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過去のミスを取り返すより、前に進め

野球少年だったころ、
一生懸命素振りを頑張ってた。
一日100回素振りをすると決めてたけど、
そこまで意思が強いわけでもなかったので、
2~3日サボることもあった。

でも、やっぱり300本分、理想の自分より遅れをとっているから、
次の日は400本素振りをしたこともあった。

こうやって、帳尻を合わせることができれば、
トータルで、理想の自分に確実に近づけるような気がしてた。

この理屈で行くと、
1週間サボると、700本取り返さなければならない。
そう思うと、気が重くなるから、
無意識に何かと理由をつけては、次の日に回す。
そういうことを続けるうちに、1か月サボり続け、
いつしか、毎日100本という自分で課したノルマが
なかったことになっている。

そういうことは、人生において、
たっくさん、経験してきた。
こんなに簡単な理屈なのに、
当時の自分は、埋め合わせをしっかりしないと気が済まなかった。


今、算数を教える側になって、
生徒が毎日やってくる計算ドリルを見ていると
当時の素振りのことがフラッシュバックする。

保護者の方々からも、よく質問を受ける。
「1週間計算ドリルをサボってしまった場合、
全部やりきったほうがいいですよね。」と。
「いや、サボったところはやらなくていいです。
埋め合わせをするために、一日に費やす時間が増えます。
次に計算ドリルをサボった時に、どんどんハードルが上がっていきます。
すると、1週間で済んだところが1か月になってしまうこともあります。
であれば、今日から1日1ページずつやりましょう。
それを365日続けることができれば、何も問題ありません。」

「それだと、周りの子たちから遅れをとりませんか?」
「遅れがあるということにリスクを感じるのかもしれません。
 ただ、人間ですから、またサボることがあることを想定しておいて
 ください。その時に時間を費やすイメージがあると、重く感じて、
 先延ばしにするでしょう。そのリスクの方が大きいとお考えください。」

計算ドリルを一冊やりきることは、とっても素晴らしいことです。
でも、その代償に、計算ドリルってものが、とんでもなく怖いものに
重いものになってしまうくらいなら、

一冊やりきることは、
単なる結果としての証でしかない。
それよりも、2冊目3冊目を継続して、
時にはサボりながら、でも、結果として何年も続けることができている
事の方が、何より尊いということを伝えたい。
だから、何度も何度も保護者の方々にも、
生徒本人たちにも伝え続ける。

10ページ空いていることに何の罪も感じる必要はない。
後ろめたさなど、1ミリも感じなくていい。
ちょくちょくサボりながら、仮に10冊計算ドリルをやり続けた実績があれば、むしろ、10ページサボったことにすら意味が生まれる。
サボったって、やり切れる、と。

毎日、パーフェクトとはいかないこともある。
やる気が起きなくて、サボった日々もあった。
次に始める時に、ちょっと気が重くなるけど、
やってたら、また調子が出てきた。
1日1ページなら、やれるかもしれない。
あっ、次の日もできた。
気づいたら、1か月継続できている。
後ろを振り返らずに、前に進むことを優先したおかげで、
結果として、以前より、継続することが上手になってきた。

計算ドリルには、そんな人生の縮図のようなものが詰まってて、

そこから学べるものは何よりデカい。

そしてやっぱり時間というのは尊い。
歴史というのは尊い。

塾と言うところでは、
分かりやすく、
比較的、効率よくさまざまな問題を解ける術を身につけることができる。
子どもはスポンジのように抜群の吸収力を持っているから、
本当にものにするのが速い。

でも、残念ながら、塾で教えることができないことがある。
それが
積み重ね。時間。歴史。


それで身につけることができるさまざまな面での
~力
というもの。

人間だから、ま、サボることはある。
間違いだってやっちゃう。
サボることを前提に、
目的を明確にしつつ、
何がゴールかを確認して、
昨日サボったけど、今日からやるよ。
余裕だよ。くらいがちょうどいい。

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