見せるものでもない。それが優れているかどうかなどわかる人にしかわからない。だから奥歯はすごい。硬いから大事なものをしまっておける。奥歯は〈わたし〉であり、そこには青木もいて〈わたし〉ももちろんいて、奥歯が共通言語である。と、〈わたし〉は考えている。

〈わたし〉にとって「痛み」とは、回す先の決まっていない回覧板のようなもので、自分の手元から誰かへ移動していくものだと考えている。自分に痛みを与えた人も、どこかでまた別の人から受け取ったそれをわたしに移動させたのだと。世界の痛みの総和は決まっていて、単にそれを今誰がどれだけ持っているかということなのだ。ちなみに自分の痛みは今のところ回す先がないので、とりあえず奥歯にしまっている。三年子がこの論理を全否定してくるが、〈わたし〉は揺るがない。自分だけが痛めつけられているわけではない。


ところが強固に「わたしは奥歯」と言い張って作り上げた世界は、青木の女の「あんた、誰?」の一言をきっかけにあっけなく瓦解する。その質問が鏡になり、〈わたし〉に対する評価のひとつひとつが輪郭となって現実の〈わたし〉を映しだす。奥歯だったはずの青木は生身の人間でしかなかったし、長い年月のうちに青木はもう青木でなくなっていた。
痛いところはやっぱり痛かったし、それは誰かのものではなかった。
〈わたし〉と私が切り離されることはなかった。


見ないことにしていた現実の自分に「あんた誰」は強烈である。川上未映子は容赦がないなと思った。

自分が自分であると受け入れられないからそれは奥歯になり、痛みを直視できなくて解釈に丸め込み、コミュニケーションをすっ飛ばして独りよがりを押し付け、そして全部ひとりで背負わなければならなくなった。

トラウマを抱えて病み、空想の世界を肥大化させた人の物語としてあり得て、とてもリアルなのではないかと思った。〈わたし〉は実際にこの世界に少なからず存在しているのだと思う。

長い間〈わたし〉はひとりでよく耐えたよね、と思いました。

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