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喫煙所配信者の頭の中 #10

伝えるって、本当に難しい。

言葉は身近な魔法だと、
亡くなった祖母がよく口にしていた。
今、病院で看護助手をするあたしにとって、
患者さんにかける言葉は
身近な魔法そのものになった。
少しでも笑えるように、
少しでも前を向けるように。
そんな言葉を探す日々だ。

逆に自身の事となると割と悲観的だったりする。
自分の声は普通以下だと思っているし、
その辺に落ちてる(?)30代なのだ。

閑話休題

ここしばらく、悩むことが増えて、
そこでどうそれを伝えるかということが
自分の中の課題になっている。
伝えるためにはキャッチボール的に
コミュニケーションを取らねばいけないのだと、
そこにある意味固執していたのも事実。

それについて、ある人と話していて、
まさに目からウロコのきぶんだった。

その人は漢字の成り立ちを例に出して、
伝えるというのは本来時間がかかるもので、
コミュニケーションはもしかしたら、
キャッチボールではなく、
手渡しじゃないかと言うのである。

確かに、あたしは言葉がキツい自覚がある。
早口になりがちだし、はっきり言ってしまう。
母親似の声質も通りやすいらしく、
本人にそのつもりがなくても大声になりやすい。言ってみれば、豪速球でキャッチボールだ。

だけど、相手によっては手渡しになっている場合もある。
それこそ、患者さん相手だと意識してゆっくり。
声のトーンも、選ぶ言葉も違う。

つまり、だ。

受け取りやすい距離感や球速は
相手によって違うのだから、
人は誰しも大なり小なり、
無意識下でそこを決めているんじゃないか。
そして、自分の中のその距離感が
相手の中のそれと上手く噛み合わなかった時。
その時が正念場なんじゃないかと思ったのだ。

自分以外の誰かに、ましてや赤の他人に、
自分を100%わかってもらえると考えるのは
ものすごい身勝手だなぁと思ったのだ。
自分ですら、自分のことが分からないのだから。

だから、時間をかけて、言葉を尽くして伝える。

無論、どれだけ伝えても伝わらない時もある。
伝えたつもりで実は相手には伝わってなかった、
なんてことももちろんある。

だけど『伝える』ために人間は言葉を発達させ、
現在に繋がっている。

言葉が身近な魔法だと、亡き祖母は言った。
もしかしたら魔法ではなく、
言葉は実は錬金術なのかもしれない。

そんなふうに思った、天皇誕生日の夜。

まだまだ、自分の中で掴みきれない、
何かとあたしは向き合っている。

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