いじめの最高峰。初めての雑居(共同室)
お久しぶりです。
今日は、私の受刑者生活で一番嫌だったこと、共同室での生活についてお伝えしていきたいと思います。
共同室とは皆さんが想像するザ・刑務所といった感じの部屋です。約12畳の部屋に少なければ三人。多いと7人が入り生活します。6人や7人ともなると自分のスペースは一畳もありません。
それはその部屋の中にシンクとトイレのスペースもあるので本当に狭いです。川越のトイレは換気扇もなく和式だったので匂いが部屋まで漏れてきます。(おじさんがうんこしてる時が最悪です)
刑務所といえば
いじめ
ではないでしょうか。私が実際に経験したことや身の回りで起きたことをご紹介したいと思います。
工場で生活してから4か月ほどたったころ工場担当職員から呼び出され
「明日から雑居な」
と言われました。
「とうとう来た・・・
でも行かなきゃいけない・・・」
そう思いました。拒否することはできなくはないですが、その後からの職員からのあたりが強くなることや職業訓練に行かせてもらえなくなることを考え行くことに決めました。
一緒の部屋は同じ工場のNo2の関西人でした。西成の出身らしく、プライドも高く、私が大学に行っていたことがわかると
「勉強できるからって調子乗んなよ」
「大学行ってもこんなところにいるならカスだな」
と最初からうざかったです。
いじめが本格的になったのは、食事が原因でした。
私は普通に食べていると刑務所内ではスピードが遅く。
「なんで俺がお前の喰い終わるのまたなアカンねん。本気で食えや」
そこから私は部屋での食事は噛むことは許されず、ひたすら飲み込む生活が始まりました。
どんぶりご飯
納豆
牛乳
つけもの
これらを本当に1分ほどで食べていました。残すことは「ずる」と言われ許されずおなかを壊しながら耐え続けました。
この期間はたった二ヶ月ほどでした。でも私の中では半年・一年に感じました。毎日就寝時間が一番の幸せで唯一の自分の時間でした。読書も何もできない状態で生活し。常にYESマンであるように強制されました。
休日は食事とテレビの時間以外は将棋を強要され、先々に備えた資格の勉強などは一切できませんでした。当時の日記を読み返すとよく諦めなかったなと思います。
そのほかにも、トイレに監禁されたりテレビのチャンネルを変えるパシリや怒らせたら家族を襲いに行くと脅されたりといろいろなことがありました。
今では面白話になることとしては、ある日の朝食の話です。
納豆
揚げ玉味噌汁
高菜炒め
イチゴミルク
でした。
なんとこれを関西人は全部混ぜて食い始めたのです。
しかもうまいうまいと食べている・・・
そして案の定
「おまえもやれや。まずかったらつぎからやらんでいいから」
いやいや、まずいって言ったらお前が起こるんだからうまいっていうしかないだろ・・
と思いながら、ゲロみたいなものを食べ「美味い」いいました。そうすると
「じゃあ毎日やれよ」
ここから毎日、朝ご飯は全部混ぜて食べました・・・
被害者は僕以外にもいました。
私の後輩が隣の雑居にNo4・5との三人部屋になりました。
そこで将棋でかけをやらされたそうです
毎日のおかずや、祝日のお菓子をかけていたとのことでした。
ここで普通なら勝つ可能性もあるしいいんじゃないかと思うでしょう。でもここは刑務所です。先輩が負けることはありません。負けそうになると機嫌が悪くなり
「お前わかってるよな」
となり勝たせるしかないのです。
一週間もたつと後輩君はげっそりし
「○○さん(私の名前)、僕もう無理です。あがります」
そう言って面会から帰ってきませんでした。
「あがる」とは調査になるということで。刑務所の中のルールを破ることによって刑務所内で逮捕されるようないイメージです。
一人部屋に閉じ込められます。ただ雑居でつらい毎日を送るより何倍もいいんです。私ものちに調査になりそうとう楽だった覚えがあります。
私はあきらめずに耐えきることができ、その後の職業訓練に行くことができました。
本当に刑務所にいるやつはクズばかりです。私も同じではありますが、人を殺しても俺は悪くない。あいつが原因だ。死んじゃったのは仕方ない。
と言っている奴がいるほどです。
雑居の細かいルールについてはまた書きたいと思いますのでコメントいただけると頑張れます!
刑務所で人生観が変わった私がお金について書いています!
良かったら覗いてください!ではまた
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